餌付けをする話

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餌付けをする話

 翌日、同じぐらいの時間帯に着くよう出かけたら人魚の坊は既に岸っぺりに腰を掛けて待っていてくれやした。 「おせーぞ、にんげん」 「めんぼくしでぇもねぇ。かごとすいとうのよういにじかんがかかっちまいやした」  昨日、抱えて帰ったら服がずぶぬれになりやして、母さんに滅法𠮟られっちまいましたや。そんなわけで今日は籠を持ってぇきやした。  水筒の中身はもらった昆布で作った昆布茶モドキでやす。いわゆるあっしらが飲んでるような緑の茶ってぇのは見つかりやせんで、代わりに姉さんが淹れてくれた出涸らしの色がほんのり紅な茶に干し昆布の粉を混ぜ込んでみやした。  本物の昆布茶には到底及びやせんが、それでも茶の甘みの中に海の味の香るなかなかの品に仕上がりやした。井戸で冷やしてきた甲斐もあって、今日のような暑さの日にはいい塩梅じゃねぇかと思いやす。 「へー、こんぶのこななぁ」 「へい。のんでみやすかい?」  ずいと差し出せば困ったような顔をしなさる。はて?  ……あ。  あー、そうでやした。人魚の坊にすりゃ、昆布は庭に生えてる雑草みてぇなもんでやした。それで作った雑草茶なんぞ飲みたかねぇでしょう。下手すりゃ嫌がらせと思われやす。  ドクダミ茶と思えば……いやいや、あの匂いがダメだっつーお人もおられやすでしょうよ。無理強いは良くねぇ。 「むりにとはいいやせん」  言うと、ムと口元を結んだ人魚の坊が引っ込めかけた椀を奪うように受け取ってずずりと一口。  ついと寄る眉間にぎくりとしたものの、そのまま何事もなかったように二口、三口と飲みなさる。  あっしは飲み慣れた味に近かったもんで満足してやしたが、果たして異世界の人魚に受け入れてもらえるもんでやしょうか……。 「ふー」  椀を下ろして息を吐きなさる。  あっしはついついごくりと唾を飲み込んでしまいやした。これじゃぁいけませんや、冷静を努めて……。 「いかがでやしょう?」 「……わるくないんじゃね? ひえててのみやすくて……なんか……ん-、うみのあじするわ」 「へぇ。まぁ、こんぶのこなですんで」 「もっとのみてぇんだけど」 「よござんすよ」  胸をなでおろすたぁ、こういう心地で。おおむね好評のようで何よりでやす。  ぽかぽかのお天道様にざざーんざざーんと規則正しい波の音、潮風が強くもなく弱くもなく吹いてて、カモメがめいめいに飛んでるのが見えやす。  船着き場には商船が到着したばかりのようで、人の声が波の音に紛れて届いてくるのが耳に心地よい、気持ちのいい日でやすねぇ。  そこに、昆布茶(もどき)を一杯。 「ぷはー」 「ふー」  気も緩むってぇもんでやす。 「いいじゃん、これ。あんなざっそうがこんなふうになるなんてなー。やるじゃん、にんげん」  ありがとうごぜぇやす、と答えようとしたところで『コラ!』とほんの少し咎めるような声が後ろから聞こえやした。  振り向くと娘っ子さんが一人。年のころなら姉さんより少しばかり年嵩でやしょうか。色の白くて眼の大きな愛らしい顔立ちでいやす。将来は別嬪さんでやしょう。  耳、大きくありやすね。いや、福耳みてぇな耳たぶが大きいんじゃございやせん。耳の上が大きくて……尖ってやす。  んんんん? それにしても、度を越して顔色が白っぽく見えるような……光の加減でやしょうか? 「なにあのもりびと。おまえのしりあい?」 「いえ、ぞんじやせんが……」  もりびと……守り人? 森人……?  とりあえず、あっしと同じ人ではないようでやすね。肌が白っぽいのはそのせいかもしれやせん。 「私は通りすがりのエルフさ。あんまりな呼びかけが聞こえたから割り込みさせてもらったってわけだ。……まぁ、それよりも」  あれま。なんだかヨタヨタしてらっしゃる。  えるふ、と名乗り? をあげなすったお嬢は危なげな足取りでそのまま人魚の坊の隣に膝をつきなすった。そして『ごめん』と一言、ようよう零したかと思えば……。 「うえぇぇぇぇぇぇぇぇ」 「うわ、きったねぇぇぇぇ!!!」 「だ、だいじょうぶでやすか!?」  岸っぺりから海へ……胃の腑から魚の餌を吐瀉なすった。 ***  両側から背中をさすったり手拭いで扇いだり。人魚の坊と二人、看病とも言えねぇようなことをして、娘さんはようやっと落ち着きなさったらしい。 