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花咲き事件 3
本部に戻ってきた草薙は辟易していた。あれから四月朔日のマンションを訪れ防犯カメラを確認したり、教頭の松葉の自宅付近の聞き込みをするなどしていた。戻ってきた頃には、辺りはすっかり薄暗くなっていた。
「結局、庭の手入れを任されていた用務員の寺下さんも含めて全員にアリバイがありましたね」
「学校関係者はね。あとは訪問者のリストと防犯カメラの映像を見て、訪問者の特定をする必要がありそうだね」
「あの映像、今から全部見るんですか」
「そのためにデータを借りてきたんだよ」
にっ、と宮寺は笑う。一方で草薙は肩を落とした。口を閉じ、瞼を下ろす。
「こう……とんとん拍子に捜査が進んで、事件を光の速さで解決! とかないんですか」
「刑事はもっと地味な仕事だよ」
「イメージと違うような」
腕を組みながら、草薙は小さく唸った。
「どんなイメージだったんだい」
「ドラマみたいに犯人を追い詰めて、逮捕だー! って感じをイメージしてました」
草薙は思い描いているドラマのワンシーンを、身振り手振りを加えて説明する。
「そうかい。ちなみに」
歩いていた足を止め、宮寺は草薙を見つめた。――否、観察した。温厚で優しい目をしていた宮寺の表情が、一瞬、鋭く目の前の青年を捉える。
「君は、どうして早期解決を望むのかな」
真剣な眼差しに、草薙は怯んだ。声色はいつも通り優しく問いかけているが、纏う空気が一瞬で変わった。生半可な気持ちではいけないと思い、上司である宮寺に向き合う。
ひと呼吸おいて、草薙は口を開いた。
「被害者の無念を、少しでも早く晴らしてあげたいからです」
真面目に、愚直に、答えた。
返答を聞き、宮寺は深くため息を吐いた。いつもの優しい表情に戻っていた。
「……なるほどね。いや、なに。「その方がカッコイイから」とか言われたら殴っていたかもしれない」
宮寺はひらひらと手を振り、再び歩き出した。
「なぐ……っ、宮寺さん、そんなキャラじゃないですよね」
「冗談だ。試してすまなかった」
駆け寄ってきた草薙の背中を軽く叩き、前へと押す。事件を早く解決したい気持ちは宮寺も同じだった。
「お、戻ってきた」
廊下をしばらく歩くと、自販機前の休憩スペースで雨宮がくつろいでいた。丸い机を挟んだ向かい側には、白衣を身にまとった男たちが座っている。科捜研のメンバーの漁火焔と皆森圭だった。彼らはこうして、刑事課に報告にくることがしばしばあった。
「お邪魔してますー」
「……どうも」
明るく振る舞う皆森の隣で、漁火は軽く会釈する。
「今ねえ、漁火さんの恋愛相談に乗ってたところ……あっ」
にやにやしていた雨宮の顔色が、一瞬曇った。視線の先には、結婚指輪をさする宮寺の姿があった。
「草薙は少し休憩しなさい。私は先に、管理官に報告してくるから、ここで待っててくれるかい」
「でも」
「休息も仕事のうちさ」
宮寺は優しい笑みを浮かべながら言った。
「そう言われると……分かりました。待ってます」
宮寺は捜査本部へ向かっていった。草薙はなんとなく背中を目線で追いかけていたが、視線を逸らし空いていた椅子に腰かけた。
正直、休息が取れるのは嬉しかった。事件の早期解決を目指すと言えど、自分の体力が削られては本末転倒だ。適宜、休憩を取るのは正しい判断だった。
「それで、漁火さんの恋愛相談ってなんなんですか」
草薙にとっても興味津々だった。三十代後半で独身、彼女を作ったことがないと噂の漁火の恋愛相談は、とても珍しかった。
「阿呆くさくて話にならん」
ちょうど、喫煙ルームから戻ってきた藤原が不機嫌そうに言った。煙草のにおいをまといながら、近くの壁にもたれかかる。
「そうなんです、もう阿呆くさいというか、じれったいというか! 好きな人がいるんだけど、どうデートに誘ったらいいか分からないんですって」
