伸明 16

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 結局、気の乗らないまま、ずるずると、五井記念病院にやって来た…  正直、長谷川センセイに、会いたいのだが、その一方で、会いたくないような…  そんな矛盾した気持ちで、やって来た(苦笑)…  思えば、32年生きてきて、こんな気持ちになったのは、初めてかも、知れなかった…  まるで、初恋に似ている…  ふと、そう、気付いた…  好きな男ができた…  学校に行けば、会える…  が、  会いたいのだが、一方で、会いたくない気持ちもある…  好きなのに、なぜ、会いたくないのか?  それは、恥ずかしいから…  私が、その男を好きだと、その男に気付かれるのが、恥ずかしいから…  そういうことだ…  実に、矛盾しているが、これは、ありがちなこと…  とりわけ、思春期にありがちなことだからだ…  思春期の男女は、とりわけ、恥ずかしがる…  それは、二十代、三十代の男女の比ではない…  だから、恥ずかしい…  相手が、どう思っているのか、わからないのに、自分だけが、一方的に、好きなのは、恥ずかしい…  そういうことだ…  そして、それが、若さなのだと、思う…  なぜなら、私は、今さら、そんなことを、恥ずかしがる年齢でも、なんでもない…  おそらく、同じ状況になっても、それほど、恥ずかしく感じない…  だから、ずうずうしくなったというか…  歳をとって、オバサンになったと、自分でも、思う(苦笑)…  さすがに、男のひとを前にして、裸になるのは、恥ずかしいが、それでも、十代や二十代前半のときの恥ずかしさは、ない(爆笑)…  つまり羞恥心がなくなったとまでは、言わないが、だいぶ薄らいだとでも、言うべきか?  私は、そんなことを、思った…  そして、そんなことを、思っていると、実は、今、長谷川センセイに会おうとする、今の行動…  これこそが、羞恥心が、薄らいできたというか…  オバサンになった証拠では、ないかと、気付いた…  とてもではないが、十代や二十代では、できない…  そんな大それたことは、できない…  大胆というか…  十代、二十代当時の私から、見れば、ありえない行動だからだ…  天下に知られた五井家の内紛に、自分が、首を突っ込むなど、ありえない行動だからだ…  だから、自分の行動に驚いた…  自分自身で、自分の行動に驚いた…  そして、一方で、そんなものかも、しれないとも、思った…  自分も、若いときには、学校で、男でも、女でも、誰か、特定の好きな相手がいて、それを、周囲の者が、皆、知っている…  それを、見て、笑っていたり、陰で、冷やかしていたりする者が、いたが、今は、それも懐かしい…  歳をとり、ずうずうしくなって、今では、そんなことは、できないからだ…  だから、羨ましい…  ある意味、それができた当時が、羨ましい…  当時の若さが、羨ましい…  そう、思った…  そして、そう思いながら、五井記念病院のロビーで、初診の受付を済ませ、外科の部屋に入った…  長谷川センセイに会うために入った…  待合室で、少し待って、会った長谷川センセイは、いつもと、変わらなかった…  「…お久しぶりです…寿さん…」  長谷川センセイが、言う…  「…こちらこそ、ご無沙汰しています…」  私は、丁寧に腰を折って、長谷川センセイに挨拶した…  「…どうぞ、お座り下さい…」  「…ハイ…失礼します…」  私は、答えて、長谷川センセイの目の前の椅子に座った…  「…どうですか、調子は…」  「…だいぶ、良くなりました…」  「…そうですか…それは、良かった…」  長谷川センセイは、言う…  が、  これは、あくまで、以前、ジュン君にクルマではねられた後遺症のこと…  癌のことではない…  長谷川センセイは、あくまで、交通事故の後遺症の話をしているのであって、私も、その話をしている…  そういうことだ…  そして、長谷川センセイと、そんな話をしながら、わざと、  「…アレ、今日は、長井さんが、いないのですか?…」  と、言った…  事実、いなかった…  この診察室にいなかった…  「…ええ、今日は、彼女は…」  「…お休みですか?