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②初めての帰り道、君に見蕩れた
「るーいか」
ガタガタと生徒たちが席から立ち上がる音と、話し声があちらこちらから聞こえる教室。
名前を呼ばれて顔を上げれば、そこには先ほど彼氏になった戌介が笑顔で立っていた。
「一緒に帰ろ」
ざわめきが少しだけ小さくなったことに戌介は気付いただろうか。そして視線がこちらに集中していることも。やはりこのクラス内で注目の的である。
だがそれを彼が気にしている様子はなく、ただただ笑顔でこちらの反応を待っている。
気付いていないのか、それとも気付いていても気にしないのか。はたまた気付いていない天然なのか。
(なんというか、心が強そう)
こちらとしては何とも複雑な心境なのだけれど。しかしそれを戌介に言うつもりはない。
涙花は「うん」とひとつ頷き、立ち上がる。
そのまま二人で歩き出そうとすると、「涙花!」と澪が走ってきて涙花に抱きついた。
突然のそれだが、一年生の頃もされていたことで慣れている。いつの間にか耐久がついた体幹で受け止める。
「涙花っ、少しでも無理とか嫌とか思ったら逃げるんだよ? 私にいつでも言って、ちゃんと連絡して! 私がこのクソいぬをシメるから」
「それからワン子」と澪は戌介に指をさす。
「涙花が嫌がることは絶対にしないで。アンタが涙花のことを知ったのは随分前からだけど、涙花は今日が初対面なんだからね。そこんとこ、ちゃんと考えてよ」
「わぁってるっつの」
肩を揺らし溜息。涙花も澪の背中をポンポンと優しく叩いた。
「ありがとう澪ちゃん。大丈夫だから心配しないで。澪も部活頑張ってね」
「ううう、ありがとう」
澪は身体を離し、二人を見送る。
「何かあったら言うんだよ、絶対! 約束!」
「おう」
「はーい」
小さく手を振って、教室を後にした。
(とは言ったものの)
二人で横並びになって歩いて行きながら、さてどうしようか、と内心悩み始める。
初対面の人との帰り。困るのは会話だ。好きなもの嫌いなもの、何も分からない中で、一緒に帰るのは正直厳しい。
社交辞令的な会話でもいいと思うのだけれど、以前そうしたら堅苦しいと言われてしまったことがある。
(私が戌介くんのこと嫌な気持ちにさせたらどうしよう)
出来るだけ無難な会話をしたい。共通の話題といえば澪のことか。
「涙花」
「わ、うん」
ぐちゃぐちゃと考えているところに突然名前を呼ばれ、よく分からない返事をしてしまう。それに戌介はクツクツ笑った。
「ンな緊張しなくていいから」
「きん、ちょうとはちょっと違う、けど」
「けど?」
騒がしい廊下の先までいけば、クラスも学年も関係ないため、周りからの視線も特にない。ただ戌介が真っ直ぐこちらを覗き込んでくる。
周囲を気にしなくていいのに、それが少し居心地悪くて、「えっと」と視線を泳がせた。
「何の話をしようかなって」
「必死に話題、考えてくれてた感じ?」
「つまらない話題振ったら、申し訳ないし」
「つまらない話題って何だよ」
「そんなんねーよ」と当たり前のように言われる。
「涙花と話せるなら、俺は何だって楽しい」
「……そういうもの?」
「まぁ、別れ話とかだったらつまんねぇけど」
「いや、それはまだないけど」
「まだって言うなよ」
「あ、ごめん」
「マジに謝るとガチになるからヤめて」
トンと肩と肩をぶつけられる。友達同士のように小突くそれに、いつの間にか入っていた肩の力が少し抜けた気がした。
笑顔の戌介に、涙花も小さく笑みが出来る。
玄関で靴を履き替えれば、部活動のホイッスルの音やトランペットの音などが背中から聞こえてきた。今頃澪もテニス部で走ったりしているのだろうか。
朝よりも少し強くなった風が二人の間を駆け抜けていく。
「涙花とニャン子って、この学校に入ってから友達になったんだよな?」
「うん。一年の頃に同じクラスになって、澪ちゃんから話しかけてくれて」
「あいつ見た目とか言うこと子供っぽいけど、面倒見いいんだよなぁ」
「そう、そうなの。話しかけてくれたのも、きっと私が一人でいたからなんだよね」
自然と始まった澪の話題に、涙花も違和感なく頷いた。
「いつも色々心配してくれて、申し訳ないなと思いつつも、甘えちゃったりしてて」
「別にニャン子が好きでやってんだから、申し訳ないとか思う必要ねぇだろ。つか、余計なお世話だとか言っていいぐらいだぜ、あれ」
戌介はげんなりする。
「小さい頃から一緒っつー理由を抜きにしても、あいつぁ面倒見良すぎるんだよ。たまに俺のこと、弟か何かと勘違いしてんじゃねぇかって思ったりもするわ」
