2人が本棚に入れています
本棚に追加
アリス
「おめでとう、今日から君が《アリス》だ」
どこかテーマパークを思わせるような家具や小物に囲まれた部屋。そこに置かれた病室を連想させるベッドに寝かされた白髪と検査着に似た真っ白なワンピースを着た少女のやせ細った手を取り、黒地に細い紫色の縞模様が入ったスーツを着た男が囁く。
上体を起こされた少女はうつろな目で男を見上げかすかに微笑むと男が着ているスーツの胸ポケットのあたりに軽く、包帯の巻かれた手をあてる。途端「ぐっ」と低く呻き声を上げて、男が苦しみだした。必死に歯を食いしばり、顔には大量の脂汗をかいている。
ずるり
実際に音がしたわけではないが言葉にはできないような嫌な感覚が男の右胸にあり、少女が手を放すとその白い肌に不釣り合いなほど真っ赤な塊が握られていた。
男の口の端から一拍遅れて一筋鮮血がこぼれ、顎を伝ってシャツやスーツに染みこんでいく。
「……なるほど。それが君に与えられた力なんだね……素晴らしい」
男は床に両膝をつき、苦しげに咳きこみながらもベッドの上の少女を見上げて目を輝かせる。
少女の手の中にある赤い塊……すなわち自らの心臓は少しずつ動きを弱めていき、今にも止まりそうだ。
「それ……返してくれるかい。これ以上血を流したら死ぬからさ」
男はそう言って少女のほうに片手を伸ばすが、少女は男の心臓を乗せたほうの手を遠ざけた。男の手が虚しく空をきる。
「アリス、いい子だから……返してくれ」
少女は無言のまま、再び男の手から心臓を遠ざける。ついに荒い息をしていた男は少女の寝ているベッドに倒れこみ、右胸あたりを強く押さえる。
それと同時に少女の手の中の心臓が動きを止めた。がくりと男の体も脱力する。少女はうつろな表情のまま起き上がりベッドから下りるとぺたぺたと裸足で男の前に行き、その場にしゃがみこんだ。
「ねえ……死んだの?」
苦悶の表情のまま絶命した男を観察するように、少女が声をかける。
「アリスとずっと遊んでくれるって、言ったじゃない。あれは……嘘?」
少女は両手でみるみるうちに色褪せてゆく男の心臓を抱えてつぶやく。両目から涙がこぼれ、床に落ちた。
いつもこうだ。自分のこの力は誰かを死なせてしまう。
「ねえ……何か言ってよ」
少女はしゃがみこんだまま、男に話しかけ続ける。
「アリス、ひとりぼっちはやだよ。ねえ。ねえったら、起きてよ……!」
そんなことをしても無駄なのはわかっていたが、少女は抱えた心臓を男が押さえていた右胸のあたりに置き、最初にした時と同じように手をあてた。
するとスーツに押し当てられた心臓はゆっくりと沈みこんでゆき、完全に見えなくなった。少し間をおいたのち、男の体が電流が走ったかのように大きく痙攣する。
「……大丈夫、だよアリス。ほら、僕は起きた……だろう?」
ぜえぜえと体全体で息を整えながら男が薄目を開く。少女は驚いて目を丸くしたが、彼が生き返ったことがただ嬉しくて抱きついた。
「嬉しいのは分かるけど、まだ蘇生したばかりだからそんなに抱きしめられると苦しいよアリス」
男は少女の腕をやんわりと押し戻すと立ち上がったが足元がふらつき、ベッドの柵をつかんで踏みとどまる。
「……まあ、君の能力が分かったことだし……今日のところはこのくらいにしようか。夕食を準備してくるから……ちょっと待っていてくれるかい」
男がそう言うと少女はこくりとうなずく。
「何か……食べたいものはあるかな。言ってくれれば可能なかぎり作るけど」
「……」
ベッドに腰かけた少女は足をぶらぶらと揺らしながらしばし考えこんでいたが「ケーキ」とぽつりとつぶやく。
「OK、ケーキね。ちなみにどんなのがいいとかある?」
「特に……ない」
「そっか、じゃあ適当に作るよ。他に食べたいものは?」
同じ答えが返ってくる。男は耳のあたりを片手でかくと「わかった、行ってくるから待ってて」と部屋を出て行った。
ドアが閉められ、1人残された少女はベッドに上がると枕のそばに置いていた自分の背丈の半分くらいある白いうさぎのぬいぐるみを抱きかかえて寝転がる。
薄いカーテンが引かれた窓の外に広がる町の景色は夕焼けにつつまれ、淡いオレンジ色に染まっていた。
1人でいることには慣れているが、今日はなぜか落ち着かない。
(……おかしいな、今までこんなことなかったのに)
考えるうちにまぶたが重くなってきて、少女はぬいぐるみを抱いたまま眠りに落ちていった。
最初のコメントを投稿しよう!