雑草をもらう話

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雑草をもらう話

 さて。  あっしもとうとう五つになり、市場への立ち入りを許されやした。  蕎麦を打つには力も背ぇもまだまだだってぇんで、打つのは後回し。まずは材料が何とかなるかどうか足を運んでる最中でやすが。  蕎麦粉は見つけやした。  水はもちろんあるし、塩も問題ねぇ。蕎麦を打つ材料は何とかなるたぁ分かりやした。  問題は、それだけじゃぁ蕎麦としては食べられねぇってぇことでさぁ。  いや、塩を付けて食う蕎麦も美味ぇとは思いやすが、蕎麦屋としては片手落ちどころか両の脚すら足りてやしやせん。  目下、イッチの問題は……。 「そばつゆをどうしやすかねぇ……」  市場の端から端まで梯子してクタクタになった足を海べりにポンと放り出して独り言ちる。  うちのそばつゆは醤油とかつぶし二種、それに昆布だしを混ぜて調整してやしたが……。  まず、醤油がねぇ。見渡す限り大豆っぽい物が目に入りやせん。こっちには無いのやもしれやせん。  ただまぁ、あっしの生まれたここは海べりの街なんで、幸いなことに魚醤はありやした。魚醤だと多少とがった味になりやすが、そこはそれ、蕎麦屋の腕の見せ所ってぇ奴だ。  次、かつ節。こちらもありやしやせん。ありゃぁ、手間ぁかかるもんでやすからねぇ……。  とりあえず、乾物屋の店先に魚の干物があったのは見かけやしたんで、差し当たってはあれで、なんとか……なりゃぁいいと思いやす。  こればっかりは試行錯誤するしかありやせん。ここは江戸とは違いやす。イッチからの工夫も乙なもんでやしょう。  未だ母さんには厨に入る許可はもらえちゃぁいやせんが……こちらも日々口説くしかねぇです。そっちは今、辛抱の時だ。  しかしながら、市場に出入りして分かった大問題が一つ。 「こんぶ……」  これがまぁ、どっこにも見当たりやせん。干物屋も鮮魚屋も二回以上見たってぇのに……。  それどころか、海藻の一つも見つかりゃしねぇと来た。今日は足を延ばして浜に近い隣区画の市場まで来たってぇのに、本命の昆布はおろか海苔の一束も見つけられやしねぇとは。  店の親爺さんに訊いてみたけど、笑い飛ばされただけで終わっちまったしなぁ。子どもの戯言と思われたか……。  じっと手を見る。まだぷっくぷくのガキんちょの手をしてらぁ。まぁ、この姿じゃぁなぁ。  いやでも、なんで海藻の一つもないんで? 生えてないってぇこたないでやしょうよ。今こっから見えるだけでも布海苔っぽいのが見えやすよ?  ……こうなりゃぁ。 「うみにもぐってとってくる?」  海のそばの育ちとはいえ、まだこの身体で泳いだこたぁありやせん。  あんな死に様晒しといて説得力もへったくれもありゃしやせんが、前世は泳げやしたんで、なんとかなるでやしょう。それに、あの時は服を着てやしたし、冬で真水だったのもありやす。  海でありゃぁ浮きもするでしょうし。いっちょう、やってみますか。  取り急ぎ身軽な格好になろうと立ち上がったところで、制止の声がかかりやした。 「やめろ、バカ」  ちゃぽん、と水の跳ねる音と一緒に前方から童の声。  はて、前から? いやでも、前には海しかありやせんし……。  きょろきょろしてるとばしゃりと水を引っ掛けられやした。 「どこみてんだ、こっちだよ」  とぷりと水面から顔を見せたのは藍色の髪の男の子……気のせいか、瞼が見当たりやせん。  海べりに上がって少し離れた場所に座った坊の腰から下は、魚でやした。見事に青光りしてら……。えぇ……。  磯女(いそおんな)に男がいるとは思いやせ……いや、異世界なんで妖怪変化の類じゃぁねぇのか? トカゲやらヤモリやら犬やら猫やらのお人がいるんだ。魚のお人がいたっておかしかねぇか。 「なんだよ、そのツラ」 「すいやせん。