「そうなんだ」
「涙花はニャン子家、何人家族か知ってる?」
「えーっと」
涙花は思い出すように視線を持ち上げて指を動かす。
「確か、年の離れたお姉ちゃんがいて、澪の下には双子の弟と妹がいるんだよね?」
子供四人の大家族。少し前なら当たり前だったかもしれないけれど、少子高齢化社会を考えると結構な数の兄弟姉妹だと思う。
「そうそう。だから面倒見がいいんだど思うんだけど、俺まで弟にするなっての」
「きっと澪ちゃんにとって戌介くんも大切な家族みたいなものなんじゃないかな」
「…………」
「え、な、なに?」
突然足を止めてじーっとこちらを見つめ始めた戌介に涙花も足を止める。
一体どうしたのかと数回瞬きをすれば、彼は顔を傾けて口角を持ち上げた。
「これから嫉妬する要素を消したいと思ってんだけど、どう?」
「へ?」
嫉妬という単語をすぐに飲み込めず、少し間を置いてからようやく意味に気付く。なるほど、確かに澪と仲が良いと嫉妬する可能性があるわけだ。
(むしろ面倒見がいいことを褒めてくれたと思って嬉しかったんだけど)
どう? と聞かれてどう答えるべきか。
「えっと、そうだね。でも幼馴染みだし、家族みたいな二人だから、心配はない、かな」
当たり障りのない回答になればいいと思いながら、なんとか言葉を引っ張り出す。いや、ここは嫉妬するって言った方が相手は喜んだだろうか。
(空気を読め、私!)
どうしようとグルグルしているところに、ポンと頭に何かが乗った。それが手だと分かったのは、戌介が少し背中を丸めて、同じ高さで視線が絡んでからだった。
「ちょっといまの意地悪な冗談だったな。ごめんごめん」
「そ、んなこと」
「でも涙花は困ったろ? まぁ困った涙花も可愛いけどさ、初対面で突然すぎたわ」
戌介は舌を出し、「調子乗った」と笑う。そして涙花の頭を撫でてもう一度「ごめんな」と言ってからまた歩き出した。
「いつか嫉妬してよ」
「え、えぇ…………」
今度こそ困った声を上げてしまえば、「正直でよろしい」とこちらを振り返る。その顔は不機嫌の真逆で、どこか嬉しそうだ。
冬より長く居座るようになった青い空と、日が傾いてきた少しのオレンジ色を背負った戌介は何だかすごく綺麗で、涙花は目を見開いて見蕩れた。
イケメンであるとか、そういうのも抜きにして、ただなんだか絵になる感じで、うまく言葉に出来ないけれど、素敵な人に見えた。
「涙花?」
「っ、ごめん。なんでもない」
ハッとし、早足で戌介の隣に立つ。
何でさっき嬉しそうだったの? とは聞けない。聞いても彼は何も無く答えてくれそうだけれど、なんだかその答えに自分の方が困ってしまうような気がした。
そんな涙花を戌介は横目で満足そうな表情を浮かべながら歩く。
「俺の家、あっち方面なんだけど、涙花は?」
「私は駅の方」
戌介が指さした方とは逆の方をさせば、戌介は少し考えるような表情をしてから、涙花に聞いた。
「寄り道して、クレープでも食べて帰る?」
「…………」
あ、そっか。そうだったと今更思い出す。自分たちは恋人同士なのだ。このまま真っ直ぐ帰るのはあまりにもあっけない。
(でも…………)
澪の話はまだ出来るけれど、クレープを食べ終わるまでにその話題は尽きるだろう。そうなればまた次は何を話せばいいのか分からない。
なんとなくだけれど、戌介は話しが上手だからうまく話題を振ってくれるかも。でもそこまで気を遣わせてしまうのも申し訳ないし。正直今日はこのまま帰りたい。でもここで断るのも、感じが悪い。
ならば。
「うん、食べる」
答えはどう考えてもその一択。
出来るだけ楽しそうに頷いた涙花だったが、それを見た戌介は「おっけ」と笑った。
「流石に今日はイヤだよな。んじゃ、また今度にしようぜ」
「え」
「家まで送るのもまた今度にするから。気をつけて帰れよ」
「あの」
「また明日な、涙花」
先ほどと同じように頭を軽く撫でて、指さした方へ歩いて行く。前を向いたまま軽く手を振るけれど、涙花はそこで固まったまま動けない。
(私、食べるって言ったよね?)
会話が続くか分からないし、初対面の人と長くいるのは大変です。なので今日は帰ります。
いやいや、そんなこと言っていない。思っていても口に出したりしなかった筈だ。それなのに、戌介は『また今度にしよう』と言って帰って行った。家まで送ることも、また今度にして。
まるでこちらが思っていることを見抜いているような――――
結局「また明日」とも言えず、戌介の背中が見えなくなるまで動けなかった。
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