「いやぁ、迷惑かけたね」  あっしらの間に腰かけて、昆布茶(もどき)を啜れるようになったころには、顔にほんのり赤みがさす程度には顔色が戻ってきなすった。良かった良かった。 「ったく」  代わりに人魚の坊の機嫌は急降下しちまったみてぇでやすが…。 「ひとんチのにわさきでゲーゲーやらかしてんじゃねぇぞ」 「この辺りは君の家だったのかい? それは悪いことをした。でもまぁ、海の中だし、そのうち魚の餌にでもなるだろう?」 「のらハギふやすなってかあちゃんたちにいわれてんだよ!」  あー、人魚だから野良犬とか野良猫とかじゃぁなくて、野良ハギやら野良ボラやらになるんでやすねぇ。  そりゃぁ、ご母堂にはなんぞ言われっちまうかもしれやせん。 「本当にすまないね。私も船酔いが治まってから動こうと思ってたんだけど、あんまりな言葉が聞こえたからいてもたってもいられなくってさ」 「あんまりなことば、でやすか?」  はて? そんな言の葉、聞こえやしたでやしょうか。  確かに人魚の坊は言葉遣いが多少蓮っ葉でやすが、注意を受けるほどじゃぁありやせんでしょう。  もしや、あっし? 確かにお城に上がるような丁寧なしゃべくりはできやせんが、町中じゃぁこれが普通。少なくとも、江戸ではそうでやしたが、こちらは違うので? ……いやでも、今までなんぞ言われたこともありやせんし、これといって心当たりがちぃともありやせん。  首を傾げるあっしらにかまわず、えるふの姉さんはじっと人魚の坊を見なさる。こっちには背を向ける形になりやすんでえるふの姉さんの表情は分かりゃしやせんが、人魚の坊が怯んだ様をしてなさる。人で言う耳のあたりにあるヒレがしおれていやす。そんな怖い顔をなすってらっしゃる? 「見たところ、彼は友だちなんだろう? 『人間』だなんて、ひどい言葉をかけるもんじゃないよ。めっ、だ」  …………え?  ひどい、ことば……?  鳩が豆鉄砲を食ったような顔をさらしてる自信がありやす。ふと見りゃぁ、人魚の坊も同じような表情でやす。  えぇと……。 「すいやせん。おききしてもよござんすか?」 「うん? 何だい?」 「『にんげん』って、そんなにダメなことばなんでやしょうか?」  そうポンポン口の端に上るような言葉じゃぁありやせんが、これまでだって普通に使ってやした。…たぶん? そのはずでやす。平太だった折に口にしてたとしても、そんな咎められるようなことはありやせんでしたが。  えるふの姉さんはあっしの顔を見、人魚の坊の顔を見て『おやまぁ?』と首を傾げなすった。  もしや知らずに使っていたのかい? だなんて本気で驚いていなさるようだ。あっしと坊が同時に頷くと『あちゃぁ』だなんて呻いて眉間を揉みなさる。 「うーんと……、いや…。ん……まぁ、いいか。ちゃんと教えておこう、うん」  何やらぶつぶつ口の中で呟いていらしたが、あっしら二人の顔をじいと見て話し始められやす。 「君たちは創世のお話を知っているかい?」 「へぇ」 「しってる。そらのめがみとちのおがみが、このせかいをつくったってはなしだろ。んで、いろんなしごとをてつだわせるために、いろんなしゅぞくをつくったんだよな?」  な? と同意を求められやしたので、こくりと相槌。あっしは絵草子で知りやしたが、人魚の坊も似たようなもんなんでやしょう。  日ノ本ではイザナギ神、イザナミ神が天上から降りなさって、鉾で海に渦を作り、淡の島をお造りになって……で始まりやすが、こちらも似たようなもんで空の女神様と地の男神様でこの世界をお創りになられたってぇ話だ。  で、その際にいろんな仕事を二人で分け合ってやってらした訳だが、さすがに二人じゃどうしようもねぇってんでいろんな種族をお創りになった。 「それで、てんのめがみさまがてつだいにえらんだのがてんのいちぞくに、ちのおがみさまがてつだいにえらんだのがちのいちぞくになったんだろ」 「その通りだよ。私と君はエルフ族とマーメイド族で種族こそ違うけれど、同じ天の一族ってわけ。ドラゴニア族とかも天の一族だね。そして、ドワーフ族、コボルト族、リザードマン族とかは地の一族だ」  そこは絵草子で知ってたことでやしたので、うんと、も一つ相槌を打つ。  今思えば、産婆の婆様はコボルト族でいらしたんでやすなぁ。そんなにいろんな種族がいるたぁ知らなかったもんで、生まれたばっかりの時はそりゃぁ驚いたってぇもんじゃありやせんでした。  懐かしい話で。もう、五年も前の話になるんでやすねぇ。 