…」  「…ええ、まあ…」  曖昧に返事をした…  私は、やはりと、思った…  マミさんの言う、五井長井家…  あの長井さんは、五井長井家の人間に間違いない…  私と会うために、この五井記念病院にやって来た…  この五井記念病院で、叔父の長谷川センセイの元で、看護師をして、私が来るのを、待っていた…  そういうことだろうと、思った…  そして、前回、私と会ったことで、その目的を果たした…  だから、今日は、いないのだろうと、思った…  あるいは、違うのかも、しれない…  そうでは、ないのかも、しれない…  が、  どうしても、そう思ってしまった…  どうしても、マミさんの言葉が、頭にあるからだ…  だから、そう、思ってしまった…  そういうことだ…  が、  私が、そう思っていると、長谷川センセイが、  「…いまどきの子ですからね…」  と、いきなり、言った…  苦笑しながら、言った…  …いまどきの子?…  …一体、どういう意味なんだろ?…  私は、思った…  私は、考えた…  「…センセイ…それは、どういう…」  「…思った仕事と、違うというか…看護師という仕事が、思ったより、激務で、疲れちゃったというか…」  長谷川センセイが、苦笑する…  「…それで、お休みを?…」  私は、聞いた…  「…そういうことです…」  長谷川センセイが、我が意を得たりと、頷いた…  私は、驚いた…  正直、驚いた…  意外な展開だった…  予想外の展開だった…  まさに、思ってもみない展開だった…  だから、どうして、いいか、わからなかった…  これから、長井さんのことを、皮切りに、五井長井家のことを、この長谷川センセイに、聞こうと、思っていた…  それが、あっけなく、出鼻をくじかれたというか…  その話が、できなくなったと、思った…  うまく、その話を切り出すことが、できなくなったと、思った…  …どうしよう?…  …どう話すべきか?…  心の中で、悩んだ…  心の中で、葛藤した…  すると、だ…  長谷川センセイが、  「…なにしろ、お嬢様ですからね…」  と、苦笑しながら、切り出した…  「…看護師という仕事を、甘く見たのかも、しれません…いや、看護師という仕事だけじゃない…なんでも、そう…なんでも、軽く見てしまう…簡単にできると、考えてしまう…」  長谷川センセイが、苦笑しながら、続ける…  「…彼女を見ていると、純粋で、性格もいいんですが、それが、いいことか、悪いことか、よくわからなくなってしまう…」  「…どういう意味ですか?…」  「…苦労知らずというか…あまりにも、世間知らずだから、物事を軽く考えすぎるというか…悩まない…だから、今回の件も…」  そう、言って、苦笑した…  「…もっとも、それは、若い頃の自分も同じかも、しれない…なにしろ、叔父と姪ですから…でも、ボクは、彼女ほど、裕福では、なかったから、違うかな…」  と、苦笑しながら、続ける…  私は、驚いたが、内心しめしめと、思った…  話が、うまく、自分の思う通りに、転がったというか…  自分の希望する展開になったと、喜んだ…  だから、  「…センセイ…彼女…長井さんって、そんなに、お嬢様なんですか?…」  と、聞いた…  わざと、聞いた…  すると、  「…ええ…お嬢様ですよ…」  と、あっさりと、長谷川センセイが、肯定した…  「…寿さんは、ご存じでしょうか?…」  「…なにをですか?…」  「…五井一族…」  「…五井一族が、どうかしたんですか?…」  「…五井は、十三家…世間では、五井十三家と呼ばれている…」  「…」  「…五井は、本家を筆頭に、東西南北の4家…つまり、五井東家、五井西家、五井南家、五井北家…これが、メイン…それ以外に8家あり、その中の一つ、五井長井家のお嬢様です…」  「…エッ?…」  私は、驚いたフリをして、見せた…  ホントは、事前に、マミさんから、聞いて知っていたのだが、わざと、驚いたフリをして、見せた…  その方が、私にとって、都合がいいからだ…  だから、驚いたフリをして、見せた…  が、  長谷川センセイは、冷静だった…  おそらく、私の態度が、芝居がかった、おおげさな態度に、見えたのかも、しれない…  「…寿さんも、ご存じだったでしょ?…」  と、笑いながら、長谷川センセイは、私に聞いた…  が、  目は、笑ってなかった…  少しも、笑ってなかった…  そして、長谷川センセイのその目を見て、わざと、私に、長井さんの正体を明かしたな?  と、思った…  わざと、自分から、長井さんの正体を明かして、私の反応を見ようとした!…  それに、気付いた…  長谷川センセイの目的に、気付いた…  だから、それに、気付くと、  …どうしよう?…  と、思った…  知っているフリをするか?  はたまた、  知らないフリをするか?  悩んだ…  悩み抜いた…                <続く>
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