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 まだ仕事は大量に残っていたが、終業時間の三十分前、午後五時に、匡久(たすく)は院長室を出て、理事長室に向かった。  今日は、理事長である父の征司(ゆきじ)が出勤している日だ。帰る前に捕まえなければならない。  理事長室のインターフォンを押すと、中から、『どうぞ。開いてるよ』と返事がある。  匡久はドアを開けて中に入った。 「巧に変な話をするなよ」 「何? ああ。……碁を打ちに来た日の話か」 「そうだよ」 「変な話なんかしていない。大事な話だ」 「じいさんの話なんかで、巧を縛るな」  征司は、フンと鼻を鳴らした。 「巧がどう思うかは巧の自由だ。だが、この家の子なんだから、知っておいたほうがいい」 「巧は優しいんだよ。変な話するから迷ってる」 「いいことじゃないか。ゲームを作るなんてくだらんよ。あの子はまだ子どもなんだ。つまらんものに夢中になって……。二十歳過ぎれば、どうせそんな仕事くだらんと自分で思うようになる。子どもに変な道を選ばせてるのは、おまえだよ、匡久。迷わせてるのはおまえだ。もっと厳しくしてやればいい。縛ってやるくらいのほうがいいんだよ。いずれ巧も感謝する」 「だけど……」 「だけど、何なんだ」 「巧の人生だよ。巧が決めるべきだ」 「それはわかってる。おまえはどうなんだ」 「僕が何?」 「おまえは俺の敷いたレールの上を走ってきた。まあ、俺に反発して、二年ほど東京に行ってた時期もあったが」 「行ってよかったと思ってる」 「ふん。帰ってきたことを後悔してるのか」 「僕はしてないよ。でも巧は違う。僕じゃない」 「……あの女の子どもだな、巧は。夢見がちで」 「まりえをあの女って言うな」 「……。なぜ、あのまりえだったんだ。もっといい話はたくさんあったのに」 「大きなお世話だよ。まりえちゃんは純粋な人だったんだ。今、そんな話をしてないだろ。親父は巧が可愛くないの?」 「可愛いさ。いい人生を歩んでほしい。だからここにいたほうがいいんだよ。巧はいい医者になる」 「なりたくないものになっても、いい医者にはならないよ」 「巧も奏も、いい子に育ったな、匡久」 「何だよ、急に」 「二人とも真っ直ぐで純粋だ」 「僕もそう思うよ」 「それはこの田舎で、いい人たちに恵まれて育ったからだ。ここは田舎だけど、いいところだ。そして、この病院は地域に必要とされている。ここで働いて、人のためになり、ここに骨を埋める。それが幸せだと俺は思う」 「それは親父の幸せだろ」 「本当にあの子たちを都会に出すのか、匡久」 「二人ともそうしたがってるよ。僕はあの子たちの希望を大事にしたい」  征司は、大きな溜め息を吐いた。 「この病院はどうするんだ、匡久」 「……この病院は、世襲でやるには少し大きくなりすぎたよ。それに僕には、親父やじいさんみたいな経営の才覚はない。僕はいずれ、いい人を探して、経営を任せたいと思ってる」 「売るのか!」 「ずっと先の話だけどね。今からそれも考えておこうと思ってる。桐生(きりゅう)副院長にも相談しながらね。それにもう、理事には外部の先生も入ってるじゃないか。だけど、当分は僕と親父と桐生を中心にやるさ。藤波(ふじなみ)副院長もいるしね」  征司は唸った。 「俺は、おまえのじいさんたちに会わす顔がないよ」 「そんなことはないよ。親父も一緒に考えてくれ。どうするのが一番、地域や患者さんたちに貢献することになるのか。じいさんが考えてたのは、いつもそれだったじゃないか」 「……いつか、巧が考え直して、医者になると言ったらどうするんだ」 「学費を出してやるくらいの金はあるよ。あとは巧の問題だ」 「……」  征司は長い間、黙っていた。 「戻るよ。まだ仕事が残ってる」  匡久は出て行こうとした。 「匡久!」  呼び止められて、振り返る。 「匡久。あの子たちを外に出すのなら、その前に、きちんと教育をしてやれ。精神の基盤を持たせろ」 「……」 「今でこそ、パワハラだ、モラハラだ、カスハラだと言うがな。昔からそんな連中はいっぱいいるし、これからもいなくなることはない。知らない人間に囲まれて、そういう連中に流されたり倒されたりしないようにーー根になるものを持たせて送り出してやれ。いい本を読ませろ。身体を鍛えさせろ。自分で考える力をつけてやれ。流されない力をつけてやれ」 「……わかった。考えるよ。ありがとう」
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