「じゃぁ、ここで質問だ」  ぴっと人差し指をたてて、エルフの姉さんは至極真面目な顔をなさる。 「君らヒト族は、天の一族・地の一族、どちらだと思う?」  えーと、確か…。 「どっちでもねぇんだろ?」  あっしが口を開くより先に人魚の坊が答えなさる。  それに、えるふの姉さんは少し悲しそうな顔をなさった。 「半分正解で半分外れだ。ヒト族は天の女神・地の男神、二柱から仕事を与えられた唯一の種族なんだ。『天の一族と地の一族を結びつけるように』とね」  だからどちらの一族でもないともいえるし、どちらの一族でもあるともいえる。そう静かに言いなすった後、ほんの少し淀んで、一瞬あっしを見なさる。 「『人間』という言葉はね、元は『天の一族と地の一族の間に立つ人』という意味だったのさ。でも、いつしかそんな本来の意味は忘れ去られて『天の一族にも地の一族にもなれない、人と人の狭間にあるモノ』という蔑称で使われるようになっていったんだ」  今はこちらが主流だね、と言い添えた姉さんの向こう側、顔を青くした人魚の坊が見えやした。  蔑称、という言葉の意味は人魚の坊には難しかったやもしれやせんが、えるふの姉さんが言いたかったことは十二分に伝わったんでしょう。薄い唇がわなわなと震えていやす。 「ご、ごめ……オレ、そんな……。あにきたちがつかってたから……ごめん……」 「あー、お兄さんからかー。悪ぶりたい年ごろなんだろうなー」  本当に悪いと思っていなさるんでしょう。  言葉遣いは多少荒っぽくても、初対面のヒト族が困ってるのを見てわざわざ手を…この場合はヒレを? 差し出してくれるようなお子でやす。性根が優しいのは十分に知っていやすよ、あっしは。 「あっしはきにしちゃぁいやせんから。いみもはじめてしったぐらいでやす。おたがいきにやむのはなしにしやしょう。ね?」  言葉は返ってきやせんでしたが、昆布茶を飲んだ時のようなほぅと長い息が漏れたのが聞こえやした。  安心、してもらえやしたでやしょうかね? 「まぁ、そんなわけで」  重苦しい空気を吹き飛ばすかのように姉さんが笑みを浮かべて、あっしらの肩を抱き寄せる。 「今後は名前で呼び合うといいさ。友だちなんだろう?」 「もちろんでぇ……。あっ」 「? ……あっ」 「え、なになに? なんだい?」 「そういや、昨日あっしら名乗ってもいやせんね……」  そうでやす。名前を呼び合いたくとも、あっしらお互いの名前を知りやせん。  なんだか、おかしくなってしまって、ついゲラゲラと笑っちまいやした。つられて人魚の坊も笑ってくださいやす。  ……うん、よかった。笑ってくださいやした。いつまでも暗い顔されてちゃぁ、たまりませんや。 「まぁ、それならちょうどいいや。お互い名乗って仕切り直しと行こうじゃないか」  ぽん、と手を合わせてえるふの姉さんが提案してくださる。  いい案でやす。乗った。 「あっしは、ペーター・クレックともうしやす」 「ディグラ・アジェ」 「私はリウォーネ・グリンワルトだよ。よろしくね、ペーター、ディグラ」 「いや、なんであんたまでなまえいうんだよ!?」 「いいじゃないか。私は今日初めてこの街に来たんだよ? 混ぜておくれよ、友だちになっておくれよ。ダメだなんて言われたら、今ここで大声上げて泣いて見せてやるよ?」 「どんなおどしだよ。あんたもう、おとなだろ?」  …大人?  いや、どう見てもうちの姉さんより二つ三つ上なばかりでやすが……。  そもそも女人の年齢を推測するのはいかがなもんでやしょう。野暮天のすることだって夜鷹の姐さん方にもさんざん言われやしたが…。 「あ、そういう偏見はいけないんだぞ? 私はまだぴっちぴちの527歳なんだからね! エルフにしては若い方なんだからねー」  ご……ッ?  聞き、間違い、で、やす、よね? 「なんだ、まだ1,000はこえてねーんだ?」 「そんなおばさんじゃないよぅ!」  聞き間違いじゃぁねぇようでやす……。  まぁ、いろんな種族のいる世界でやすもんね。べらぼうに長命な種族だっていらっしゃるんでやしょう……。  つくづくと、あっしの常識が通じやしねぇ。  先の『人間』騒動といい、えるふの姉さんの年齢…もとい寿命といい。あっしには考えの及ばねぇことばっかりだ。  勉強が足りてねぇ。  ……精進しやす。
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