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 ‪✝︎  逃げるように美術館から飛び出したアレクセイは十字架を持つ天使像の前へと駆け出していた。  救いを懇願(こんがん)しながらも、その天使の姿がわずかに先程の絵に描かれたものと被った。 ――「貴方、泣いているの?」  心地良い澄んだ音色の声に振り返れば、一人の女性がイーゼルの上で絵を描いていた。    雪で染め上げたかのような腰元まである白髪(はくはつ)(けが)れを知らぬ白い肌、彼女の(まと)う雰囲気はあまりにも幻想的で、自分が少しでも触れてしまえば、その存在自体がこの世界から消失してしまいそうだった。  唯一、異様だったのはその格好だ。  厚手の灰色のダウンコートと淡い色合いのデニムはこの時期ならば普通だろう。    だが、彼女の瞳は漆黒の布で隠されていたのだ。   「あぁ、これは気にしないでいいわ。私、目が見えないの」 「そうか……」  気がつけば初めて会ったはずの盲目の画家にすっかりと自分の身の上話をしていた。  彼女は特に何を言うでもなく黙って話を聞いていた。 「あぁ、良かったら君の絵を見せてくれないか。こちらに越してきてからというもの部屋が殺風景で、ちょうど何か飾りたいと思っていたんだ」 「私は画家ではないわ。占い師と言えば良いかしら。信じられないでしょうけど、私の描く絵には人の未来を映す力があるの」 「信じるよ、今ならなんでもね。僕にも一枚、描いてくれないか?」  彼女は無言で頷くと絵を描き始めた。  正直に言えば彼女の力が本物かはどうでも良かった。  今の自分は彼女に感謝しており、それが身勝手でも同情しており、同時に少し彼女という人間に興味を抱いていた。 「できたわ。私には絵が見えないから、貴方が確認してちょうだい」 「ふぅ、流石に疲れたよ。絵のモデルも大変だね」  どれくらいの時間が経ったか。  その場に座りっぱなしだった彼は一度伸びをすると、彼女の側へと歩き出す。 「冷えてきたし、君も大丈……」 「どうしたの?」 「あぁ……すまない、お代はいくらかな。今日は冷えてきたし、もう僕も帰るよ」 ‪✝︎ 「うぅぅぅっ!!!!」  部屋へと帰るなり、アレクセイは流しで吐き出していた。  震える手で彼女に描いてもらった絵をもう一度確認しようと布を取っていく。  途中で何度も捨てようとした。  だが、目を逸らすことも同様に恐ろしかった。  わずかに布を取ればそこには椅子に腰掛けたままの自分の姿が、あるのではないかと期待した。 「あぁ……」  だが、そこに描かれていたのは、先程見たものと何も変わらない蜘蛛の巣に囚われ、無数の蜘蛛達に体を喰われている自分の姿だった。  
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