23.生きとし生けるもの

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23.生きとし生けるもの

「そんなときだったんだよ、湊と出会ったのって」  プールの上にぷかぷかと浮かびながら、すいは語ってくれた。 「......昔のことを思い出せてごめん」 「謝ることなんてないよ。 こんなに前向きなわたしでもさ、嫌いなものは嫌いだもん。 だから、お母さんが塾のチラシを持ってきたときはとっても嬉しかったの。 はじめて塾に行く前の日なんて夢に見てたんだよ。いい出会いがあるんだって、わたしは確信しちゃってた。 だから、湊くんが声をかけてくれてほんとうに良かった」 「そうなんだね。 でも、僕としたら年近い子が困ってて、どうすればいいのかって思っただけだし」 「それだからうれしいんだよ。 たとえわたしの事情なんて分からなくても、声をかけてくれる人がいるんだなっていうことがわたしには大切だったんだ」  こちらを向いてにこりとすいは笑った。やっぱり彼女はこういう表情が似合う。 「それでも、いつか塾だって卒業しなくちゃいけない。 湊くんと別の高校に行っちゃうなんて嫌だったんだよ。わたしはいつも思ってた。おとぎ話みたいに、この時間が続きますようにって。 そしたら、高校が一緒だったなんて夢にも思わなかった」  きみは、わたしと出会えてうれしい? 瞳で聞かれて、僕はもちろん頷いた。 「わたしは、出会った喜びをきみに伝えたかった。 ケンカをしちゃっても、また会おうって約束をしてさ、それを果たせないままだった。そしたら、風がわたしの姿をさらっていったの。 いつの間にか、人魚姫みたいに夢を見ていたんだ。 気づいたら、このプールに戻ってくることができた。生まれ変わったんだなって思ったんだよ。そしたらまた恋もしなきゃいけないって思うでしょ」  そうだね。尊い願いが、身体を断ってしまっても魂が帰り来るんだ。  たとえ残酷なことがあっても恋の美しさはすばらしい。 「昔、塾の先生に言われたことがあるんだよ。"湊くんに告白しないの?"って。 そのときわたしは恥ずかしくて何も言えなかったけどね」 「ああ、それ僕も言われたことがあるよ」  すいは驚いて、目を丸くした。  それは自分にとって突然の出来事だった。  高校受験が本格化した時期。秋から冬にかけて受験生は体調を管理しましょうと言われていたのに、すいが風邪をひいて塾を休んでしまった日だった。進路先の高校の会話をしている最中に、急に振ってきた話題だった。  自分もすいにも言われていたことには驚いたけれど、塾の先生は茶化して言っていたと思っていた。でも、今となっては違うんだ。  僕たちのことがお似合いだと思っていたから、結ばれてほしいという願いを込めてお互いにそっと告げたんだ。 「......それなのに、こんな身体になってごめんね」 「ううん、また出会えたっていうことだよ。 泳ぎ方を教えてもらって、いろんな話をして。そして、こうしてプールに浮かんでいるじゃん。 今ここにいるという事実は変わらないよ」 「......そっか、ありがとう」  すいがどんな姿であれ、きみと僕はお互いを好きなものの同士。その素晴らしさを抱きしめていよう。たとえ、彼女が消えてしまっても。  ・・・ 「......あ、そろそろかな」  すいが夜空を見上げる。僕もならって顔を上にあげた。  暗い空を、彩るものが見えた。  花火だった。  住宅街のある一角だけ空が開けている。あっちは神社の方角だった。  花火はまず大輪の花のように咲いた。ちかちかと光っては、きらきらと舞って落ちていく。  それが幾重にも重なって、絵画のように美しかった。 「すごい、......こんなところから見れるなんて」 「すごいでしょ! すいちゃんだけの特等席なんだよ」  自慢げに語る彼女を、目を見張る僕を、艶やかに染めていく。 「きみにずっと見せたかった......。 約束を果たせたらいいなって、そしたら花火喜んでくれるかなって」  すいの頬がうれしくて紅潮しているのが分かる。  彼女のプレゼントにも、僕からもきちんとお返ししよう。 「きみに渡したいものがあるんだ」  そう言って浮いた状態からゆっくりと立ち上がる。よかった、ポケットの中にきちんと残っていた。取り出して、すいに見せる。 「......これって」  人魚姫のネックレス。今となっては形見になってしまったのかもしれないけど、すいがずっと欲しかったものだ。ここでやっと渡せるんだ。 「うれしい......、ずっと覚えててくれたの?」 「去年、バイトをして買ってたんだよ。 渡すのがこんな遅くなっちゃったけどさ、喜んでくれるかな」  ......当たり前じゃん。そう言いながらすいは両手を口に当てる。きらめくものが、静かに瞳からあふれていた。  すいの身体を引き寄せて、首元にネックレスを付けてあげる。美しい金色は彼女の姿に添える差し色のように、いつもながらに増すきれいな一面だった。  そうだな、やっと得も言われぬ姿を見ることができた。 「ねえ、湊。......好きだよ」 「僕もだよ、すい」  はじめてのキスは、濡れて冷たいはずなのに不思議と温かかった。    僕たちの姿を一番大きな花火が照らす。  天高く咲いた花火は、何を見ているだろう。僕たちの出会いを彩ってくれたらうれしいなと、そんなことを考えていた。  なにかが産まれなにかが死んでいく。そんな世界を僕らは生きている。たとえ学校やクラスは選べなくても、その中に生まれた小さな出会いを抱きしめてあげよう。  そうすれば、悲しいこともいつか愛に変わる。  散りゆく花火のように儚くても、命はきらめいているから。    すいの身体は七色の光になって消えていった。  今までで見たことのない微笑みは美しかった。生きとし生けるものの幸せを願っているように、そんな尊さを感じてしまう。  それは、虚しさよりも、どこか爽やかな心地よさを感じていた。  彼女の姿を見たのは、この日が最後だった......。
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