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「しんっじられない!」
教室から少し離れた廊下、開いている窓の前で向かい合わせで立つ二人を見つける。
他のクラスでもまだ騒いでいる生徒たちのおかげで、その声はうまく紛れ隠れている。
「あんな、あんな教室のど真ん中で言う奴がいるか!」
「別に真ん中じゃねぇけど」
「そういう問題じゃないこのバカ! クソバカ!」
澪の怒りの声が耳に届く。
もうまさにその通り。私の代わりに怒ってくれてありがとう。
「澪ちゃん」
小走りで近寄れば、澪が「涙花ぁ……」と泣きそうな顔で抱きついてくる。心なしか二つ結っている髪の毛も垂れ下がっている気がした。
「ごめん、ほんっとごめん。このバカが、ほんとごめん。ここまでバカだと思わなくて」
「おいニャン子、どこまで俺をバカにするんだよ」
「バカでしかないでしょ、このバカ! クソバカ! 死に晒せクソいぬ!」
「そこまで言うか…………」
戌介は自身の前髪をかき上げて溜息をつく。でもすぐに笑みを浮かべて涙花と視線を合わせる。
どこか色気が漂うようなそれに、ドキリと心臓が胸を叩いた。
「でもさ、牽制になるだろ」
「牽制?」
勝手に口から滑り出る。
「そ。戌介響は同じクラスの浅野涙花のことが好きなんだーって噂になってさ、んで付き合い始めれば、こっそりあんたのことが好きな男が消滅する」
「消滅……」
「うん」
彼は頷く。
「教室で告白されたのは嫌だったかもしれないけど、俺は本気であんたのこと好きだよ」
「黙れクソいぬ」
「俺たち、ソウルメイトだとも思うし」
「ソウルメイト?」
澪のことを無視したまま話が続いていく。
「ソウルメイト。あれ、そういうの好きなんじゃなかったっけ?」
「好きというか、まぁ、占いがマイブーム、だけど」
ソウルメイトって確か惹かれ合う二人というか、なんか魂がぴったりはまるとか、そういう類いのものだった気がする。
「そっか、良かった」
頷いた涙花に、戌介は優しく口元に弧を描いた。
窓からふわりと風が入ってくる。春の風に揺れる髪の毛が、抱きついている澪よりも柔らかい温度で頬を撫でていく。
心地よいそれは、なぜか戌介の笑顔と似ている気がした。
「…………分かった」
涙花は澪の身体をそっと離し、戌介と向かい合う。
「付き合う」
「ちょ、涙花!」
「よし。今日から俺が彼氏な」
「ん」
コクンと首を上下に動かせば、澪が「だから言いたくなかったの!」と涙花の片腕を掴んで揺らした。
ぎゅっと掴むそれは痛くないように調節してくれているけれど、表情は眉を寄せた怒り顔だ。
「涙花は来る者拒まず去る者追わずなんだもん! ワン子の告白も絶対オッケーすると思ってた! でもよく考えて! 出会ってからまだ数分! しかも教室の真ん中で告白するような迷惑男だよ⁉」
「告白のこと知ってたの?」
「知ってた! 知ってました! だって涙花のことが好きだから紹介しろって言われてたんだもん!」
「…………そうなの?」
澪の言う通り、戌介を知ったのはついさっき。紹介しろというのは向こうは涙花のことを知っていて、それは好きだからというものだった。
「引いた?」
「いや、別に」
(一目惚れとか、そういうのかな)
そうやって告白されたことは何度かある。だがすぐにイメージと違ったとか、面白くなかったとか、そういう理由でフラれるのだ。
まぁ、仲が良くなって彼氏になった同級生にも『恋人同士になったのに、つまらない』とフラれるのだけれど。
きっと今回もそんな感じで終わるだろう。
「大丈夫だよ澪ちゃん」
涙花は掴む澪の手にもう片方の手を重ね、小さく笑った。
一年の時も二人くらいに告白されフラれている。それを澪も知っている。
「きっとまたすぐにフラれちゃうから」
いつもの流れなのだと言外に告げれば、澪はキッと戌介を睨んで「フったら許さない」と呪いを唱えるように低く唸った。
付き合うことに反対しているのか、それとも賛成なのか。
それに苦笑した涙花だったが、それは戌介も同じだった。
「いや、いま俺はフラれたんだけどね」
「え?」
いやいま私は彼からの告白を受け入れた筈だけど。
「どういう――――」
ことか、という台詞は響き渡るチャイムの音で止められる。
皆がどんどん教室に入っていき、騒がしかった廊下が少しずつ静かになる。自分たちももう教室に戻らなければ。
「涙花」
戌介に呼ばれ、すでに歩き出していた彼に視線を向けた。もう名前呼びとは、対応が早い彼氏である。
「今日から一緒に帰ろうな」
「あ、はい」
反射的に頷く。そして澪に引っ張られるようにして後に続いて教室に戻ると、やはりというべきか、今日からクラスメイトである彼、彼女らの視線が集中した。
もうこれは隣のクラスぐらいには知れ渡っているかもしれない。
涙花の答えはここで返していないから、彼氏彼女の関係になったことはまだ知らないだろうけれど。
(…………早まったかな)
澪の言う通り、確かに教室で突然告白をかましてくる迷惑男だ。
出来ればもう少し目立たないところで告白して欲しかった。
同じクラスで気分が上がっていたから言ってしまった、という感じだろうか。
一目惚れだとしても、前々から私のことを知っていたようだし、かつ同じクラスになったら紹介してくれると澪との約束が念願叶ったということになるから。
(いやまず、本当に私のことが好きなの?)
そう思ってから涙花は、いやいや、と鼻で笑って首を横に振った。
(好き嫌い、どっちでもいっか)
見た目で好きになった。話していて好きになった。
どちらにしても付き合ってみたら、つまらなかった、という感じで終わるのがオチだ。今回もきっとそう。
告白してくれた彼らの願ったような女になろうと頑張ってはみるけれど、それでもいつも上手くいかない。フラれてしまう。
それにほんの少し傷ついて、でも予想通りというか、求めていた彼女像になれなくてごめんねと思って、それから、いつか相手に理想の彼女が出来ますようにと祈る。
澪の言う通り、来る者拒まず去る者追わず、だ。
『どうして好きでもないのにオッケーしちゃうの⁉』
前に言われた言葉を思い出すけれど、いやだって、と同じ答えしか浮かばない。
(告白してくれたのに、断ったら申し訳ないじゃん)
それに、付き合ってたら私も相手のことを好きになるかもしれない。そういう恋愛だってあるでしょ? と返したら、澪は困ったように黙ってしまったのだけれど。
(そういえば)
――――いや、いま俺はフラれたんだけどね。
(これはどういう意味だったんだろう?)
ガラリと教室のドアが開く音。
入ってきた教師、近本朔太郎(ちかもと さくたろう)に、「近ちゃん⁉」と教室がまた騒がしくなる。
どうやら担任は数学教師の近本らしい。
困ったように下がる眉毛の可愛い眼鏡男子として人気で、近ちゃんという愛称で呼ばれている。そのことに彼も怒らないから、尚更人気があるのだろう。
だが涙花は近本を視線で追わず、ふと視界に映った出席番号順のドア付近に座る戌介の背中を見つめた。
彼は頬杖をつきながら、どうやら笑っているようだ。
(なんていうか)
その背中は他の生徒と変わらないのに、
(変な人)
なぜかそう思った。
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