2.惜別の日

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「それは私に対する皮肉か?」 「なぜ、皮肉など申し上げる必要が? それに、殿下に言われるままに私は動いたはずです」  形のいい眉が吊り上がり、目が細められる。ユリオン王子は黙ったまま、僕の左足を思いきり蹴った。 「ッ!」  僕は言葉もなく床に転がった。猛烈な足の痛みに息をするのも苦しい。左のくるぶしの骨は一月前に砕かれ歩けなくなっていた。それは、目の前の王子の命令で行われたものだ。 「確かに貴様は上手く二人を引きはがした。……だが、あの方を竜に奪われるなどあり得ない!」  ユリオン王子の怒りは全て、唯一人を手に入れられなかったことにある。彼は兄を追い落とし、世に並びなきオメガを手に入れたかった。彼が幼い頃から恋焦がれた美しいオメガを。だが、当のオメガは何もかもを捨ててシセラから消えてしまった。  王子は、痛みにあえぐ僕を見て大きなため息をついた。そして、牢の外へと転移すると、何事もなかったように地下牢から地上への階段を進んだ。  おそらく僕は、王子の怒りのはけ口なのだ。そのためだけに生かされている。臣下の信頼が厚く人望もある彼が、自分の感情を無闇(むやみ)に他人にぶつけるのは好ましくない。でも、大罪人ならば話は別だ。王太子妃の座を狙ったオメガなど生かされていること自体が幸運だ。片足を砕かれるだけで済んだことに感謝しろと、誰もが思うだろう。  表と裏の顔を器用に使いこなす。彼は真正直な兄よりも余程、為政者にふさわしいと思った。  王子が去って、ようやく僕は息をついた。なんとか体を起こし、壁に背をつける。体中に嫌な汗をかいていた。  ……僕は、一体どこで間違ったのだろう。何度となく考えたけれど、考えても仕方がないことだった。僕の訴えを聞いてくれる者など、もはやどこにもいないのだから。  母を病で亡くした後、兄は友人と共に他国との貿易に明け暮れていた。貴族なのにまるで商人のようだと嘲笑されたが、母の治療にかかった金は莫大な借金となっていた。屋敷を売り払ったら、父は今度こそ生きる望みを失くすだろう。借金を返すためには、自ら働くしかない。貴族としての体面など考えてはいられなかったのだ。  兄はシセラよりも他国にいることが多く、僕は兄に頼み込んで共に他国に渡った。兄たちの下働きをしていると様々な国の人々と出会う。その時に、ふらりと風変わりな魔術師が現れたのだ。 「面白い。お前には人の心を操る隠れた才がある」  彼はそう言って、僕に魅了魔法を教えた。兄は嫌がったけれど、魅了は取引相手の心を簡単に捉えることができる。僕の習得した魔法は重宝され、兄と友人の商売は大きく広がった。すっかり商売が軌道に乗った頃、兄の友人が真剣な顔で僕に言った。  ……とある王族からの頼みごとがある、と。  僕の魅了魔法を使ってほしい相手がいる。報酬はこちらの望むままに払うと言う。
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