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VII
✝︎
あれから、自分がどうしたのかほとんど記憶がない。
だが、自分は外に出るのも恐ろしくなり、かと言ってアパートに居るのも当然恐ろしく、現実から逃げるように貯金を使い酒を浴びるだけの毎日になった。
ここ最近、あった変化と言えばミーシャの妻であるジェーニャをアパートでも酒を買いに出た外でも見ることがなくなったことだ。
恐る恐る酒屋に居たミーシャに聞いてみたが、妻とは別れたと淡白な返事が返ってきただけだった。
本当は彼女がどうなったのか想像はついている。
だが、それを認めてしまえば終わりだ。
いや、もう認めるしかない。
自分は蜘蛛の巣に囚われた餌なのだ。
彼女はそれを独り占めしようとして殺されたのだ。
自分の嗚咽だけが響いていた部屋にインターホンの音が新たに混ざった。
扉を開けるとそこには予想通りマリヤが悪戯っぽい笑みを浮かべて立っていた。
「いいよ、もう限界だ。君の手で、できるだけ楽に殺してくれ」
「ふふふ、情熱的な告白ね。えぇ、そうしましょう。私、あなたのことを愛しているのですもの。殺したいほどに――」
気がついた時には既にベッドへと押し倒されていた。
冷たい体が上から、自身の肌へと重なり、艶かしい声が響き渡る。
彼女は首を絞めるのが好きだ。
何度も呼吸が止まる寸前まで締め上げては、妖艶な美貌を赤く染めていく。
かと思えば、慈しむように優しく首から下までを手で撫でていく。
まるで無数の手にされているように全身に安堵と、快感が走り抜けていく。
突如、聞こえた銃声が倒錯的な空間を打ち破った――。
強引に扉が破られ、照明が付けられる。
「息子から離れろ! 化け物め!!」
もう長いこと聞いてなかった気のする声に視線を向ければ父がマリヤと向かい合っていた。
だが、何よりも衝撃的だったのはマリヤの姿だった。
あれは〝蜘蛛〟――いや、もっとおぞましいものだ。
体は腹を宙へと見せつけて反り返り、六本の足と二本の腕で地上へと立っていた。
その姿はギュスターヴ・ドレが描いた〝アラクネー〟そのものだった。
その後は一瞬だった。
何発かの銃声が響いた後、マリヤは動かなくなり、蜘蛛の系に体を拘束されていたアレクセイは父と母に助け出された。
どうやら、自分は意識すらないままに数日前から父に助けて欲しいと何度もメッセージを送っていたらしい。
自分はまだ、こんなにも生きたいと思っていたのかと涙が出た。
✝︎
年明けのお祭りのような空気も過ぎ去った頃、ネヴァ川の辺りをイーゼルを持った盲目の女性が歩いていた。
寒さも本格的になり、この仕事もそろそろ限界だろう。
「――っ!!」
雪に足をとられ、体が前に転倒していくのを感じる。
だが、予想していた痛みが来る前に自分の体は誰かの手により受け止められていた。
「危なかったね。一ヶ月ぶりくらいかな?」
「貴方……いつかの泣いてた人?」
「その覚え方はちょっと……でも、あの時はありがとね」
彼に優しく座らせられる。
特に何かを話すわけでもなく、占いの客を待つ女性とギターを弾く青年は隣り合っていた。
「貴方の曲、私は結構好きよ」
「ありがとう。信じられないかもしれないけど僕の曲は好きになってくれた人と、これからもっと仲良くなれるって魔法がかけられているんだ」
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