3.この花は彼のもの

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 彩人が振り返ると、離れていた花食みたちが近づいてくる。僕は思わず後ずさった。 「みんな、お前の花を味見したいって言うんだよね。お試しってやつでさ、いくつか咲かせてくれない?」  「花生みは、自分の命を削って花を咲かせるんだ。簡単に咲かせられるわけじゃないし、好きでもない奴に渡したくない」 「お綺麗な花は、言うことまでも綺麗だねえ。まあ、いつまでもつか知らないけど」  後ずさった先にあったのは、(ひのき)の大木だった。背にどんと幹がぶつかって、逃げ場を失う。逃げなきゃと思うのに足が震え、喉がからからに乾いていく。花食みたちが近づいてきて、腕をぐっと掴まれた。嫌だ、と叫んだつもりが声が出ない。自分の口を塞いだ手に思い切り噛みついた時だった。 「凪!」  懐かしい声が聞こえた。何度も何度も夢の中で聞いた声と同じ。  ……これは、幻聴なんだろうか。  僕の口を塞いでいた手が消え、目の前の男が投げ飛ばされた。体を掴んでいた手の持ち主が引き剥がされ、地面に叩きつけられる。花食みたちに向かった男は、驚くほど腕が立った。僕を取り囲んでいた花食みたちも、様子を見ていた彩人も、あっという間に殴り倒されていく。僕はもう体に力が入らなくて、ずるずるとその場にしゃがみこんだ。 「大丈夫か、凪」  薄暗がりの中で、温かい手が差し出される。腕に掴まって起き上がろうとすると、たちまち抱きしめられた。 「無事でよかった。俺のブーケ」  ――俺のブーケ。  僕をそう呼ぶのは、一人しかいない。対花の司狼だけだ。   ブーケ、花束、瑞花(ずいか)。   どれも、花食みが自分の対花を愛情こめて呼ぶ言葉だ。もう長いこと、僕にその愛の言葉を囁く者はいなかった。  頭の中は混乱したままだ。司狼がここにいるわけがないのに。  僕は無理やり顔を上げた。目の前の体をぐいと押すと、そこにいたのは昴だった。 「……何で」  昴は司狼じゃない。顔も声も似ているけれど、僕の花を欲しがらない。  抱きついたのがきっかけで話すようになって、陽向と三人で毎日のようにご飯を食べているクラスメイト。 「……まさか、司狼?」  僕の目の前で、昴の姿がぐにゃりと歪んだ。  目を開けると、そこはベッドの上だった。天井を見ると寄宿舎のようだけど、ここは花生みの部屋じゃない。花生みの部屋なら、必ずどこかに花の香りが漂っているものだ。それに、僕たちの部屋は大きな一部屋だ。ここは隣にも部屋がある。僅かに開いたドアからは、小さな話し声が聞こえていた。電話で話しているのか、相手の声は聞こえない。  起き上がって辺りを見回すと、はっとした。ベッド脇の壁に、ガラスが嵌められた額が飾られていた。その中にあるのは花だった。まるで、生み出された時のまま時間を止めたように美しい花。 「こ、これ」  ――僕の花。  これは、僕が生んだ芍薬だ。
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