皆森が本人以上に声を荒らげる。
「あっ……その、そうなんです」
「好きな人ですか。その方は何が好きなんですか」
「草薙くん、いい線いってるわ。まずは好きなものをご馳走したり、あげたりするところからね」
雨宮は前のめりになりながら、相槌を打つ。
「そうですねえ、昔はコーヒーをよく飲んでた、らしいです。苦いものが好きかなと」
「それだ。近くのコーヒーショップに誘うのよ」
「でも、昔はっていうのが気になります。今はどうなんですか」
草薙の問いに、漁火は口元に手を当てた。
「最近はあまり飲んでないようなので、ううん……」
「でも昔飲んでたなら、少なくとも味は大丈夫ってことじゃない? とにかく実践あるのみよ」
「ひゅ~、雨宮さん男前~」
「阿呆くさ」
メモする漁火を余所に、藤原はため息交じりで言う。
「で、科捜研の二人が何しに捜一に顔出してんだよ」
「そうでした。四件目の被害者について報告を」漁火は続ける。
「絞殺による窒息死で間違いありません。そのあとにラップで顔を覆われたのでしょう。あと、これまでの被害者と同様の睡眠薬も検出されています。ああ、それと左腕に注射針の痕がありました。こちらについては今回が初めてです」
ぼそぼそと話していた先ほどまでの漁火とは打って変わって、水を得た魚のように饒舌になる。専門分野になると多弁になるのが、漁火の特徴だ。
「それと、気になったのは花でしょうか。桜の枝が血液を吸っています。固まる前に差し込まないと、ここまで到達しません。死斑から察するに長時間座った状態ですので、胸に血液が溜まることはありません。要するに」
「被害者が生死の境を彷徨ってるときに、花を刺してるってことか?」
「そういうことです」
被害者の腕をもぎ取り、花を刺し、絞殺した。状況を想像し、場の空気が重たくなった。
「注射針の痕も気になるな。今回だけ睡眠薬を注射で打ったってことか」
重い空気に気圧されず、藤原は問う。
「いえ。胃から睡眠薬の成分が多く検出されました。錠剤で、あるいは潰した状態で服用した可能性が高いです。注射針は別の意図で差し込まれた可能性が高いかと」
「ほかにも気になるわ。たとえば、顔がラップでぐるぐる巻きだったのは何か意味があるのかしら。被害者はすでに窒息していたのでしょう? 他の件も、すでに失血死や出血死の後にラップで包まれているようだし?」
雨宮の疑問ももっともだと、草薙は思った。殺害が目的であれば、すでに被害者は死んでいるため、ラップで覆う必要はない。
「ああ、それなら僕から。結論から申し上げると、犯人にとって『顔は邪魔だった』と思われます」
口を開いたのは、皆森だった。科捜研の中でも心理科を担当する彼は、冷静に報告を続ける。
「初回を省いた三件は全て殺害後にラップでぐるぐる巻き――また、着衣の乱れもなく、被害者以外の体液が付着していることもありません。性的な欲求ではなく、あくまで花が主体の『作品』として扱われているようです。花瓶に、花以上に目立つ顔があると注意がそちらに向いてしまいますから、邪魔だったのでしょう」
「一発目は切り落としたのに、二件目以降に手口を変えたのはどう説明する?」
「それは、おそらく『疲れた』のだと思います。一件目の切り口は大変雑で、何度ものこぎりを当て直した痕があるとのことでした。二件目以降は隠すことで目的を達成しているので、犯人にとって顔を切り落とす自体が目的ではない、ということでしょう」
顔色一つ変えずに、皆森は淡々と続ける。
「僕個人の見解ですが、犯人は女性。就職していて、それなりに社会的地位を獲得している人物。几帳面で、内気な性格。職場では大人しい――と言ったところでしょうか」
彼の出す結論に草薙たちは耳を疑った。
「犯人は――女?」
疑問を真っ先に投げたのは、雨宮だ。
「こういった事件には性被害が伴うケースが多いのですが、今回の事件には当てはまりません。着衣の乱れどころか、逆に整えてあるんです。性行為に及ぶ必要がなく、被害者の衣服に気を遣う人物像――僕は女性と推察します」
