花咲き事件 4

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花咲き事件 4

 翌日。  草薙は会議室の机に突っ伏していた。ノートパソコンを枕代わりにして微動だにしない。  昨日から仮眠を取ったものの、疲れは取れなかった。Y小学校から借りてきた訪問者リストと照らし合わせながら、監視カメラの映像を穴が開くほど凝視していたためだ。 「お疲れ様」  コンビニから帰ってきた宮寺は、ビニール袋を机に置きながら言った。差し入れのつもりだったが、草薙の反応は薄い。 「はあー。監視カメラの映像、もう見たくありません。結局帰れなかったし」  大きなため息を吐いた後、曲がっていた背中をゆっくり伸ばす。片手で目を抑え、画面を見て疲れ切った目を労わる。 「はは、あのくらいで根を上げるのかい。老眼になるともっとつらいぞ」 「それはまだ大丈夫ですー」  宮寺の冗談に、力を入れた声で答えた。  一言お礼を言いながら、袋から缶コーヒーを取り出す。一口飲めば、張りつめていた空気から解放された気分になる。今まで見ようとしていなかった腕時計に視線を落とし、思った以上に時間が経っていたことに驚きを隠せなかった。思わずコーヒーを吹き出しそうになり、慌てて前かがみになる。道理で外も明るいはずだ。  片手で口元を拭い、書類に目を通す宮寺を一瞥する。彼はパソコンの横に置いてあった、Y小学校の訪問者リストを見返していた。赤い丸がつけられた箇所には、同一人物の名前が書かれていた。それらを確認すると、宮寺は紙を指で弾き、机に戻した。 「防犯カメラを確認したお陰で、気になる人物が浮上したじゃないか」  手がかりがあったことを喜ぶべきだ、と宮寺は語る。その目はどことなく眠たそうだったため、草薙もこれ以上言い返す気にはなれなかった。  ふと、勢いよく席を立つ刑事がいた。管理官の垂水が入室したためだ。  垂水が指定の席に着くと、足早に歩くヒールの音が聞こえた。資料を携えた雨宮だった。 「垂水管理官、報告です。被害者たちの接点が分かりました。全員、都内S区の献血ルームの利用者でした。帳簿に記録があります。今、関係者から話を伺っています」  捜査本部の空気が変わった。ほかの刑事たちも耳を傾け、近くの同僚や上司と互いの意見をすり合わせ始める。各々の推測が行き交い、次第に声も大きくなる。 「静かに」  垂水が一喝し、雨宮に続けるように促す。  その様子を、宮寺は黙って観察する。 「……」 「宮寺さん? ぼーっとして、どうかされました?」 「うん、考え事をね」  雨宮の声に耳を傾けるようジェスチャーで指示され、草薙も視線を宮寺から逸らした。 「この件が不思議で、利用者には専用のメンバーズカードを渡しているそうですが、被害者たちの所持品の中に、それらしきものはありませんでした。推測ですが、犯人が持ち出しているものと思われます。引き続き、確認します」 「犯人にとって、この接点は隠しておきたかったのかもしれない。カードを見つければ重要な証拠にもなる。捜査員を献血ルームに増援。至急、捜査にあたってくれ」 「はっ」  指示に従い、雨宮は捜査に当たろうと踵を返す。もう一度資料を見ながら歩いていたが、やがて足を止めた。目の前に宮寺が立っていたからだ。 「雨宮君、顧客リストはあるかい」 「こちらです」  雨宮から資料を受け取ると、宮寺は数十枚あるページを捲り、利用者の名前を確認していく。五十音順になっていた資料を漁り、半分まで来たところで手を止めた。 「何か気になるのなら、詳しく」  様子を遠目から見ていた垂水が、しびれを切らす。 「失礼しました。Y小学校の教員に献血ルームの利用者がいたもので、こちらではないかと思い確認しました。