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「はいはい、分かった分かった」
クエスチョンマークを浮かべる涙花に抱きつく腕を解き、澪は彼の隣に立つ。
澪の身長は少し低い方ということもあるけれど、彼は少し背が高いようで、澪の頭は相手の肩までしかない。
その肩を澪は軽く叩(はた)いた。
「私の幼馴染みの戌介響」
「どうも。こいつの幼馴染みの戌介響です」
ぺこりと頭を下げた戌介に、涙花も慌てて頭を下げた。
「浅野涙花です」
「こんな奴に頭下げなくていいよ涙花」
「ニャン子はちょっと黙れよ」
「紹介してやったんでしょ。アンタが黙れワン子」
「えーっと」
このまま放っておくと永遠に喧嘩をしているような二人に、涙花は声を挟む。
分からないことが沢山あるけれど、取り敢えず順番に。
「澪ちゃんに幼馴染みなんていたんだね? 知らなかった」
「コイツとはクラスが端と端だったし、ここで話すようなこともないし。涙花に紹介したいような奴でもないしね」
「こいつ……本当に一言も俺のこと話さなかったのかよ」
「わざわざ話すわけないでしょ」
「このクソたれニャン子が」
「黙れクソたれワン子」
睨み合う二人。なるほど、幼馴染みのノリというやつか。
「その、ニャン子と……ワン子?」
「あぁ、呼び方ね」
澪は戌介に指をさし、
「戌介のいぬ、だからワン子。んで」
戌介は澪を指さす。
「澪は猫の鳴き声の“ミャオ”に似てるから、ニャン子」
「なるほど」
「幼稚園ぐらいの頃は互いに名前で呼んでたんだけどね」
「そんなに付き合い長いんだ⁉」
想像以上の長さに涙花が驚けば、戌介は澪の頭に肘を乗せて「まぁな」と溜息をついた。
「家が隣同士でさ。小さい頃から家族絡みでつるんでたんだよ」
「へぇ、すごい。漫画みたい」
そこまで長い付き合いの友達がいない涙花からすると、それはもう漫画の世界だ。まさか実際に存在するとは思わなかった。
もうこれは幼馴染みのノリとかではなく、家族に近いのかもしれない。
「じゃあえっと、紹介うんぬんは?」
視線を澪に向ければ、また彼女は「ごめん」と苦虫を噛み潰したような表情で謝った。
「前々から涙花のこと紹介して欲しいって言われててさ。もううっとうしいから、二年のクラス替えで一緒になったら紹介してやるって言っちゃって」
「そしたらまさかの奇跡が起きたってわけ」
澪とは真逆の満面の笑み。それに涙花も一応笑顔を作って返しておく。
「紹介して欲しいっていうのは?」
何かよからなぬ噂でも流れていただろうか。
一年生の頃は目立つこともなく、静かに過ごしていられたと思うのだけれど。
女子同士だと噂が回るのは早い。その噂の出所がどこからか分からなくても、簡単に広まるものだ。女子から広まったそれが男子の耳に入らないということは勿論なく、いつの間にか顔も知らない同級生の間にまで知れ渡る。
(この学校はそこまで噂が立つようなこともなかったと思うんだけど)
笑みのままの戌介の返答を構えて待つ。どんなパンチでも笑顔で受け止める心構えだったのだけれど、正直、後ろから蹴られるとは思わなかった。
「俺が浅野さんのことが好きだから」
「…………ん?」
一瞬なにを言われたのか分からず、でもすぐに笑顔を貼り付かせたまま固まる。
浅野、浅野…………あ、私のことか。
ん? 私のこと?
「浅野涙花さん」
「え、あ、はい」
戌介がその場にしゃがみ込む。それは必然と涙花と顔の高さが近い、いや、戌介の方が低くなり、今度は涙花の方が見下ろす形になる。
ここで手を差し出されれば、まるで王子様のようだっただろう。だが戌介はそうはせず、顔を覗き込むようにしながら笑顔で言った。
「好きです。俺と付き合ってください」
「…………」
突然の告白。
女子や男子の騒ぐ声はまで耳に届く。やはりクラス替えは大きなイベントだ。
だが告白も負けず劣らず結構なイベントで、その言葉が届いた周囲は驚きの視線を向けてくる。
それはそうだろう。クラス替えに盛り上がっている中で突然目の前で告白劇が繰り広げられたのだから。
これは笑い話になる。確実に噂で広がる。
頭が真っ白になる中、どこか客観的な頭で、あ、なるほど、と唐突に理解した。
(今日の占いの“広い心で”っていうのは、これのことか)
目立たぬよう過ごしてきた高校生活が、この一瞬で崩れていく音が聞こえた。
「あ、んたねぇ!」
広い心で怒ることも忘れた――うそ。驚きと呆れにどうしていいか分からなかった涙花を置いて、澪は戌介の襟首を掴んだ。
「うおっ」と引っ張られる戌介。そのまま二人は廊下に出て行く。教室の中は若干静かに、ポカンとした空気になり、涙花も彼らを見送ってからハッとして廊下に追いかけた。
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