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呆然と立ち尽くす俺に目を留めることなく、荷物をまとめて玄関に置いた。
気づけば彼女は玄関のドアノブを握っていた。でもすぐには開けず、何か言いたげに黙っている背中に俺は告げる。
「愛してたよ、雅樂」
それだけは、偽りのないことだった。
付き合う直前、俺はほんとうに彼女を運命の人だと信じていた。何処か懐かしくて一緒に居ると落ち着いて、この先も彼女とならどんな道でも歩んでいける自信があった。
この言葉を聞いた彼女は、一瞬だけ戸惑ったような表情になったがすぐに呆れた声を溢した。
「愛してるとは想ってないんだね」
その言葉が、妙に、心に引っかかった。
聞き返す余地もなく、彼女がドアノブをひねると淡い月光が差し込んだ。それと同時に冷たい夜風が吹き抜ける。
「それはっ……」
「いいよ、愛してるっていってくれなくても。でも、もし私に一度でも心の底から愛してるっていえる時期があったなら私は幸せだったよ」
頬をほころばせながら残した言葉が、彼女が出て行った今もなお鼓膜に響き続けた。
「――――それは、本心か?」
玄関から一歩踏み出した足が、止まっている。
決して弱音を吐くような性格ではないせいか、本音を吐くことも少ないひとだった。
「うん。これは、本心だね」
「本当に?」
「そうね」
曖昧に濁す彼女に俺は問う。
「―――――じゃあ、俺のことはどう想ってる?」
「…………朱翔」
「出て行く前に……教えてほしい」
「いっつも私に無邪気に笑ってたくせに甘えてたくせに、最後は違う女のところに行くなんて自由なことして。どうしてこんな奴好きになったんだろうって思った」
嫌味混じりに語る言葉に時より胸が痛む。
「でもさ、嫌いにはなれなかった。どこかでいつも考えてたよ、朱翔のことを。大嫌いだよ、でも愛してるっ――――」
涙を流しながらそう言い残し、花が咲き乱れたような甘く上品な芳香に包まれながら彼女は夜の闇に消えて行った。
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