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ーーまりえちゃん。巧を傷つけてしまったよ。巧がどんなにその人を好きか、僕にはわからないんだ。僕は悪い父親なのかな。
匡久は、好きなアーティストが亡くなって傷つくという経験をしたことがない。
そもそも、音楽でも絵画でも、そんなに誰かに入れ込むという経験がなかった。
ーー僕はやっぱり朴念仁なのかなぁ。
まりえに語りかけるように、匡久は心の中で会話する。
ーーまりえちゃんなら、巧に何て言ってあげるの?
うつろな眼で書棚を見ていた匡久は、ハッとした。
その書棚の中に、『ミズハラナオミイラスト集』という文字を発見したのだ。
書棚に近寄り、ガラス戸を開けて、その本の背表紙の上を押す。
取り出そうとすると、ホチキス留めの薄いツルツルした冊子が一緒についてきた。
その薄い冊子のほうを手にとる。
『199X ミズハラナオミカレンダー』と書かれた表紙。ファンタジー風の和装の少女の強い眼は、巧が描くイラストの人物によく似ていた。いや、巧がこの人の絵を真似て描いているのだろう。
「小学校の頃から、巧くん、この人の絵を真似して練習してるんだよ」
と、昨日、奏が教えてくれた。
自分は、巧の何も知らないのだな、と匡久は思う。
それにしても、199X年。
自分がまだ高校生の年だ。計算すると、まりえはまだ中学生だったことになる。
まりえも、少なくとも中学生の時から、この人の絵が好きだったのだ。
それも知らなかったのだな、と匡久は思う。
イラスト集とカレンダーの二冊を持って、匡久は椅子に座り直した。
パラパラとめくってみる。
美しいと思うけれど、やはり自分には理解できない世界観だ。
巧はこういうものが好きなのだな、としみじみ思いながら、匡久はふと考えた。
この部屋を、ずっと自分の思い出のために閉ざしていたこと。
ーー僕は少し異常なんじゃないだろうか。
確かに、他人にこの部屋を触られたくない気持ちは今も変わらない。
でも、巧や奏にはどうだろう。
この街に大学はないから、三年経てば巧はこの家を巣立ってしまう。奏はあと二年だ。
母の痕跡を、彼らにも解放すべきでないのか。
ーー鍵を作ろう、二人分。
そして息子たちに渡すのだ。
特に巧には、何か将来のために役立つこともあるかもしれない。
何も語らないまりえが、巧と話すきっかけを作ってくれたような気がした。
ーーそろそろ、この部屋も少し整理しないといけないのかもしれない。
それも一人でなく、巧や奏と話し合いながらやろうと思う。
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