「社会的地位がある、っていうのはどうやって分かったんですか」
刑事とは違う考え方に、草薙も気を引かれた。
「死亡推定時刻はいずれも夜中です。おそらく、日中に仕事に出ているため犯行に及ぶことができないのでしょう。それに四件も続いています。証拠があまりないことも踏まえると計画性が伺えます。社会に溶け込める程度の容姿、そして知性があると推測します。それにこれだけメッセージ性のある殺人を行っているのは、日ごろの欲求を消化できていない、とも。だからこそ、殺人というツールを使い発散しているのではないかと……ですが」
皆森は口ごもった。俯きながら、ため息を吐いた。
「二点、分からないんです。睡眠薬は『一件目の被害者に処方されたもの』を使っています。ここだけ計画性から外れてしまうんです。事前に準備してから犯行に及べば、プロファイリング像は一致するのに」
だから刑事たちの意見も聞かせてほしいと、ここにきた理由を明かした。
壁に寄りかかっていた藤原が、皆森の方を向く。
「犯人は被害者に睡眠薬を処方されているのを知っていた顔見知り、って可能性は」
「そうか。そこにあると知っているから、犯人は用意する必要がなかったってことですね!」
「あくまでお前の推測に則るとだがな」
藤原は付け加える。足で情報を稼いできた身としては、プロファイリングを全面的に信頼できずにいる。だからといって蔑ろにするつもりもない。早急に事件を解決したい気持ちは一緒だった。
「すごい! じゃあ顔見知りの犯行の線でもう一度調べてみましょう!」
草薙は空気も読まず、目を輝かせていた。事件を解決する糸口が見つかったような気がして、手を机につけて立ち上がる。だが、冷静な藤原に睨まれ、思わずそのまま立ち止まってしまった。
「二点分からないって言ったわよね。もう一点は、何が分からないの?」
二人を一瞥し、雨宮は尋ねた。
「ああ、これこそ不可解で。ゴミ捨て場にあるんですよね、死体。これだけこだわった作品なのだから、場所を選ぶと思ったんですが、おかしいなあ。気になるなあ」
「うーん、それはお手上げ。確かに、遺体は花の箇所を除けば綺麗な状態だったし、作品として世に出しているんだと思う。だからこそゴミ捨て場に遺棄してあるのは、筋が通らないわね」
「チッ……犯人の思考なんざ、とっ捕まえりゃあ分かるだろ」
「それはそうなんですけどお……」
皆森は言い淀む。刑事にそう言われてしまうと、何も言い返せなかった。
その隣で、漁火はコーヒーを啜る。
「大人しいですね、いつもは毒舌なのに」
「それは相手が漁火さんだからですー」
漁火はばつが悪い顔をして、縮こまって再びコーヒーを啜る。
「ねえ、漁火さん。注射針って献血の可能性はある?」
思い出したように、雨宮が尋ねた。
「献血ですか。ありますね」
「やっぱり」
藤原と目を合わせた雨宮が頷く。
「何か目星が?」
「街中の監視カメラの映像を確認していたの」草薙の疑問に答え、雨宮は続ける。
「被害者の足取りの中を追っている中に、二時間ほどの空白があるわ」
「防犯カメラの位置から察すると、この道の間にある献血ルームに行っていた可能性があると俺たちは踏んでいる」
「おお! じゃあ、さっそく――」
発した言葉の通り、すぐに動き出そうとする草薙を、雨宮は制止した。
「今日はもう営業時間外。明日、朝一で聞き込みに行くわ」
草薙は肩を落とし、力なく椅子に座り込んだ。一般人は岐路につき休む頃合いの時間だと想像した瞬間、全身の力が抜ける感覚があった。歩き回っていた疲れが今になってどっと出てきた。
「ところで科捜研のお前らはここで油売ってていいのか?」
一息ついたところで、藤原は漁火と皆森に視線を向ける。
「そうですね。先ほど同様のことは捜査本部にも伝えているので、私たちはお暇しましょう」