どうも、被害者たちと同じ献血ルームを利用しているようです」  部屋の真ん中から宮寺が発言する。みんなの視線がぐっと部屋の中央に集められる。 「それと、雨宮君。職員のリストはあるかい」 「はい、こちらが職員のリストです」 「私の勘が正しければ――ああ、ありました」  職員リストを手にとりながら、宮寺は垂水に提案する。 「管理官。献血ルームに行く彼女たちに、ひとつお願いをしたいのですが」  捜査本部から出たあと、草薙たちは真っ先にY小学校の教員、四月朔日を訪れた。任意の事情聴取として本部に連行し、取調室に彼女を通す。草薙の横を通りすぎたときに、耳から下がったイヤリングが光る。彼女が奥の席に座ると、宮寺が対面の席に着いた。  草薙はあらかじめ宮寺から受けた指示のとおり、隣の部屋へ入った。マジックミラー越しに取調室を観察することができる。  改めて、草薙は四月朔日の容姿を観察した。少しだけ巻かれた毛先を辿れば、頭の後ろには控え目にリボンが垂れ下がっている。宮寺の話に相槌を打ったときに、左手で髪を耳にかけた。中指に嵌めた指輪が光る。 「……綺麗な人だなあ」  ぼんやりと眺めながら、草薙がつぶやく。自分でも何を言っているんだと呆れ、頬を両手で叩いて気合いを入れ直した。 「こんにちは。昨日ぶりですね」  鏡越しに聞こえる上司の声はいつも以上に、安心感をもたらすような、落ち着いた声をしていた。 「……話ってなんでしょう。あまり学校に来られても迷惑なので、来ただけですが」  一方で、四月朔日は視線を逸らしたり、動作が多かったりなど、少し怯えているようだった。  こんな場所に連れてこられる経験などないのだろう。四月朔日は初めて学校で会ったときよりも落ち着きがなかった。慣れていない場だと宮寺も理解しているからこそ、彼女の緊張をほぐそうとしていた。 「以前、貴方は花が好きだと仰ってましたね。実は高校生の娘に贈り物をしたくて。どんな花がおすすめですか」  にこにこしながら、宮寺は問うた。 「まさか、そんなことのために呼んだわけじゃないですよね」  間を置いてから、首を傾げた四月朔日が返す。 「先生なら、お詳しいかなって」 「――娘さんは、どんな方ですか」  観念した様子で、四月朔日は口を開いた。机の上に腕を乗せ、前傾姿勢をとる。宮寺との距離が少し近づいた。  一方、彼女たちの様子を別室から見ていた草薙は腕を組んでいた。 「全く事件に関係ないような……宮寺さんは何を聞いているんだ?」  独り言をぽつりと呟いていると、後ろに人の気配を感じた。振り返れば、柿崎部長が立っていた。 「か、柿崎部長!」 「ふふ、楽にしてくれて結構。ノックをしたんですが、気づかなかったようですね。集中していて感心です」  突然の来訪に驚いていると、柿崎は取り調べに集中するよう促した。 「事件についてばかり聞くと疲労するので、ああやって緊張をほぐしているんです。相手の懐に入るのが、あの方のスタイルですよ」 「それで事件とは無関係のことを」  草薙は感心する。同時に、自分は勉強不足であることを自覚した。 「それに、大抵の被疑者は回答を用意してくるものです。こうやって答えよう、あるいは逃れよう、とね。関係のない質問をぶつけて、被疑者の『素』を引き出す意味も兼ねてますね。その点、彼はとても回すのが上手い」 「なるほど」  草薙は再び、宮寺たちの言動に注目する。 「――教えていただいてありがとうございます。参考にします」 「花屋にでも聞けばいいのに」  一通り終わると、四月朔日は背もたれに背中を預けた。入室した先ほどよりリラックスした様子で、まさしく柿崎が言っていたとおりになったと、彼を一瞥する。 「教えてくださって助かりました。献血にも行かれるくらいですから、献身的な貴方なら丁寧に教えてくれるのではないかと思いまして」  四月朔日はまだ、深く椅子に腰かけている。 