花咲き事件 5

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花咲き事件 5

 草薙は、事情聴取を終えた宮寺と合流した。四月朔日を学校へ送ると提案したが、断られた。警察が何度も学校を訪れるのはあまり好まないのが理由だった。  エレベーターが一階に着き、外から差し込む光が見えた。大きな自動ドアが見えた瞬間、四月朔日は小さくため息を吐いた。  彼女の前を歩く草薙もまた、リラックスしていた。刑事とはいえ配属されてから数か月。取調室の空気にも慣れていないせいか、先ほどまで緊張していたと今になって自覚する。差し込んだ柔らかい光を見ていると、心が安らぐような気持ちになる。思わず、息苦く感じたネクタイを少し緩める。  そのときだった。あからさまに四月朔日が目を逸らしたのは。  後ろから、宮寺は彼女の様子を伺う。 「……おや」  出入口で、紙袋を持った少女が立っていた。黒髪で透き通った白い肌の彼女は、宮寺を見つけると笑顔で近づいてきた。 「お父さん」  お父さんと呼ばれた宮寺は、慣れた様子で右手を軽くあげて挨拶を交わす。 「はい、頼まれてた着替え。……あら、そちらの方は?」  宮寺の娘――由衣歌(ゆいか)は手前にいた二人に視線を向ける。 「この子は部下の草薙。あとは――」 「四月朔日と申します」  四月朔日は軽く会釈をする。続けて草薙も笑顔で頭を下げた。 「初めまして。娘の由衣歌です。……ふふ。草薙さん、イメージどおりです。父から新しい部下が入ったと伺ってました。これからも父のことをお願いしますね」 「は、はい。任せてください!」  由衣歌は肩までかかった黒髪を右手で払い、草薙に頭を下げた。  上司の宮寺と雰囲気が似ていた。優しくゆったりとした口調に、小さく笑う口元、上品で大人びた印象。制服から都内の高校だとは推測できたが、想像していたよりも気品があり、一つ一つの仕草も優雅だ。初対面の大人にも臆することなく、対等に話している。とても高校生とは思えなかった。 「……先ほどお話しされた娘さんですね」  ぼんやりと眺めていた四月朔日も宮寺に対して口を開いた。 「ええ、そうです」 「貴方からお伺いしてたとおりだったので」 「そうでしょう?」  草薙と由衣歌が会話している様子を横で眺めながら、宮寺は微笑んだ。  現在、宮寺家は父、孝之と由衣歌の二人暮らしだ。愛娘を見守るように見つめる姿は、刑事としてではなく、父としての顔をしていた。  視線に気づいた草薙は、緩めていたネクタイを締め直した。上司の娘の前で、だらしのない恰好は見せられなかった。 「……」  ふいに、四月朔日は視線を逸らした。明らかに草薙から視線を逸らしているのを、宮寺は見逃さなかった。 「……由衣歌さん?」 「あ、いえ。すみません。ぼんやりしていましたね、私」  父に視線を向けていた由衣歌に、草薙は声をかけた。慌てた様子で、口元に手を当てながら「ごめんなさいね」と気恥ずかしそうに言う。  話し込んでいる間にも玄関が開き、様々な人が出入りしていた。その中に、見知った顔がいた。雨宮だ。  彼女は宮寺にアイコンタクトを送ると、続いて藤原が一人の女性を連れてやってきた。女性には、草薙も見覚えがあった。 「先生!」  草薙が思い出す前に、連れてこられた女は走り出した。嬉しそうに駆け寄る姿はさながら、恋人にでも遭遇したかのように軽やかで、明るくて、愛嬌があった。  先生と呼ばれた四月朔日の手を取ったころ、草薙はようやく思い出した。Y小学校の防犯カメラに映っていた愛川花鈴だ。彼女は四月朔日の元教え子だ。「先生」と呼ぶのも、明るく挨拶するのもうなづけた。しかし。 「あ、愛川さん……」  四月朔日はあまりよく思っていない様子だった。むしろ愛川に対し腰が引けている。近づこうとする彼女から遠ざかろうと後ずさりする。それでも、彼女の勢いは止まらなかった。 「ここで先生にお会いできるなんて思ってなかったです。ああ、何か持ってこればよかったかな」 「貴方、どうして――」  声を荒らげる四月朔日の前に、教え子の愛川はそっと人差し指を口元にあてた。 