6話 藤棚

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 桜は散って、今は鮮やかな緑の葉桜となっていた。寒暖差が激しかった時期がようやく終わり、最近は気温も安定して過ごしやすい日が続いている。  朝のニュースで「今日は一日天気がいい」という予報士の言葉に、急遽おじいさんとお出掛けすることになった。おじいさんが定年退職してからは二人でアパートの大家をしているので、予定を立てるというよりは思い立ったら出掛けるということが多くなった。  電車の時間を調べて、間に合うように準備をする。おしゃれにはあまり気を配ってこなかった私は普段と変わらない服を着て、そして最後におじいさんに選んでもらった帽子をかぶって玄関を出た。  電車とバスで約一時間半のところにある県立公園は季節の花が色々と楽しめるので私たち夫婦のお気に入りの公園となっている。今日はその公園にある藤棚を見に行くことにして駅へと向かった。  駅に着いた私たちは自販機でペットボトルのお茶を買って改札を潜った。駅のエスカレーターは下りしか付いていないので、仕方なく階段を上ってホームへと向かう。途中で電車の到着を知らせる音楽が鳴り、私たちは少し急いで階段を上っていった。そしてホームに着いたタイミングでちょうど電車も入ってくるところだった。車内は通勤ラッシュが終わっている時間なので席はまばらだった。おじいさんは優先席に座りたがらないので、一般席に向かって二人並んで座ることにした。リュックを膝の上に乗せて、窓から流れていく景色をのんびりと眺める。おじいさんは車内なんかの公共の場所で話すことが好きじゃないので、時折小声で話しかけるぐらいにして私は景色を楽しんだ。  駅に着いてからは公園に向かうバスに乗り込む。バスは思っていたよりも混んでいて、私たちのような老夫婦や女性のグループが多かった。楽しそうな話し声が木霊するバスは十五分ほどで公園に着いて、皆声を弾ませたまま順に降りていった。  私たちもバスを降りると、なんとなく華やかな香りを感じて、私はもう楽しい気分になっていた。おじいさんもどことなく柔らかい顔をしていて、私たちは花の咲く公園の中へと入っていった。  道すがら色んな花が出迎えてくれるので、私たちは時折足を止めては花を眺めた。そしてその度におじいさんはコンパクトカメラを構えて写真を撮っていた。昔から写真が趣味のおじいさんは、今もスマホで撮るよりカメラがいいらしい。フイルムの時代は一眼レフを使っていたが、デジタルが主流になると持ち運びやすいコンパクトカメラをよく使うようになっていた。  しばらく散策を楽しんでいると、遠くに立派な藤棚が見えてきた。やはり公園に来ている人の多くはこの藤が目的なのだろう。たくさんの人が紫のシャワーを浴びながら、思い思いに花を楽しんでいた。私たちも藤棚の中に入っていくと、紫の花には蝶や蜂が飛びかっていて、風に揺られる藤を私たちと同じように楽しんでいた。そんな時、いきなり大きな黒い蜂が出てきたのでビックリした私を、おじいさんはただ笑って見ていたので拗ねてしまった。不機嫌な私をなだめるおじいさんが可愛くて、帰りにアイスを買ってもらう約束をして私たちは仲直りをした。  そんな風にしながら藤をひとしきり楽しんだ私たちは、他の観光客に頼んで二人の写真を何枚か撮ってもらった。カメラの画面には撮ったばかりの私たちが写っていて、便利な世の中になったなあと思うと同時に、フイルムの頃の現像を待っていたころを懐かしく思うのだった。  その後私たちはベンチに座って休みながらお昼をいただくことにした。昔はお弁当を作って来ていたのだが、今はコンビニで済ませている。理由は単純で、お出掛けをするのがいつも思いついてからになるので準備ができないのだ。それに荷物をできるだけ減らしたいというのもあって、今回もおにぎりとお漬物を途中で買っていた。慣れない手つきでおにぎりの包装を剥がしていく。そして海苔のパリパリとした食感を楽しみながら頬張って、おじいさんとおしゃべりをした。色々な人が公園を行きかっているのを見ながら私たちは穏やかな日を過ごしていった。
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