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26
巧の志望学部がころころ変わるので、どうしたものかと匡久は思っていた。
仕事の昼休み、桐生副院長と弁当を食べながら、そんな悩みを桐生に話す。
今日の弁当は巧が作ったもので、炒めたウインナーが五本と、何だかしょっぱい炒り卵、そして敷き詰められた胡麻塩ごはんというメニューだ。それでも、匡久にはどんなご馳走より嬉しい。
桐生の弁当も息子の郁人が作ったものだが、あちらはおせち料理のように整然としていて豪華である。
桐生は黙って匡久の話を聞いたあとで、こう言った。
「郁人も、まだ志望学部を迷っていますよ。夏休み、いくつかの大学に、妻がオープン・キャンパスに連れて行くと言っています」
「オープン・キャンパス!」
郁人は二年生で、奏と同学年だ。
匡久と桐生が翔雲中学時代からの友人ということもあり、郁人と奏、巧も、幼稚園の頃から仲が良い。
「オープン・キャンパスなんて思いつかなかったなぁ。こんな田舎じゃ、なかなか縁がないよね」
「最近は、オンラインの学校もあるそうですよ。郁人がネットで見つけてきて、行きたいと言ったのです」
「さすが郁ちゃんは、しっかりしてるなぁ」
「あなたも行ってきたらいいではないですか。奏くんは、東京の大学に行くのでしょう。郁人の志望校もほとんど東京なので、受験の時にいきなり一人で行かせるのは不安だから、今年のうちに地理を確認する意味も含めて行ってくると妻は言っていました」
「そうかぁ。僕も連れて行きたいけどなぁ」
「ですから、行けばいいではないですか」
「え?」
「夏の休暇があるでしょう。それでなくても、あなたはいつも有給を全然使っていませんよ」
「……でもなぁ。休みでも、すぐに出勤できるところにいないと不安じゃない?」
「我々はそんなに信用できないのですか」
匡久は目を見開いた。
「いや。そういう意味じゃないけどさ」
「だったらお行きなさい。奏くんにも巧くんにも、あなたしか親はいないのですよ」
「……ありがとう」
「それにだいたい、院長がそんなに働いていては、部下が有給を取りにくくて迷惑です」
「すみません……」
僕はやっぱり働きすぎなのかなぁ、と匡久は思う。働いていないと何だか不安になることは、認めざるを得ない。
ーーセネカには叱られそうだなぁ。僕も読んでみようかな?
息子と同じ本を読むなんて、彼らが小学校低学年の時以来のことだけど、もうすぐ巣立ってしまうことを考えると、そんな時間があってもいいのかもしれない。
彼らが社会人として世の中に出る前に、何を教えられるだろう。
ーーいや、僕が教えてもらうのかもしれないな。
そんなことを考えながら、巧が昨日、久しぶりにSNSを更新していたことを思い出す。
まだお話を読んでいなかった。
匡久は巧のページを開き、一番新しい投稿をタップする。
老人と少年が向き合うイラストの下の、短いお話に眼を通した。
ーーやっぱり、親の背中を見て育つのかなぁ。
巧もあれで意外とワーカホリックになるタイプかもしれないな、と匡久は苦笑する。
匡久は自分の半生を後悔はしていない。若い頃には自分の限界を超えて働いてもいいと思っている。たとえ、それが愚行権の行使に近いものだとしても。
けれど、これからの時代の人にはどうなのだろう。
ーー僕もそろそろ、五十に手が届く歳になるしなぁ。
後悔はしていなくても、人生の時が過ぎるのは速かった。それはやはり、愚かな生き方なのだろうか。
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