花咲き事件 1

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花咲き事件 1

 八か月前、夏。  閑静な住宅街の早朝、近所の住人がゴミ袋を携えて指定のゴミステーションにやってきた。ゴミステーションといっても、ゴミの上にネットを被せてあるだけのスペースだ。ふあ、と大きなあくびをすれば自然と涙が溜まる。指で拭いながらゴミステーションを見ると、人の足のようなものが合間から見えた。そういえば先月も酔いつぶれた男が寝そべっていたことを思い出し、親切心から起こしてやろうとネットとゴミを退ける。  手が、止まった。あまりにも異様な光景に、言葉を失う。  女が寝ていた。否、女の体が放置されていた。それが遺体だと気づいたのは、首から上に向日葵が刺してあったためだ。  それから、季節が変わる頃になると花が活けられた遺体が発見されるようになった。  現在、三月下旬。  刑事になって日の浅い草薙は、現場に群がる人だかりの後ろで上司の到着を待っていた。休日明けの朝に起きた事件に、まだ体が追い付いていない。手を組んで頭の上まで伸ばせば、背の高い彼の行為は人込みの中で特に目立つはずだった。  住宅街のゴミステーションの周りにはブルーシートが張られ、異変に気付いた住民たちや通勤途中のサラリーマンなどがスマホのカメラを向けている。背の高い草薙がいくら腕を頭の上に伸ばそうが、人々の眼中にはなかった。  ほかの警察官が黄色いテープの前で注意しているのをぼんやりと眺めていると、一人の女性が後ろから近づいてきた。警部の雨宮だ。 「おはよう。何ぼうっとしてるの」 「あ、おはようございます。宮寺さんを待っているんですけど」  人込みをかき分けて黄色いテープを潜り抜ける雨宮に、草薙も続く。彼女に素早くビニールカバーを渡され、靴の上から装着するよう促される。もたもたしているうちに、彼女は手袋まで装着していた。 「宮寺さんなら少し遅れて現着するから、先に臨場するわよ。ほら、結構しんどいと思うから心構えだけしてね」  ブルーシートをめくった先には、多くの鑑識や刑事がいた。忙しなく動く彼らにぶつからないように気を付けながら奥へ進むと、それは見えた。  異様な遺体だった。顔はラップを何重にも巻かれ、人相の判別がつかなかった。体の肉付きから若い女性であることは分かった。だが、肌は若い女性のものとは思えないほど青白い。対照的に、美しく咲く桜があった。どこから伸びている枝かと思い視線で追えば、それは彼女の右腕から生えていた。  草薙は一瞬、理解が追い付かなかった。目をこすりもう一度見る。切断された右腕に、食い込むように、ためらいもなく、刺されている。理解をしようとするも、反射的に否定する。情報を得ようとして、視線が固定される。 「おえ……っ」  理解してしまった草薙は、思わず口元を手で覆う。吐きはしなかったものの、天を仰ぎ、目を瞑る。これ以上の直視はできなかった。 「おい、現場荒らすなら帰れ」  被害者の近くでしゃがんでいた白髪の刑事が、草薙を睨む。雨宮の部下――藤原は舌打ちした。長年刑事を続けてきた目つきは鋭く、力の籠った声には圧が込められている。どうして現場に慣れてない刑事を寄越す? と言わんばかりに、雨宮にアイコンタクトを送る。 「すいませ……」 「だから言ったじゃない。『花咲き事件』の可能性があるから、覚悟だけはしておいてって」 「なんですか、その『花咲き事件』って」  吐かなかっただけ偉いと雨宮に背中を叩かれ、草薙は体勢を整えた。それと同時に、ブルーシートをめくった先から中年の男が入ってきた。 「八か月前、向日葵の花が首から上に活けられた遺体が見つかった。次にコスモスが腹に。今度は椿が足に活けられていた。連続殺人事件の可能性が高いとみて、私たち刑事は『花咲き事件』と呼んでいるよ。――うちの部下がすみません、藤原さん」 「宮寺さん!」  草薙はほっと胸を撫で下ろした。