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VI
✝︎
【十一月二十六日】
この日の私は街の中心を遠く離れ、森の中に居た。
自然の中で心を休めたかった。
そうでなくとも、彼らから離れられるのならばどこでも良い。
その場に横になると目を瞑り、ただ、風に揺れる葉の音や鳥の声に耳を傾けた。
風は冷たいが、まだ普通に外に出られるくらいであり、何よりもそれが今は心地良い。
――「こんなところで会うなんて奇遇ね、アリョーシャ」
ねっとりと絡みつく甘い声に目を開ければ、黒いコートに身を包むマリヤが近くに立っていた。
彼女に会えて嬉しい気持ちはあるが、同時にアパートの住人のことを思い出してしまい憂鬱にもなった。
だが、この機会に真剣に彼女とこのことについても話してみるべきかもしれない。
「マリヤ、君と話したいことがあるんだ……」
自分でも上手くまとめることができてないとわかる取り留めのない話が続いた。
「マリヤ、僕はもう限界だ。それに……君が心配なんだ。とんでもないことを言ってることはわかってる。でも僕と一緒にどこか遠くへ逃げないか。僕の両親が住むセルギエフ・ポサードなら……」
それ以上の言葉を紡ぐ前にアレクセイの口はマリヤの指に塞がれていた。
彼女の緑柱石のような瞳に見つめられると、心が静まっていき、彼女のことしか考えられなくなる。
気がつけば身動きすることさえも敵わなくなっていた。
「大丈夫、きっとまだ引っ越してきたばかりで心の整理がついてないのよ。もう少しだけ待って。そしたら一緒に考えましょ」
「あぁ……」
ここで返事をしてはダメだと心でわかっていても拒絶する事はできなかった。
悪戯っぽい笑みを浮かべる彼女の顔が急に険しいものへと変わった――。
「あら、我慢のできない子が居たみたいね」
先程の優しい声音からは信じられないほど、冷たい声を発するとマリヤはアレクセイの足元へと手を伸ばす。
彼女の手の上には、淫らで毒々しい赤紫色の巨大な蜘蛛が居た。
「危ない! すぐに手を離すんだ!?」
「ふふ、大丈夫よ。ちょっと向こうで離してくるわね? 行きましょうか、〝ジェーニャ〟」
呼び止める間もなく、森の奥へと彼女は消えて行く。
しばらくの間、動くこともできずにいたが、彼女を放っておくわけにはいかない。
毒蜘蛛であれば、急いで離させなければいけない。
彼女が消えた方に十分ほど走ったところ、木陰に佇む彼女を見つけた。
「マリヤ――!!!!」
「あら、来たのね。アリョーシャ、ごめんなさい。ハンカチ持ってないかしら?」
笑顔で広げた彼女の両手にあったのは、わずかに輝く透明な液体と数本の引き千切られた蜘蛛の〝足〟だった。
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