「ふふ、事情聴取ですよ。先生もきっとそうだったんですよね。また学校に顔を出しますから、そのときにお話しさせてください」 「え、ええ」  四月朔日の返答を聞くと、愛川は笑顔になった。一方で四月朔日の顔色はどんどん悪くなる。左手で首元をさすり、閉じた口元は少し震えているようだった。  二人の様子を遠目から観察していた由衣歌は、疑問に思う。 「ねえ、お父さん。あの人たちは最近の事件の参考人?」 「そうだとしたら?」 「事件の報道で絞殺があったって言ってたでしょう? 教師の方、多分犯人じゃないと思う」 「ああ、お父さんもそう思っていたところだ」  上司の発言に、草薙が目を丸くした。 「えっ、どういうことですか? それに、由衣歌さんまで」  なぜそう思ったのか。同時に、一般人の由衣歌も同じことを思ったのか、草薙の疑問は深まる。自分だけが見落としていることがあるような気がして狼狽えた。 「驚かせてごめんなさい。私、私立探偵もしてるの」  くす、と由衣歌は小さく笑う。 「聞いてませんよ、宮寺さん!」  小声のまま、草薙は力を込めて言った。 「……あの、由衣歌さん。どうして分かったんですか」 「それはですね、父の視線です」  由衣歌は、父と同じように四月朔日に目配せした。 「父はあの方の首筋を見ていました。疚しい気持ちでないとすると、そこに注目する理由があるはずです」 「こらこら、お父さんをからかうんじゃない」  宮寺は苦笑いしながら言った。 「理由を教えてください。疚しい気持ちがあったわけじゃないですよね」  草薙のまっすぐな瞳に思わず咳払いし、宮寺は続ける。 「たとえば、首を絞められた経験がある人がネクタイを締めるときにどう思うか、想像できるかい」 「それは、少し怖いでしょうね」 「四月朔日をよく見なさい。まだ春先の寒いなか、彼女は首回りを出したシャツを着ている。髪飾りに指輪、イヤリングをつけて。あんなに首筋がすっきりしているのに、ネックレスをつけていないんだ。最初はそういうものかと思ったが、由衣歌の目にも留まったようだね」 「本当だ……」 「極めつけは君のネクタイさ。君が緩めていたネクタイを直したとき、彼女はあからさまに目を逸らした。おそらく、彼女は首に物を巻くことができないと推測する。他人がネクタイを締めているだけで視線を逸らすほど苦手なら、絞殺などできるはずがない。だから由衣歌は犯人ではないと予想したわけだ――ああ、話が終わったようだね」  四月朔日との挨拶を終え、教え子だった愛川は藤原たちに連れられて奥へと消えていった。残された四月朔日はうつむいたまま、しきりに首をさすっている。 「あの、首をさすっておられるようですが」  心配そうに、草薙は覗き込んだ。 「えっ、ああ。……さっきの教え子がプレゼントしてくれたネックレス、よかったらつけてくださいって言われたんですけど……」  草薙は咄嗟に宮寺に視線を送った。だんだん声も小さくなっていく四月朔日の表情は、曇っていた。 「あまり無理をしてはいけませんよ。首にものを巻くのが苦手なのでしょう」 「えっ、どうしてそれを」  やさしく諭す宮寺に、目を丸くした四月朔日が問う。 「なんとなく、ですよ」  由衣歌と別れ、草薙たちは愛川の取調を見学しようと、隣の部屋に向かっていた。 「いやあ、タイミングよく鉢合わせしてくれてよかった」  ほっとしたように、宮寺は言った。 「雨宮さんに頼んで、そう仕向けたのは宮寺さんでしょう?」  草薙が宮寺の腰についていたインカムを指さす。雨宮班と連携を取り、絶妙なタイミングで四月朔日と愛川を鉢合わせることに成功した。取調室の時に宮寺がイヤホンを数回叩いたのは、雨宮たちに対する返事だった。 「まあね。でも、こうも上手くいくとは思ってなかったよ」 「まさかY小学校の防犯カメラに映っていた人物が、献血ルームの職員だったなんて思いもしませんでした。どこで分かったんですか?」 「ただの勘だよ。四月朔日先生に献血ルームのグッズについて聞いたときに何かを隠そうとしたから、献血ルームに何かあるのかと思っただけさ」 「だから雨宮さんが献血ルームに行かれるとき、愛川を連れてくるよう促せたんですね。