「ポーチについていたグッズは、三回以上献血をされた方に贈られる非売品だそうですね」 「え、ええ」  四月朔日が視線を逸らす。その様子を、宮寺は逃さなかった。 「ところで、愛川(あいかわ)花鈴(かりん)という方をご存じですか?」 「……っ」  四月朔日の目が見開いた。ガラス越しに見ていた草薙でも、彼女の反応は分かりやすかった。俯き加減で丸まっていた背筋が伸び、強張った表情のまま宮寺を捉えている。  まるで何かを見透かされると、怯えるように。 「そうです、ね。元教え子です。それが何か」  草薙ははっとした。愛川花鈴。献血ルームにいた職員の一人であり、小学校に出入りしていた女性だ。Y小学校の卒業生であり、四月朔日の教え子という接点が見つかったのは大きな進展だ。 「この方はY小学校にたまに顔を出しておられるようですが、卒業後も会ったことはありますか」 「どうだってよくありませんか」 「どうでもよくはないので、お伺いしています」  間髪入れずに、宮寺は問い詰める。左耳につけたイヤホンを指で数回叩く。四月朔日の目にはイラついているように見えたのか、しばらく、彼女の沈黙が続く。  緊張が走る様子に、別室の草薙も生唾を飲み込んだ。 「どうして、あの人は愛川さんについて答えないんでしょうか」  草薙の疑問は、柿崎に向けられた。 「それは、おそらく探られたくないものがそこにあるのでしょう。君、彼女のことをどう思いますか」 「どうって……そう言われると、妙というか」  質問で返され、草薙は改めて四月朔日を観察する。  綺麗な人だ。だが、同時に違和感も覚えた。 「気を張ったような、人を寄せたくないようなオーラを感じるんですけど、宮寺さんの娘さんの話になると親身に話を聞いていて。多分、この人の『素』って人の相談に乗ったりする、優しい人柄ではないかと。あと、なんとなくですけど、事件に興味がないと言っていたけど、何かを隠しているように思うんです。あくまで僕の主観ですが」 「ほう。なぜ隠していると思うのですか」  新人の意見に、柿崎は興味津々だ。左手で顎をさすりながら、ゆったりした口調で問いかける。 「こちらから投げかけた質問に素直に答えられる反面、事件のことに関してだけそっけない態度をとります。知らないのであれば「知らない」と答えるだろうし、興味がないなら「興味がない」で通せばいいのに、どうでもいいと言ってみたり。僕は、彼女が何か知っていると思います」 「なるほど。いい線いってますね。では付け加えましょう。彼女、宮寺君のことをよく見ているとは思いませんか」 「言われてみれば、確かに。それがどうかされましたか?」  視線を逸らしているとき以外を観察していると、確かに宮寺を注視する様子が何度か伺えた。挑戦的に睨む様子もなく、親しげに愛嬌を振りまくでもない。うつむき加減のなか、目線の先は宮寺を捉えていた。 「あれは、助けてほしい時の目ですね」 「えっ」  ふむ、と柿崎は四月朔日を見つめる。どことなく優しい目をしている柿崎に、草薙は困惑していた。 「では、これで失礼。引き続き捜査、頑張ってください」  粗方見当がついた様子の柿崎は、部屋を出ようとドアノブに手をかける。ドアノブを捻る音と同時に、草薙の方を見やった。 「そうそう。藤原君に会ったら、よろしく伝えておいてください。では」  そう言い残され、草薙は柿崎の後ろ姿を目で追うことしかできなかった。短くした返事も聞いてもらえたか分からない。 「宮寺さんじゃなくて、藤原さん……?」  草薙は藤原の顔を思い浮かべる。いつも睨んでは圧をかけ注意してくる彼のことは、少し苦手だった。
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