儀式

1/7
前へ
/7ページ
次へ
 結月(ゆづき)は所謂『ミニマリスト』だ。  不要な物を持たず、必要最小限の物だけで暮らすというのはデメリットもあるが、それ以上にメリットの方が大きいと感じられた。  ミニマリストで良かったと思えることのひとつに、“荷造りの手間が省けること”がある。なぜなら、結月は不定期に引っ越すからだ。  引っ越しの間隔は、三年の時もあれば、一年の時もあり、一番短くて半年という時もあった。だが、仕事の都合というわけではない。 「すごいよね。何回目? 私には絶対真似できないよ。手続きとか色々と面倒でしょ? それなりにお金もかかるし」  口ではそう言いながらも、同僚の美佐(みさ)は羨望の眼差しではなく、冷ややかな視線を向けていた。  価値観は人それぞれで、正解不正解はないと結月は思う。狭小のボロアパートに住む美佐の手首には、高級腕時計が巻き付けられていた。  手続きが面倒だというけれど、近くへの引越しだから役所に転居届を出せばいいだけだ。  運転免許を持っていない結月は当然車も持っていないし、独身で子供もいないからやっかいな手続きはない。会社に住所変更を知らせれば健康保険の手続きはしてくれるし、あとは、電気やガスなどの会社に連絡して、銀行口座とクレジットカードの登録住所の変更をする。それくらいのものだ。  結月は大手出版社に勤めている。  年収でいえば、同年代女性の平均を優に越える。仕事は忙しく労働時間に見合っているとは正直言い難いが、まだギリギリ二十代で無理がきくし、やりがいもあった。  恋人の雅人(まさと)と付き合ったのは今のマンションに引っ越してすぐだったから、丸二年になる。不規則な勤務時間に加えて、休日もあってないようなものだから、デートはいつも恋人が都合をつけることになる。もしくは、放置プレイを楽しめる相手に限定される。それが無理ならば付き合うのは難しい。  勤務時間が不規則な分、通勤にはあまり時間をかけたくなかった。会社から電車で六駅の駅近物件はまずまずだった。  今日は珍しく早い時間に退社でき、結月の足取りは軽かった。といっても、スーパーに寄って家に着いた頃には、午後八時を少し回っていた。  玄関ドアを開けると目に付くのは男物の大きな靴で、新品だけれど少しくすんでいる。これは女の独り暮らしの防犯対策で、もう何年も玄関に置かれている物だ。  短い通路の左側はキッチン、右側はトイレと風呂と洗面所。そこを抜けると七・五帖の洋室がひとつ。さらに奥にはバルコニー。  部屋の様子を目にした結月は、大きなため息を吐いた。  明らかに部屋の雰囲気と不釣り合いなカラーと大きさのソファーベッドの上には、衣類が散乱している。お気に入りのローテーブルには、ビールの空き缶や飲みかけのペットボトル、コンビニ弁当の残骸が放置されている。すべて雅人の仕業だ。  そろそろ引っ越そうか。  結月の頭にはそんなことが浮かんでいた。
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!

17人が本棚に入れています
本棚に追加