直属の上司、宮寺の見慣れた顔を見るだけで、皺をよせていた眉間が和らいだ。  宮寺は刑事の中でも、朗らかな性格だと評判だ。ぶっきらぼうな藤原よりも物腰が柔らかく、猪突猛進な雨宮よりも物事を俯瞰的に捉えることができる。ゆえに、彼が怒ることは滅多になかった。  藤原や雨宮からある程度の報告を受けると、宮寺は遺体に合掌してから現場の周りを見始める。 「おい雨宮、被害者の情報は」  すっと立ち上がり、藤原は問う。 「私が上司なのになー。まあいいですケド。被害者は北山(きたやま)春野(はるの)、二十五歳。死因は絞殺による窒息死。近所に住む大学院生のようです。金銭や交友関係のトラブル、犯罪歴はなし。これまでの事件と酷似しているのは、被害者は若い女性であること。遺体の顔がない、あるいは隠されていること。あと、生け花のように体に差しているなどの共通点から、『花咲き事件』の被害者とみて間違いないでしょう」  藤原は軽くため息を吐いた。彼から文句が出ないということは、認められた証拠である。 「そうですね。『花咲き事件』とみて間違いないでしょう」  情報と照らし合わせながら、現場を確認した宮寺も同意する。ここには血しぶきがない。腕を切り落とした状況を考えると、どこかで殺害したあとこのゴミステーションに遺棄したと推測できる。ほかの三件も同様だった。 「生け花みてえだな……ったく、くだらねえ。犯人のやつ、どんな神経してんだ」 「分かりかねますね。犯人の考えてることなんて」  現場から戻ってくると、会議室の前は慌ただしく人が動いていた。  警視庁、捜査本部。会議室の前の壁には『都内連続花咲き事件』と達筆な字で書かれた紙が貼られていた。草薙たちが入室するころには、およそ数十名の刑事たちが席についていた。 「あれ、見かけない顔もいるような」 「前回まで外されていた所轄の捜査一課も呼んでいるからね。今回からメンバーを再編して捜査をしていくようだ」  そういって、宮寺はホワイトボードと資料に目を通すよう促す。  特に手元の資料には『花咲き事件』の被害者たちの情報が詳細に記載されていた。  一件目の被害者は鳴海(なるみ)(すず)、二十一歳。幼稚園の教諭をしていた若い女性だった。首から上を切断され、代わりに向日葵の花が活けられていたという。捜査資料にも鮮やかな黄色の花びらが綺麗に並んでいた。花だけ見ていれば綺麗だが、やはり異様な写真だった。そこまで見て、草薙は視線を逸らした。 「……見れない君のために言うが、首にはロープのようなもので締められた痕があった。死因は絞殺による窒息死のようだね」 「うっ、そのあとに切り落とされたってことですか」 「そのようだね。このときも金銭トラブルなどもなく、人間関係は良好だった。浮上した容疑者もアリバイが立証されている」  二件目からは、顔がラップで包まれていた。被害者の(たちばな)あきの顔は見えず、代わりにむき出しとなった腹部にコスモスが敷き詰められていた。死因は生きたまま腹部を裂かれたことによる失血死だった。二十七歳という若さで、食品メーカーの開発を任されていたという。優秀な人材を失ってしまったと、会社の関係者たちは涙ながらに話していた。無論、関係者がシロであることは裏が取れている。  三件目は椿の枝が足に刺してあった。死因は出血性ショック死。二件目の被害者同様に生きたまま切断されたようだと、鑑識から報告が上がっていた。当時二十六歳だった新元(にいもと)千冬(ちふゆ)は、猫なで声の接客が気に食わないと漏らしていた先輩を除けば、関係は良好で勤務態度も悪くはなかった。先輩はもちろん、関係者のアリバイもあった。十数名の客から事情を聞くことはあったが、全て空振りだった。  四件目は今朝、発見された北山春野だ。死因は絞殺による窒息。捜査中のため他の三件より空白は多いが、今のところ同様にトラブルなどを抱えていなかった。  草薙は資料に記載された二十五歳の文字に目を通した瞬間、思わず顔を近づけて二度見した。刑事になって日も浅い自分と同い年だと知り、一層気を引き締めた。  