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月の残る明け方を意味する「朝月夜」という名前で、彼らは新規のサークルを申請した。受理された日から卒業までの四年間、与えられた小さな部室に入り浸った。移ろう季節を追いかけて、何度も何度も『分子雲』を制作した。書くために時間を捻り出し、書いては読み、読んでは書き、そして創作論をぶつけ合った。合宿と称してログハウスで缶詰になってみたり、文化祭で『分子雲』を販売してことごとく売れ残ったり、そうかと思えば翌年は完売したり。卒業制作として長編をそれぞれ書き、手渡し合った桜の日まで。三人の大学生活は、小説に彩られていた。
エンディング映像のように、四年間の思い出が流れていく。すべてに、小説が関係していた。そして、そのすべてが、茉希と真司がいて初めて成り立つ出来事だった。
感懐が、すとんと胸に落ちる。
二人は、今も昔もずっと、そばにいてくれた。共に夢を追っていた若き日も、自分が小説家としてデビューしてからも、ただ同じに。遠野悟として、ひとりの人間として、彼らは接してくれていた。
もし、このまま自分が死んでしまったら。
二人を、悲しませてしまうだろう。
それが何より、苦しい。
笑っていてほしい。
自分が涙の誘発剤になるのは、嫌だ。
どうか、笑顔でいてほしい。
そのためには。
自分に、何ができるだろう。
できることは、ひとつしかない。
ふと、耳元で声がする。悟はそっと目を開けた。人工的な光が、突き刺さるように眩しい。左手に視線を移すと、丸椅子に腰掛けて会話をする茉希と真司の姿があった。
ああ、生きていた。
部屋に響く電子音が、鼓動を刻んでいる。
身体がずっしりとだるいのも、生きている証拠だ。
「悟?」
現在の、茉希の声だ。覗き込んでくる二人は。
「……大人に、なったね」
うまく声が出なかった。
「どういう意味だ? お前は子供のままだけど」
「そうね、変わらない。三日三晩寝てたみたいだけど、寝る子は育つって、嘘なのかしら」
「背丈だけは、大人なんだけどな。二十八歳の子供」
二人の談笑が、ずっと、続いてくれれば。そのために、悟は決めていた。
「……書く」
「何言ってるの」
ぴしゃりと斬りながらも茉希は、呆気に取られていた。
「何日も意識が戻らなくて、藤野先生には、最悪の事態を想定してできることはやっておいて、とか言われたのよ? 昨日はお母様がいらしてたのに、起きないし。それくらいの状況だったのに、起きてまず『書く』って、悟はもう」
真司が藤野、宮内を呼んで戻ってくる。主治医はまず、悟をさらりとだけ褒めた。が、すぐに表情のネジを締める。
「まだ、予断を許さない状態であることは明らかです。我々も、できる限りのことはしていきます。ですが、医療には限界があるのも、また事実です」
心電図のモニターから、悟へと向けた藤野は、薄い唇をわずかに上げた。
「あとは、遠野さん自身の、生命力にかかっています。生きたいという気持ち、それが何より大事ですから」
「なら、僕は書きます。生きたいと、書きたいは、同じなので」
悟の声には、命の音が共鳴していた。
「遠野さんは、そうですね。それがいちばんだと、僕も思います」
宮内は肯定した。彼は何度も、悟が小説を武器に病と闘うところを視認していた。生きるには、食事や薬だけでは不足する栄養素があると、宮内も知っている。
「ひとつ、お願いがあるんだけど」
藤野と宮内が退室するや否や、悟は口を開いた。茉希も真司も、黙って聞いてくれている。
「もう一度だけ、『分子雲』を作りたい。三人一緒に、『小説』をテーマに」
「本当に、書くの?」
茉希は頷くのを躊躇っていた。小説を書くのには、相当の労力が要る。いくら悟でも、管や機械に繋がれている身体で書くということに、手放しで賛成はできない。
「書かせて。僕から、小説を取らないで」
目を閉ざし、茉希は黙考した。蘇る。書くことについて、悟の意見が誤っていたことは、ない。ずっと書かずにいた自分を創作に連れ戻してくれたのも、スランプから引っ張り上げてくれたのも、すべて悟の言葉だった。
「そうね。悟は、書かなくちゃ」
「よし、決まったな。書けたら連絡してくれ」
真司は腕まくりをした。これから打ち合わせだからと、扉に向かう彼を、悟は声だけで追う。
「あ、想田先生」
「照れくさいからやめろ」
「『エピローグ』の出版はいつですか」
ぴたりと、歩が停止する。ベッドの上にいる悟に、紙飛行機のように言葉を。
「十月十日だ。約束は守れよ。出版されたら読む、お前はそう言ったはずだ」
悟は浅く頷いた。
十月、それはまるで一世紀も先のように感じられる。果たして、自分はどうしているだろうか。
窓の外では、蝉がけたたましく、今を主張している。
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