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現状把握の話
半年ほど経ってようやくあっしは事態を朧気ながら把握するに至りやした。
思っていた通り、樺色のくりんくりんはあっしの父親であり、稲穂色のまっすぐ髪はあっしの母親であり、女児はあっしの姉。
どうやらあっしは輪廻転生ってぇのをしたらしい。前世の徳によって虫やら畜生やらに生まれ変わるというから、あっしの善行も捨てたもんじゃぁなかったってことか。それか、毎日通ってくる人間があんまり哀れな死に様だったってんで、神様か仏様がお慈悲を与えてくだすったんだろう。
それが異世界だったのは徳不足か。やはり前世以上に信心を重ねるしかねぇやね。最期に神様と約束しちまったことだし。
異世界だと思ったのもつい最近のことだ。最初は外ツ國、しかも見たこともない髪や目の色から阿蘭陀のお人らが住むという長崎の出島にでも生まれたのかと疑った。
しっかし、あっしがいっくら浅薄ったって阿蘭陀のお人方の間に犬の人がいるなんてぇ話はついぞ聞いたことがねぇ。
幽世かあの世かってぇのも考えたが、姉さんにぺちりと叩かれた額は痛かったし、父さんにきゅむとつままれた頬も痛かった。あと、二人を叱り飛ばす母さんの声も耳に響いた。
いやしかし、異世界ってぇのは話が飛びすぎやしやせんか。あの婆様ももしや見間違いってことも有り得なくはない。あの時は生まれたてであっしも混乱してた。犬の顔に見えたのは、もしかもしかでお面か被り物かだったのかもしやしれねぇ。
そんなぐるぐるな考えは昨日すっぱりと吹き飛んだ。
「ペーター、日向ぼっこに行こうね」
ペーターというのは今世でのあっしの名だ。江戸での名は「平太」だったから、似た名前でちいとばかしほっとした。
庭先に生えた木(残念ながらあっしにはなんて木か分からない)の下で日向ぼっこに興じてると、初めて隣人と顔を合わせるってぇことになった。
「あ、その子がフローラちゃんの弟ちゃんですか?」
甲高い声に目を向ければ、縦長の瞳孔と目が合った。鈴を転がしたような美声の……トカゲの顔をしたお嬢さんだった。いや、もしかするとヤモリかもしんねぇ。申し訳ござんせんがあっしにゃぁ、トカゲとヤモリを顔で見分けるこたぁ土台無理てぇ話だ。
お嬢さんは生垣の向こうからこちらを見ていた。
「そうなの。会うのは初めてよね。今日はお仕事お休みなの?」
怯んだ様子もなく、むしろ親し気に母親はトカゲのお嬢さんに声をかけなさる。トカゲのお嬢さんもにこにこし(てるんだと思う)ながら相槌を打った。
「はい。女将さんが風邪引いちゃったみたいで、今日は早上がりなんです。それにしても……わー、可愛い。近くで見てもいいですか?」
「えぇ、もちろん。……『こんにちは、ペーターです。よろしくお願いします、お姉さん』」
母さんはあっしの手を振り振りさせなさる。
「わー、嬉しい。初めまして、ペーターくん。私、お隣に住んでるの。仲良くしてね」
そうっと伸ばしてきた指を反射で握り返しながら、いろんなお人がいなさるなぁと少しばかり眩暈がした。
さすがにこれは、江戸でも長崎でも日ノ本のどこでも……それどころか阿蘭陀や外ツ國のどこにもない世界だろうと、うろこに覆われてなお柔らかい不思議な感触の指を握りながらぁ悟った。
***
ひとしきりぐるぐるはしたが、それがさっぱり吹き飛んでからあっしは胃の腑の奥にすとんと落ち着いた。
ここが江戸だろうが外ツ國だろうが、それこそ異世界だろうが。あっしのやりたいことは変わらねぇ。
前世じゃぁ、江戸でイッチの蕎麦屋にゃぁなれなかった。
でも、あっしはまた生きてる。
だから今度はここで、イッチの蕎麦屋になろう。
やるべきことはたんとある。なんせここは異世界。蕎麦を打つに当たって、材料買って打ってそれを売れば仕舞の江戸とは違う。
まずは資金調達……いや、材料探し……。いやいや、体を大きくするところからか。今のまんまじゃとかく何をするにも父さん母さんを頼りにするしかねぇ。
文字通り一人立ちするところから始めないと話になりゃしねぇときたもんだ。心折れてる場合でも、惑わせてる場合でもねぇや。
これが今世、齢六か月で見つけたあっしのひとまずの目標だ。
千里の道も一歩より。
だから八幡さん、仏様。見といてくだせぇ。あっしは必ずここでイッチの蕎麦屋になってみせやす。
そんで、願わくば、向こうのおっ父さん、おっ母さん、兄ィに妹のことを末永く見守ってやってくだせぇ。それが親より先におっ死んじまった親不孝者の唯一の心残りなんでさぁ。
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