そこまでホワイトボードと資料を読んだところで、一斉に他の刑事たちが立ち上がった。宮寺に促され、草薙も立ち上がる。  数人の制服を着た警官と入ってきたのは、黒いスーツを身に纏った男だった。パイプ椅子をずらす音が静まった頃、コツコツと踵をついた音だけが部屋に響く。 「垂水管理官のご到着です」を合図に、全員が席を立ったままおじぎをする。のちに着席の号令があり、一斉に席に着いた。 「指揮を執る垂水だ。早速だが、四件の事件は花を被害者に刺している酷似点があり、連続殺人事件とみて捜査を進行する。また、いずれも犯行現場と死体遺棄現場が異なるのも共通点である。遺棄された現場にも何か意図があるものと思われる。よって、今回は地理的プロファイリングを用いて捜査を集中させる。説明は他の者から――」  垂水の指示を得て、一人の刑事が立ち上がる。ホワイトボードに用意された大きな地図には、四件の死体遺棄現場を中心に円が描かれていた。重なった円には犯人の居住や職場などが含まれる可能性が高いとされると、詳しい刑事が説明をしていた。 「あの人、どこかで……」  その間、草薙は垂水の顔を凝視していた。既視感のような、妙な感覚が拭えない。 「垂水管理官のことかい。この事件のまとめ役だ。捜査一課にも何度か顔を見せているし、そのときに見たんじゃないかな」 「ですかね。あの、横の空席は?」 「あれは柿崎部長の席だね。遅れて到着するようだ」  垂水の隣には空席があった。部長、と書かれた貼り紙が机に貼ってあったが、あいにく部屋の外に気配はない。連続殺人事件ということもあり、垂水よりも上の階級にあたる部長が重い腰を上げたのだろうと、宮寺は教えてくれた。 「おい、お喋りしたいなら出ろ」  粗方聞いたところで、藤原が二人を睨む。粗暴な言葉が草薙の耳に残り、委縮する。 「すみません……」  草薙は改めてホワイトボードに視線を向けた。それぞれの円の中心に色付きの磁石が置かれていく。最後に、四件目――今回の死体遺棄の場所に磁石がつけられたところで、垂水が立ち上がった。 「四件の死体遺棄現場を地図に載せ、それらを中心に円を描くとこのようになる。真ん中の重なったエリアに犯人の居住、ないし職場や関連するスポットがあると推測される」 「あれ、ここ……」 「君、何か気づいたことが?」  ぼんやり眺めていた草薙が漏らすと、すかさず垂水が指摘した。早期解決のためには些細なきっかけも逃したくはない。一斉に他の刑事たちも草薙に注目した。思わず勢いよく立ち上がる。 「いえ、あ、はい! 交番勤務をしていた際、Y小学校の児童が「向日葵を盗られた」と証言していたのを思い出しました。時期的にも一件目と近いです。それと……地理的プロファイリング……? この輪の中心に、そのY小学校があります」  たった数秒の出来事だったが、ぺたん、と力なく座り込んだ。一斉に刑事に睨まれ、一瞬怯んだのを反芻する。一切悪いことはしていないのに、体が強張(こわば)って、唾を飲み込んだ。 「ご苦労様」  小声で宮寺が労う。  刑事になって日も浅い草薙にとっては、新鮮な記憶だった。交番勤務をしていたころ、刺繍が施されたランドセルを背負った女の子が泣いていた。交番の前に立っていた草薙が気になって話しかけると、「ひまわりをとられた」と延々泣き続けた。自分で育てて観察していた向日葵がなくなったのがショックだったようだ。可愛いランドセルだね、と褒めたり、休憩の合間に食べようと持参していたお菓子をあげたりして、宥めていたのを思い出す。  純粋に泣いていた子の近くで、悲惨な事件が関与していたとは思いたくはないが――と最悪の想定をしてしまう。自然と口元を閉ざした。 「よし分かった。宮寺班は小学校近辺の聞き込み、雨宮班は四件目の被害者の足取り。ほかの班は――」  一通り報告が終わると、垂水は「解散」と号令をかけた。
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