同じ情報を持っていたのに、咄嗟に考えられなかったです」  草薙はただ感心していた。ほんの少しの違和感からここまでたどり着けたのは、長年勤めあげてきた賜物だろう。 「まあ、追々慣れていくだろうね」 「だといいのですが」  取調室を過ぎ、隣の部屋の扉をノックした。二人が入室すると、先に藤原が立って雨宮の取り調べを注視していた。 「あっ、藤原さん」  思わず、草薙が呼ぶ。横目で睨みつける様は、何も悪いことをしていないのに委縮してしまう。 「先ほど、柿崎部長からよろしく伝えてくれと頼まれたんですが、僕にはなんのことだか。心当たりは……」 「チッ」  事情を察知した藤原がした舌打ちに、草薙は口を閉じた。密かに抱いていた畏怖の念を無意識のうちに体現している。 「、直接言ってこねえのが腹立つ」  あからさまに不機嫌な藤原に、草薙は疑問に思った。縦社会の組織の中で、上司を軽々しく「あいつ」と呼べる間柄が気になってしょうがなかった。 「あの、部長を「あいつ」呼ばわりなんて、どういうご関係なんですか?」 「しっ。聴取が聞き取れねえだろうが」  勇気を出して聞いてみたが憚られた。  そうだ、今は事情聴取だ、と意識を隣の部屋へ向ける。  雨宮が取り調べを続けていた。どうやら四件目の事件当日の、愛川のアリバイはなさそうだった。どうにか事件と関連付けて情報を聞き出したいところだが、雨宮の顔色は優れなかった。  四月朔日のときとは打って変わって、愛川はワクワクしているような、異様な空気を纏っていた。ここが遊園地ならば、彼女が醸し出す空気感はまさしく合致するだろう。しかし、重厚で閉鎖的な空間で、楽しそうに話せる彼女の様子は挑戦的とも受け取れた。 「苦戦しているようなので、少し代わりますね」  名乗りを上げた宮寺が代わりに入室するが、愛川の様子は変わらなかった。 「やあ、先ほど入り口で会ったね」 「ああ、四月朔日先生の相手をしてた刑事さんじゃないですか」  まるで少女のように、愛川は屈託のない笑みをこぼす。まるで、小学生の頃から変わっていないような、愛嬌のある笑みだった。 「そうだよ。Y小学校には、何回か行っているようだね。四月朔日先生に会いに行っていたのかい」 「そうですよ」 「先生のことが好きなのかな」 「それはもう。大変お世話になりましたし」 「足しげく通うほどに?」  ええ、と愛川は続ける。いかに教師の四月朔日が好きか。スピーチのごとく、それは続いた。顔のパーツが好きだとか、小学生の頃にかけてくれた言葉が良かっただとか、今は会う度にプレゼントを渡しているだとか、捜査に関係ないようなことも、事細かに話す。まるで、恋人に対して妄想を膨らませているようでもあった。 「四月朔日先生は、花が好きなんです。いっそ花に生まれ変わったほうが、先生に描いてもらえるんじゃないかって夢も見てました。ふふ、小学生の頃の話ですよ」 「先生に、ネックレスを贈ったそうだね」  ほんの少し、宮寺は話題をずらした。 「先生が自慢されたんですね。そうなんです、旅行先で先生に似合いそうな、可愛いネックレスがあったのでプレゼントしました。今度会った時につけててくれると嬉しいな」 「……そうかい。身に着けてくれてたらいいね」  柔和な笑みで話を聞いている宮寺を余所に、隣の部屋では食い違う話に草薙が恐れおののいていた。 「四月朔日が首に何かを巻くのが苦手だって、知らないんでしょうか」 「そうなの?」  先に取調室に来た雨宮は、草薙の発言に問うた。 「先ほど四月朔日本人からお伺いしたので、間違いありません。だからネックレスもつけられないって」  納得した雨宮は改めて愛川を見る。つけられるはずもないネックレスを「いつかつけてもらえる」と楽しみにしている様子から察するに、彼女は事実を知らない。 「心配させたくないから言わなかったのか、それとも」  雨宮は藤原とアイコンタクトを取る。 「そんなに仲が良かったわけじゃないか、だな」  楽しそうな愛川とは対照的に、藤原たちは冷静に観察していた。
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