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作文のレベルは、まさに玉石混淆である。
丁寧に書いて欲しい、一生懸命考えて欲しいと訴えはみたものの、中には全然提出してくれない子もいたし、派手に誤魔化してきた子もいた。
『おとぎばなしはすきじゃないのでわかりません!』
それを、マス目を無視してでかでかと書いてきた者。
『ぼくも、きびだんごをたべて、ももたろうになりたいです』
と、そもそも昔話の内容を理解していないようなものまで様々。これもこれで、彼等なりに頑張ってくれた結果だったのかもしれないが。
そんな中。とある生徒の作文が私の胸を強く打つこととなる。それは、“唄を忘れた かなりやは”という歌い出しでおなじみの、“かなりや”という歌について書いた少年の作文だった。西條八十氏が作詞し、成田為三氏が作曲した有名な日本の童謡である。どうやらこの歌は、スランプに陥った西條氏そのものを投影した歌詞であったらしいと聞いている。
『ぼくは、この歌が好きではありません。歌を忘れたカナリヤは、ではじまって、歌の中でカナリヤはどんどんひどいめにあわされそうになります。後ろの山にすてるとか、やぶにうめるとか、やなぎのムチでぶつとか。かわいそう、と言ってやめてるように見えるけど、それを言い出した時点でとてもかわいそうだと思います。カナリヤも、きっとこわかったのではないでしょうか』
彼は、このクラスの中で特に作文が得意な生徒というわけではなかった。
あまり上手ではない字で、それでも一生懸命この文章を書いてきたのである。ところどころ涙が滲んだような痕があった。ひょっとしたら、カナリヤの気持ちになって泣いてしまったのかもしれない。
『しらべたら、カナリヤは最後に、ふねに乗ってどこかに行ったみたいです。そして、歌を思い出しました、で終わってます。でもぼくは、それでもなっとくができません。なぜ、カナリヤは歌を思い出さないといけなかったのでしょうか。忘れたままではいけなかったのでしょうか。歌を忘れたカナリヤに、いきているかちはないのでしょうか』
――考えたことも、なかったわ。そんなこと。可哀想だなと思ってことはあったけど。
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