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(さて、後はこのカップケーキとスコーンをのせれば……)
アリスの部屋から出て食堂の厨房へ入った男……黒森竜三郎はスーツと同じ柄のエプロンを身につけ、ビニール手袋をはめた手で青い小さな蝶を模したチョコレートを上にさした焼き上がったばかりのカップケーキとペースト状にした野菜をまぜたスコーンをそうっと崩さないように英国のアフタヌーンティーなどで使われる3段になったハイティースタンドの白い皿の上へ並べる。
アリスからリクエストされたケーキは特に指定はなかったので、チョコレートとブルーベリークリームを層にしたものと普通のショートケーキを作った。自分でも驚くほど上手くできたので、後からスマートフォンで写真に収めておこう。
「よし、できた」
竜三郎がつぶやくとどこかからぱちぱちと拍手が聞こえた。そちらを向くと銀髪の老婦人と枕を抱いたクリーム色のパーカーを着た少年が立っている。
「あら、とっても美味しそうなケーキね《ジャバウォック》さん」
「それ、もしかして僕たちの分ですかあ?」
「いいえ。すみません《チェシャ猫》に《眠りネズミ》さん、残念ながらこれは《アリス》のリクエストなんですよ」
竜三郎がそう言うと2人は肩を落とす。眠りネズミと呼ばれた少年は今にも泣きそうな顔をしていた。よほど竜三郎の作ったケーキが食べたかったとみえる。
「わかりました、じゃあ……アリスの部屋にこれを持って行ったらお2人の分も作りますから何かリクエストがあったらおっしゃってください」
「あらあら、忙しそうなのにいいの?それじゃあ……私はこの間のおやつに出してもらった抹茶のパウンドケーキをお願いするわ。眠りネズミちゃんは何がいい?」
「僕は……そこの茶色と紫色のクリームが入ったのがいいです。まだ残ってますかあ?」
チェシャ猫にたずねられた眠りネズミはクリーム色のパーカーの袖から手を出してぴっ、と勢いよく指先で先ほど竜三郎がセットしたハイティースタンドの皿にのったケーキを指す。
「ああ、これですね。ホールで作ったのでまだありますよ。チョコレートとブルーベリークリームが入ってますが、眠りネズミさんブルーベリーは食べられますか?」
竜三郎に問われて眠りネズミは「食べたことない」と首を横にふる。
「では、チャレンジしてみますか?お腹が空かれたのでしたら先にお出ししますが」
「うん」
眠りネズミが答えると竜三郎は別の皿に余っていたチョコレートとブルーベリークリームのケーキを取り分けてからフォークを添え、厨房から出て食堂のテーブルの上に置いた。
椅子を引き、眠りネズミに座るよううながす。
「チェシャ猫さんの分は少し待ってくださいね、すみません」
「いいのよ。ほら、早くアリスちゃんのところに行ってあげて」
「では、お言葉に甘えて。お2人ともごゆっくり」
竜三郎は2人に向かって深くお辞儀をし、ハイティースタンドと軽食を乗せた給仕用ワゴンを押して食堂から廊下に出る。日が落ち、窓の外の景色はすっかり夜につつまれていた。
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