春夏冬の場合

1/1
前へ
/6ページ
次へ

春夏冬の場合

突然だが同期に嫌われている。 理由は簡単、俺が縁故採用……所謂コネ入社だからだ。 若くして儚くなった叔父の後釜として大学卒業と同時に会社に迎えられ早四年。後釜というわりに配属されたのは総務課で朝から晩まで数字と睨み合うだけの仕事をしている。偶に叔父と懇意だった客との接待に駆り出されるがそれだけだ。 そんなわけで会社に入るための入社試験、面接、オリエンテーションその他諸々の死線を俺は同期と共に切り抜けていない。 「邪魔だ」 舌打ちと共に押し退けられてその勢いで転けそうになるのを何とか堪える。相手は俺が無様に廊下に引っくり返らなかったのが気に入らなかったらしい。今度は長い脚が伸びてきて、俺は目論見通りそれに引っかかり無事会社の廊下で転倒した。 「何やってんだよ愚図」 俺の脚を引っ掛けたのは俺と同期入社でその中でもリーダー格の霧島。俺は霧島に蛇蝎のように嫌われている。何故だろうか、コネだからだろう。 「……申し訳ない」 何故俺が謝っているんだろうか。疑問に思わなくもないが立ち上がった頃には霧島はとっくにその場から姿を消していた。 霧島は営業部のエースだ。入社試験の時から非常に目立っていた人物で、彼が同期達をここまで先導し時には鼓舞し試験を突破したと言っても過言ではない。らしい。まあ俺はコネ入社だから知らないが。 霧島は初めから俺に当たりが強かった。コネ入社だからだろう。そう、そんなコネ入社の俺が去年の入社試験で就活生へ向けての説明係に任命された。入社試験など受けていないこの俺がだ。 面と向かって悪態を吐く人間は霧島以外いなかったが、恐らく皆同じことを思っていただろう。『何でお前が』と。 俺だって別にやりたくなどなかった。ただでさえ風当たりが強いのにこの上さらに面倒なことなど。 それでも俺は俺なりに一生懸命やった。説明係とはいえ少しでも肩の力を抜いて試験に挑めるようユーモアを混ぜながら場を繋いだ。この中から無事入社試験を突破した学生達もいずれ俺がコネ入社だということを知るのだろうなどと考えながら。 俺はただの前説で面接官ではないので試験の合否に直接関わってないのだが、その中に一際目を引く学生が存在した。スラリとして洗練された容姿もそうなのだがオリエンテーションでの動き、学生間の会話、役員面接での質疑応答、全てにおいて抜きん出ているように見えた。 学生の名前は五十嵐岳。名前までもが芸能人のように決まっていた。五十嵐、彼は所詮説明係でしかない俺に対しても非常に親切で感じのいい人間だった。関わる人間全員が試験の結果に関わって来ると思っているだけかもしれないが。 「春夏冬(あきなし)、って本名ですか?」 「ああ、珍しいよね」 あんまり呼んでくれる人もいないけど。 「ちなみに下の名前は?」 「……楓。秋生まれなんだ」 「嘘、」 切れ長の瞳が驚きに見開かれて、その後薄い唇が笑みの形に弧を描く。まるでドラマのワンシーンを見てるみたいにかっこよかった。 彼が試験を突破してうちの会社に入社して陰で俺のことをコネ入社と呼ぶようになったとしても、俺は今日のことを忘れないだろうと思った。 「おい、コネ」 霧島は俺が余韻に浸る暇も与えない。最悪のあだ名で俺を呼んだと思えばそのまま喫煙室に引きずり込まれる。因みに俺は煙草を吸わない。この男は本当に最悪である。 「お前から見て五十嵐岳はどうだ」 「……どうとは」 「他の学生と比べてどうだって話だ。一から十まで言わねえと察せねえのかよこの縁故野郎が」 「ああ……」 何だ、俺が歳下の学生にときめいているのを咎められたのかと思った。 「自分から前に出るタイプじゃないけど、他の学生は皆彼の動向を窺ってますよね。五十嵐くんが動いたら全員同じ方向に動くみたいな」 「……チッ」 口には出さないが、きっと霧島も入社試験の時は五十嵐くんのような存在だったのだろう。そうして無事入社した後もリーダーとして同期を率いている。ように見える。霧島が俺をハブるから同期連中から俺の心象も悪い。いや、これは俺の妄想で逆恨みだ。俺の心象が悪いのは俺がコネ入社だからだった。 「受け答えも、面白いし。彼独特の視点を持ってますよ。説明役の俺とも積極的に関わってくれるし視野が広い。どこに配属されるかわからないけど彼ならどこへ行っても即戦力になるんじゃないですか」 「お前に絡むのはお前自身に興味があるからだろうが」 「ああ、名字が珍しいから?さっきもその話をしてて」 「馬鹿かテメェは。あとあんま学生と個人的に親しくすんなよ変に勘繰る奴も出てくんだろ」 「ああ……すいません。でもどうせ彼も入社したら私なんかに近付いて来ませんよ」 「チッ!」 霧島は最後にデカイ舌打ちをして喫煙室から出て行った。煙草を吸わない俺を残して。 かくして、五十嵐岳は面接官全員から最高の評価を得てトップの成績で入社して来た。 俺はまあ目出度さ半分、寂しさ半分。 あんなに優しく接してくれた五十嵐君が俺のコネ入社を知ったらどう思うだろう。それを考えると胸がツキリと痛んだ。 だが予想に反して五十嵐くんはいつまで経っても俺に対する態度を変えなかった。それどころか、 「春夏冬さん、今日ご飯行きませんか?」 「五十嵐くん」 部署も違うのに五十嵐くんは驚くほど俺にフレンドリーだった。それどころかまるで友達かのように食事に誘ってくれる。ひょっとして俺がコネ入社だと知らないのか?心苦しくなった俺はある時己の罪を自白した。五十嵐くんの答えは驚くほどアッサリしていた。 「え?別にどうでもよくないですか。そんなのよくある話だし、それに楓さん仕事出来るし」 どうでもいいが五十嵐くんは社外で俺のことを下の名前で呼ぶ。ちょっとキュン。 「いや、仕事は誰でも、」 「ンなことないですよ。楓さんって空気みたいな存在じゃないですか。あ、影が薄いってんじゃないですよ?いて当たり前でいなくなったら困るって意味。楓さんがいなくなるとうちの会社回んなくなるんじゃないですか。上層部何か特にそうだ」 そんな風に言われたのは初めてだった。俺はいたく感動してその日はいつもより酒がすすんだ。五十嵐くんは若いのに酒に詳しくて、彼が勧める酒は驚くほど美味しかった。その日の記憶はそれで終わり。 翌朝俺は会社の仮眠室で目を覚ました。 人の気配にぼんやりと視線を逡巡させる。となりのベッドには般若のような顔をした霧島がいた。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!

29人が本棚に入れています
本棚に追加