2.惜別の日

1/4
前へ
/65ページ
次へ

2.惜別の日

「起きろ!」  鋭い声が耳に響く。硬い石の床が、遠い日のバルコニーでの記憶を思い出させたのか。体を起こすと、兵士がさっと後ろに下がるのが見えた。霞む目に見えるのは、豪奢なマントを羽織り牢の前に立つ男だ。この場に最もふさわしくない男。自分を見下ろす青い瞳は冷え切っている。 「牢に入れられてもう二月(ふたつき)にもなるのに、元気そうだな」  何の感情もこもっていない声が響く。その言葉に自分でも予想しなかった笑いが漏れた。元気なわけがない。毎日僅かな食事は与えられるものの自由はない。地下牢全体に魔術師たちの結界が張られ、二度と陽を見ることは叶わないのだ。それでも、命があるだけ有難いということか。   鉄柵が革靴で大きく蹴りつけられた。僕が笑ったのが余程気に入らなかったのだろう。貴人とは思えぬ態度に兵士が小さく叫び、下がっていろとの怒鳴り声に走り去る。 「何の御用でこんなところにいらしたのですか? 殿下のおいでになるような場所ではないでしょうに」 「……貴様の減らず口をいっそ止めてしまえればと思うが」 「すみません。貴重なオメガだからと命を助けていただきましたのに」  地下牢に捕らえられた僕は公開処刑にされるはずだった。  ――王太子をたぶらかし、シセラの宝ともいえる美しい公爵令息を失わせた大罪人。その罪は万死に値する。  公爵をはじめとした貴族たちの怒りは激しかった。すぐに殺されると思っていたのに、慈悲深い弟王子が父王とクラウスヴェイク公爵に僕の命乞いをしたのだ。 『確かにこの者の犯した罪は重大です。しかし、アルファでありながらオメガに付け入る隙を与えたとは、王太子である兄上の不注意も大きい。そして、このシセラはオメガを大切にすることで諸国に名を知らしめた国ではありませんか』  暗にユリオン王子は言ったのだ。オメガだけを処罰するのはいかがなものか、と。怒りは人の正常な思考を鈍らせる。最愛の我が子を失った公爵は不敬も顧みずに言い放った。 『レオン王太子もこのオメガ同様、罪人ではないか。我が子は絶望して国を去ったのに、陛下は殿下をお許しになるのか』  貴族たちの混乱を収めると共に国王は王太子の処分を決めなくてはならず、僕の処分は後回しとなった。 「そうだ、貴様の命は私次第。父上も後は私に任せると仰った。今や次代の王であるこの私に」  レオン王子は北の塔へ幽閉され、廃嫡となった。王太子の座は弟であるユリオン王子のものだ。全てが彼の思惑通りに進んでいる。……そのはずなのに。目の前の王子からは、少しも喜びが感じられない。 「この先、シセラの全ては殿下の思いのままではないですか。……兄君を無事に追い落とすことができたのですから」  青い瞳がゆらりと揺れた。その瞳の中には仄暗い怒りがある。  牢の中の空気が歪み、僕の目の前にユリオン王子が立っていた。床に座り込んでいる僕を見る目は、まるで虫けらを見るようだ。彼の魔力なら今すぐにでも僕の息の根を止められるだろう。
/65ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1347人が本棚に入れています
本棚に追加