1.花食みと花生み

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1.花食みと花生み

「おいで、俺のブーケ」  彼は何度となく僕をそう呼んだ。その声はどこまでも優しく甘い。まるで耳の奥から体を蕩かすような声だ。  うっとりしながら声の主を探せば、その姿は逆光の中にいて、輪郭だけしか見えない。もどかしい思いで走り寄ると、広い胸に優しく抱きとめてくれる。そうだ、この腕の中にいれば、たちまち心が満たされる。優しい手が何度も僕の髪を撫で、見上げれば額に口づけられた。胸がじわりと温かくなり、体が仄かに熱を帯びる……。  ✿✿✿ 「おはようございます。起床時間になりました。全ての寄宿生は直ちに身支度を整え、朝食に向かってください。繰り返します、起床時間です……」  感情のない声の後に、ウーウーウーと、甲高いサイレンが鳴り響く。はっとした時には、白い光が瞼に突き刺さった。窓のない部屋の明かりは朝六時に一斉点灯し、夜八時には消灯する。  僕は吐き気のする怠い体をベッドから起こして頭を振った。夢の余韻はあっという間に消える。部屋の中にはベッドとクローゼット、それから学習用の机と椅子があるだけだ。広さばかりがある殺風景な部屋は、いつもと何も変わらない。唯一つを除いて。  ベッドから下りてクローゼットを開ければ、シャツと制服が入っている。部屋着を脱いで、素早くシャツを手に取った。  クローゼットに備え付けの鏡を見ながら、髪をとかした。淡い茶色の瞳に、同じく色素の薄い茶色の髪。毎日ブラッシングしないとすぐに絡まってしまう細い髪を、彼はよく綺麗だと褒めてくれた……。  ぼうっとしそうになったところに、六時十分のサイレンが宿舎に響き渡る。せめて、もっと心が弾むような音楽にすればいいのに。もっとも、二度寝しがちな学生を容赦なく起こすには丁度いいのかもしれない。今から七時までに食堂にいない者は、必ず舎監の訪問を受けることになるのだから。  もう一度鏡で確かめれば、顔色は悪いが他は合格点だ。この学校では「服装の乱れは心の乱れ」と言われている。校則に違反すれば、すぐに呼び出されるのだ。  自分の部屋を出ると、ちょうど隣の部屋から従兄弟(いとこ)陽向(ひなた)が出てきたところだった。僕たちは同い年で、母たちが姉妹だ。陽向が心配そうに僕を見る。 「おはよ、(なぎ)。大丈夫? 具合悪そうだけど」 「ありがと、何だかずっと食欲がないんだ」  そう言った途端に、体がふらついた。陽向が飛び出してきて支えてくれる。僕の制服の袖からふわりと白い花びらが落ちた。自分のこぼした花びらを拾うと、陽向が仰天して僕の手首を握った。いきなり手首を握られて驚いたが、陽向は眉を顰めて、細すぎ……と呟いた。すぐ間近に顔を寄せられる。
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