「油を売ってたわけじゃ……いや、そういえば恋愛相談してましたね。漁火さん、また続報聞かせてくださいね」
「私も気になる! お願いだから教えてくださいね」
大きな声で雨宮は言う。
「あはは……参りましたね」
漁火は苦笑しながら、右手の人差し指でぽりぽりと頬を掻く。何かと考え事をするときの癖だと、隣に立っていた皆森は見ていた。
ほどなく、二人は戻っていった。静まり返った休憩所から見える外も、すっかり暗くなっている。
「それにしても宮寺さん、遅いですね。僕、ちょっと行ってきます」
待機と言われてからだいぶ時間が経つように思えて、草薙は重たい腰を上げた。報告があるにしても、もう戻ってきてもいい頃だ。
藤原たちと別れたあと、宮寺が歩いて行った方向へ足を運ぶ。廊下の角を曲がると、会議室に到着する前に宮寺の姿が目に留まった。制服を着た男と話しているようだった。
「宮寺さーん!」
誰と話しているのか気になり、草薙は駆け足で近寄った。宮寺と話していたのは、優しい笑みの男だった。
「草薙。こちら、柿崎部長だよ」
「えっ」
リズムよく刻んでいた足音が止み、草薙は素早く頭を下げる。
「はっ! 失礼しました!」
「礼儀正しいですね。楽にしていただいてよろしいですよ」
柿崎に促されて、頭を上げる。まじまじと観察すれば、遠目から見たことはあっても話したことはない人物だと、草薙は改めて思い出していた。
「柿崎部長、引き止めて申し訳ありませんでした」
「いえ、私もつい話し込んでしまいました。出張から帰ってきた身としては、現場のことを知っておかなくてはいけませんからね。助かりました」
頭を下げる宮寺に対しても、柿崎は顔を上げるよう促した。粗方話は終わった様子で、柿崎もこの場を離れようと一歩踏み出す。
それを知ってか知らずか、もう一人の足音が近づいてきた。次第に、甘い香水の香りも感じられた。
「おや、これは柿崎部長ではありませんか」
「ああ、垂水君。ご苦労」
手で鼻を覆いながら、柿崎は短く言葉を放つ。どことなく、優しかった声色が鋭い言葉に切り替わっていた。
「労いのお言葉、痛み入ります。それにしても出張とはお忙しい。現場の指揮は私にお任せいただいてもよろしいのですが」
「およそ一年続く凶悪事件。捜査本部を再編成してさぞ大変でしょう。お上も状況を憂いていますし、何より早期解決が望ましいでしょう。今後は私も会議に参加しますので、よろしくお願いしますね。では、後ほど会議で」
踵を返して去って行く柿崎の後ろ姿を見ながら、草薙は宮寺に一歩近づいた。
「なんか、ギスギスしてません?」
「しっ」
宮寺が制止して間もなく、垂水の咳払いが聞こえた。フォローのしようがなく、宮寺は草薙を連れてこの場を後にした。
「……聞こえたな、あれは」
「すみません……」
廊下を歩きながら、草薙は謝る。素直に口にしただけなのに、と眉間に眉を顰めた。どうも空気を読むことが苦手だ。宮寺もそのことは承知の上だが、すぐに直るものでもないのも理解している。ゆえに、強く言及することはなかった。
「すまない、大分待たせてしまったね」
宮寺は草薙に謝った。柿崎と話し込んでいたお陰で、草薙を迎えに行くのが遅くなったと釈明する。
「いえ。というか、待ってる間に進展があったんです」
草薙は雨宮たちと話していた情報を伝えた。
四件目にのみ、注射針の痕があること。
一件目の被害者に処方された睡眠薬を使われていること。
プロファイリングから、犯人は女性である可能性が高いこと。
雨宮たちが献血ルームを調べに行くこと。
それらを聞いて、宮寺は足を止めた。
「確かに大きく前進したね。私たちも明日、あの人から話を聞こう」
「はい!」
事件の進展があったのが嬉しくて、大きな声をあげて返事をする。
「と、その前に――」
二つ返事をして勢いも付いた草薙に、宮寺は数枚のSDカードを渡した。
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