1.幼き日

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「フロル、だ。例え子どもでも、お会いしたら礼を尽くさなければいけないよ。身分はあちらの方がずっと上だからね。もっとも、お話しする機会があるかどうか……」  兄が言い終わらぬうちに、馬車は大きな門をくぐっていた。馬車回しには何台もの馬車が連なり、たくさんの使用人たちが並んで客を迎えていた。僕は兄に手を取られて馬車を下りたものの、あんぐりと口を開けてしまった。  自分の知っている貴族屋敷とはあまりにも違い過ぎた。見上げるほどの大きな建物は一体部屋が幾つあるのか想像もつかない。客を迎えるための表玄関は大きく開かれ、着飾った人々が流れるように吸い込まれていく。促されるままに入っていくとすぐに大きな広間があり、高い天井には花々を模した金の文様が描かれている。そして、昼にも関わらずたくさんの魔石を使った燭台が部屋のあちこちに燦然ときらめいていた。 「皆様、本日はようこそお越しくださいました!」  朗々たる声が響き、それまで談笑していた人々の声がぴたりと止んだ。威厳に満ちた男性が視線を動かすと、青年が一人の少年の手を取って中央に姿を現した。人々の視線が一点に集中し、少年は周囲を見回してにっこりと微笑む。  銀の髪は後ろで一つに結ばれ、大きな紫水晶の瞳が輝いている。真っ白な肌の中で唇だけがほんのりと赤みを帯びていた。白地に銀糸の衣装を纏った姿は、まるで精巧に作られた人形のようだ。 「この度は、わたくしのためにお集まりいただき、ありがとうございます。このひと時を皆様方と共に過ごすことができますことを、大変嬉しく光栄に思います」  美しい人形がよく通る声を発し、人であったとわかった時。さざ波のように広間に感嘆のため息が漏れた。 「……あれがフロル様だよ。いずれは、このシセラの王の伴侶となられる方だ」  兄が陶然と見惚れた少年は、フロル・クラウスヴェイク。シセラ王国きっての大貴族、ルドルフ・クラウスヴェイク公爵の末子だった。父方は王家に、母方は宰相家に連なるという。  僕はただ茫然と、人々が囁き交わす言葉を聞いていた。自分の目に映るあの綺麗な生き物が、自分と同じ人間だなんて、とても信じられなかった。  たくさんの大人が、父の公爵と長兄の間に佇む一人の少年に礼をとる。それに彼が微笑んで何か答えるたびに、賑やかな笑い声が起こるのだ。兄に自分たちも挨拶に行こうと言われた時、僕は怖気(おじけ)づいた。あんなに綺麗な生き物に何を言っていいのかわからない。兄がいるから、僕は何も言わなくてもいいのだろうか。  自分たちが挨拶をする番になった時、僕は緊張してかちこちになっていた。兄が一通りの口上を述べる間、紫水晶の大きな瞳はきらきら輝いて僕を見ていた。思わず見とれてしまって、兄が僕に言葉を促しているのにも気づかない。目の前の少年が一歩踏み出して、安心させるように僕の手を握った。 「今日はありがとう。ゆっくりしていってね」  僕はただ黙って頷くだけだった。顔がやたら熱くて仕方がない。
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