Ⅲ.空

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「神子よ」  ある時、空を見ようと廊下を歩いていた私を呼び止める声がする。目を向ければ皇帝だった。皇帝は新たに自国の領土となった国々を巡り、一月ほど城を空けていた。 「陛下、お帰りでしたか」 「ああ、久方ぶりだ。其方の麗しい顔が見られて嬉しい。息災だったか?」  私は頷き、丁寧に礼を返した。皇帝がほう、と目を見張る。彼が留守の間に、ノイエがたくさんの教師たちを連れてきた。私に必要なのはエルドアートの礼儀作法だと、毎日みっちりと叩きこまれたのだ。おかげで暇な時間も眠る時間も減ってしまって、私の楽しみは側塔に上り、空と大地を見ることだけだった。  皇帝への挨拶も済んだので、私はさっさと空を見に行きたかった。では失礼しますと言えば、機嫌のいい皇帝にどこへ行くのかと聞かれる。 「ノイエから素晴らしい場所を教えてもらいました。とびきり空がよく見えますので、そちらへ」 「では、私も行こう。其方の気に入りの場所が見たい」  私は驚いて皇帝の顔を見た。陛下がおいでになるような場所ではありません、と言えば其方は行くのだろうと怪訝な顔をされる。一向に引き下がる気配がないので仕方がない。皇帝と一緒に行くことにした。  側塔に上る階段まで来ると、皇帝はおや、と言いたげな顔をする。私は皇帝をじっと見た。 「陛下、私がここに来てることを、ノイエには言わないでくださいね」 「……うむ」  強く言ったせいか、皇帝は神妙な顔をしている。私は先に立って階段を上り、重い戸を開けた。晴れ渡った空はどこまでも青く美しい。今日は雲一つない日だったが、一際風が強い。 「空が見渡せて、とてもきれいでしょう……わっ」  突風が吹き、よろけて壁にぶつかりそうになったところを皇帝に支えられた。礼を言えば、頭上から大きなため息が聞こえる。 「こんな細い体で、供の一人もつけずに上っていたのか? この城は丘の上に立っていて格別に風が強い。今のように吹き飛ばされでもしたら、壁の向こうにまっさかさまだ!」  そんなことを言われても困る。いつも一人で気ままに上っていたのに。瞳を瞬いていると、くるりと体の向きを変えられた。皇帝の厚い胸が私の背にぴたりと張りつき、逞しい腕が、がっちりと私の腰を掴んだ。私は皇帝の胸の中で身動きが出来ない。ちらりと見上げれば、真剣な目があった。 「陛下?」 「これなら、万一にでも其方が風に飛ばされる心配はない。空でも何でも、好きなだけ見ろ」 「ええぇ……」 「嫌そうに言うな!」  皇帝の胸は温かく、むず痒いような不思議な気持ちがした。黙っていると皇帝が笑う。
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