第0章 序章。

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第0章 序章。

戦国時代に一世を風靡した男がいた。 その男は織田家に仕える足軽兵の息子で戦以外は農家として農業に勤しんでいた木下家の息子でした。 その男は農業をするのが嫌なのと、 継父である竹阿弥と馬が合わなかった事もあり足軽兵として出陣し命を落とした実父・木下弥右衛門が遺した僅かなお金だけを持って尾張国中村を飛び出したのでございました。 その男の名前は、豊臣秀吉。 なか「立身出世して偉くなったのは、 良いのだが下の者に対しての情けがなければ誰もお前に付いて来ないよ…」 そんな豊臣秀吉に対して怒りを露わにしているのが母親であるなかでした。 後に大政所と呼ばれるなかは中村で有名な働き者でした。 なかは秀吉の父親である前夫・木下弥右衛門を戦で喪い新たな夫とやがて再婚し秀長と旭姫に恵まれました。 新たな夫と秀吉の折り合いは極めて悪く秀吉は立身出世を夢見て村を出て行った。 織田信長に仕えありとあらゆる戦いで天下を統一せんとする魔王の手助けをする中で秀吉は… 秀吉「俺には信長様のように全てを支配する政は…出来ない…だからこそ…俺らしい政を確立していくつもりだ。」 〈皆が笑って楽しく暮らせる世界〉 秀吉はそれを目標として掲げており、 それを知る徳川家康や異父妹である旭姫の支援もあり何とか今までは…出来ていました。 しかし… 西暦1589年、秀吉に実子である鶴松が産まれた事により事態は一変した。 秀吉「鶴松に全てを見せるのだ… 日の本全てを私のものとしたところを…」   西暦1590年、 豊臣秀吉は小田原北条氏を攻め これを滅亡させた…。 北条氏政「全てを思い通りにするなど誰であろうと出来るはずない…。人が神に近づけばそれなりの報いを受けるのが分からぬとは…」 小田原北条家大御所・北条氏政の 隣に寄り添う継室・美國(みくに)は 毒を煽りその命を散らした… 北条氏政「さすがは大御所の継室。 潔い最期である。では…美國に黄泉路を独りで歩かせてはならぬ故…」 氏政と美國、更には正室だった督姫を失った…氏直は…高野山へ蟄居となりましたが彼の負った精神的苦痛はかなりのもので… 督姫「氏直様…」 離縁はしたものの誰よりも氏直を慕う督姫に看取られながらその生涯を終え 氏直は…まるで眠るように永遠の眠りに就いてしまった… 皆の笑顔を見たいと願って戦国乱世を駆け抜けてきた豊臣秀吉は西暦1591年 北条氏直が病死した同じ年… 豊臣秀吉「鶴松、鶴松…!」 豊臣秀吉とその準正室だった淀君〈=本名・浅井茶々〉の間に産まれた鶴松は病に倒れそのまま幼い命を散らした それから豊臣秀吉はまるで抜け殻のようになり…甥である豊臣秀次を養子としてすぐ関白に就任させました。 豊臣秀次「私が関白となる。」 豊臣秀吉の新たな世継ぎとなった 豊臣秀次に対し大名家は…次から次に娘を嫁がせたり貢ぎ物をしていた。 最上義光「…駒姫を側室に…ですか?」 その中には秀次からの推挙により 側室に選ばれた者も少なからずおり… 最上義光は溺愛する駒姫を近くから手放したくはなかったのに…3年前から求婚されていた事もあり京へ行く事となってしまった駒姫を悲劇が襲う…。 秀吉「淀君、良くぞ産んでくれた。」 鶴松を喪ってから抜け殻のようになっていた秀吉だったが西暦1593年に淀君が拾丸〈=後の豊臣秀頼〉を産み… 秀吉「三成、秀次を…討て。」 西暦1595年秀吉からの命を受けた 石田三成は関白・豊臣秀次を失脚させるための証拠を集め始めた…。 これにより…豊臣秀次とはまだ面会もしていない名前だけの側室である駒姫と細川ガラシャと細川忠興の娘である於蝶(おちょう)が嫁いでいた坪内景定までも連座に処されたのだが… 於蝶と忠興に関しては… 徳川家康「於蝶殿と忠興殿は、 謀反を企んだりなぞなさいませぬ…。この内府に免じてお2人を罪に問われる事だけはお辞め下され…」 徳川家康からの口添えにより… 細川忠興は無罪となり於蝶に関しては出家をする事で坪内家との縁を切ったと見なされた… 細川忠興「山崎の戦いから ずっと殿下に付き従ってきたのに…」 これにより…細川忠興と最上義光は、 徳川家康に忠誠を誓うようになり… 黒田長政「…三成め!」 加藤清正「三成、徳川を敵に回せば豊臣の家は滅してしまう事になる…」 豊臣秀吉の為ならば… どんな黒い仕事でもやり遂げ… 現場の声を聞こうともしない 石田三成を嫌う人間は、 於蝶の受けた心の傷を案ずる 細川忠興とまな娘を奪われた 最上義光以外にも… 福島正則「あの馬鹿、頭でものを考えすぎるからこんな事になるんだ!」 黒田長政、加藤清正、福島正則など 数え切れない程存在していた…。  
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