おどろきやして……」 「フン、ぼうっとしてっからだろ」  いや、人魚なんて初めて見やしたもんで…という言葉はなんとか喉奥にしまいこみやした。  江戸にもどっかのお寺や薬問屋にゃぁ、人魚のミイラなんてのが妙薬としてあるってぇ話だが、そんな高価なモンにゃぁついぞお目にかかったこともねぇもんで。 「で?」 「へぇ」 「なんでうみにもぐるかってはなしになったんだ。おまえ、にんげんだよな? にんげんってヒレもエラもねぇんだろ。おぼれじにでもされたら、こっちがメーワクすんだけど」  お前、庭に死体投げ込まれた気分が分かるか? って怒られやした。  すいやせん。正直分かりやせん。でもまぁ、ドザエモンが庭にあったらいい気はしねぇだろうなぁとは想像がつきやす。  ここは正直に謝っておきやしょう。 「すいやせん……。こんぶがほしかったんでやすが、みせさきにうってねぇもんで。うみのなかならあるかとおもったんでさぁ」 「はーぁ? こんぶぅ? おまえ、あんなのほしいの?」  今度はこっちがめちゃくちゃ驚かれやした。なんでそんな……。  いや? ちと待ってくだせぇ。昆布を『あんなの』って言うってぇこったぁ。 「こんぶ、あるんで!?」 「うわっ、きゅうにちかづいてくんじゃねぇよ! ……あ、あるけど」 「っしゃぁ!」  八幡様! 仏様! それからこの世界の二柱様! 感謝いたしやす!! 「そんなよろこぶとか、へんなやつ……。まぁ、いいや。あんなんでいいならとってきてやるよ。ちょっとまってろ」  とぷんと藍色の髪が沈んで暫時、『ほら』と両手に抱えるほど持ってきてくれたのは、濃い琥珀色の肉厚新鮮な昆布。こりゃぁ、高級品にも引けを取らねぇ逸品でやすね。  今から天日干ししてもこのお天道様なら十分に乾くでやしょう。 「ありがてぇ!」  日干しにして出汁とって、出汁ガラはみりんと醤油に白ゴマで佃煮にしても美味ぇ……。薄く削りだしてとろろ昆布にしてもいいでやすし、魚卵と和えてもいいでやすねぇ。  あー、でも材料……。いや、だからって持って帰らない道理はねぇわけで。  涎を垂らしそうな顔をしてたんでやしょう。人魚の坊に腹ぁ抱えて笑われっちまった。 「おっまえ、こんなんにそんなにおれいいうとか……っ」  水面をばっしゃばっしゃ尾ひれで叩いての大爆笑でやすね……。いやでもこれ、いい昆布でやすよ? 「なに? おまえんち、そんなびんぼーなの?」 「へ?」  いや、そんなこたぁねぇと思いやすが……。父さんも近所で評判の大工でやすし……。  一体それはどういう意味でぇ? 「にんげんでもさすがにかいそーはくわねぇとおもってたわ。いいよ、やるよ。うちのにわにぼーぼーにはえてっから、それ」  唐突にすとんと腑に落ちやした。  つまりこの立派な昆布は、人魚の坊にとっちゃぁ庭に生えてる雑草と相違ねぇってことでやすね……。  雑草……雑草でやすか……。いやまぁ、お江戸でも七草がゆにはしますが、ハコベラやホトケノザを日常的には口にしやせんし、常は雑草として抜いっちまいやしたけど……そんな感覚で? 「ほかにもワカメとかメカブとかもあっけど。そーゆーのもいるか?」 「ほしいでやす」  前のめりの返答にまたもや笑い転げられっちまいましたが、食欲には勝てませんや。 「いいぜ、きょうはもうかえらなきゃなんねーけど、あしたとってきてやる。あしたのこのぐらいのじかんにここにこいよ」 「ありがとうごぜぇやす。おがみやす」 「じゃぁな、またあした!」 「へぇい、またあしたで!」  手を振ってあっしは家へ、人魚の坊は海へ、それぞれ帰り路へ着きやした。  後生大事に抱えた昆布で服はべとべとになりやしたが、そんなこたぁ気にもなりやせん。  昆布を手に入れたのはもちろん、嬉しい出来事でやした。 「ははっ」  でもまさか、生まれ変わって初めての友だちが人魚になるなぁんてぇこたぁ、お釈迦様でも分かりゃしやせんでしたでやしょうねぇ。
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