3.前岐阜(まえぎふ)

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3.前岐阜(まえぎふ)

以前岐阜県に住んでいた人が50人来るまで耐久する……と言う配信をしていると聞いてこちらの枠にお邪魔しましたが、どうにか基準に達したようで、私の入室が配信者・XX様のノルマ達成に貢献できて幸甚の至りです。 それで、先程からご要望頂いております、私の岐阜県での思い出を話すと言う事でありまが、なにぶん草深い田舎で過ごして参りましたので、劇的な話にはとんと縁がございません。すこぶる退屈な話になるかもしれませんが、それでも宜しいのでございましたら、幼少期の覚えている範囲までを皆様にお話し致します。 私の故郷は岐阜県の大野郡・白川村荻町にあります、いわゆる白川郷でございます。 その中にある、観光客向けの料理屋の次男坊として生を受けました。 お聞きの皆様のコメントの中には、「何だ、世界遺産じゃないか。良いとこ住みやがって」と思っていらっしゃる方もいるようですが、当時小学生の私には、ただの古臭い茅葺き屋根の集まりに、何をありがたがってみんな観光に来るのだろうか、そう思って憚らなかったものでございます。 当時の私に合掌造りの貴重さなどわかる訳もありません。 この白川郷は、幼い子供にはあまり面白くない村でした。なにしろ大型ショッピングモールやゲームセンター、映画館は当然のこと、大したコンビニもない僻地です。あるのは観光客用の店くらいで、そんなところで退屈を紛らわすには、やはり周りの山林での虫取りや魚、カエルなどを捕まえたり、そんな、都会の生活に染まった今になって思えば牧歌的で楽しい娯楽を楽しんでおりました。 魚といえば、最初は小川や池に泳いでいた鮒やモツゴなどの小魚を捕まえておりましたが、そうして行くと、次第に欲が出てくるもので、大きな魚を捕まえたい、釣りたいと思うようになったのでございます。 実は、白川郷にはそういう魚が居るのです。しかもかなり身近な場所に泳いでいるのです。 白川郷の至る歩道の脇には、50センチ前後の側溝と言うか、川というか、そうした清流が流れておりまして、その中を、大人の拳から肘くらいまである錦鯉やニジマスが沢山泳いでおります。子供心に、この側溝は大好きでした。泳ぐ魚を眺めているだけで、いつの間にかかなりの時間が経ってしまうのもしょっちゅうでした。 大人たちからは、この魚は獲ってはダメだとは言われておりましたが、あまり本気で禁止してはいませんでした。未だ小さかった私には、ニジマスを釣るのは不可能だと両親は思っていたのでしょう。 そうした了見に、当時の私は我慢できませんでした。「俺だって釣れるやい」という思いと、やはり禁止にされていることには挑戦してみたいという悪戯心がありました。 私は、悪友と釣り対決をしようと決めて、普段から愛用している父の作った小さな釣竿を引っ張り出し、家の裏庭の石をどかした所にいたミミズを2〜3匹捕獲して釣り針につけ、人気の少ない通りの側溝まで二人で走って行きました。 早速釣ろうとしたら、簡単にかかりました。しかし魚の力は思いの外強く、モツゴだの鮒だの、そうした小さい魚しか相手にしてこなかった私は怖さすら覚えました。悪友の方もウンウンと竿を引っ張っており、次第にそうした様を見つけた観光客が2人、3人、しまいには10人くらい見学しておりました。夏休みということもあり、ただでさえ普段より人も多い状態でした。現在のようにスマートフォンが普及しているわけではなく、人によってはガラケー、ある人は小さなデジカメ、年配の方が写ルンですで撮っている始末でした。 これだけ人が集まると、村の者がやってきてしまうので散って欲しかったのですが、私たちにはそんなことに構う余裕などなく、ただ魚を引っ張り上げようという思いしか持っておりませんでした。 そしてようやく、私はその魚を釣り上げて、歩道に魚を置くことに成功しました。ビチビチと、濡れた砂を高く舞い上げるその姿は恐ろしかったですが、こんな魚を釣り上げたんだという事実が、とても誇らしく感じられました。 周りで見ていた観光客は拍手喝采で、「坊や、釣った魚持ち上げて!」と綺麗なお姉さんに言われました。都会の上品そうなお嬢さんでしたが、田舎者の私には会ったこともない綺麗な方で、私は良いところを見せようと、釣り糸を摘み上げ、釣果を高々と誇りました。お姉さんは「すご〜い」と言いながら携帯で写真を撮り、他の人も旅の思い出を撮れたようでした。 「ほら、私の腕より大きいよ!」と、お姉さんは腕を捲り上げて、ニジマスの横に自分の腕を差し出して比べてきました。私はその真っ白な腕が余りにも綺麗で、思わず見惚れてしまいました。魚と格闘してた悪友は、「あー、ようちゃん、姉ちゃんの腕みてる!エロいんだ〜」などと言ってきて、私は顔を真っ赤にしてそれを(本当は事実でしたが)否定しました。 そうした観光客さんたちと喜びのひとときを過ごしているうち、観光客の顔の一つに、よく見知った人物を見つけ、綺麗な女性にかっこいい所を見せつける事ができて紅潮していた私の顔からは、一気に血の気が引きました。 その人物は、村の中でも厳しい頑固親父として我々悪童の間では有名で、私も何度か脳天に拳骨を喰らった事がありました。 「やばい。ゲンコウだ!」 おじさんは源治という名前であり、名前にある源の文字とゲンコツの両方の意味をかけて「ゲンコウ」と私たちは呼んでいました。 「こら! また大場んとこの悪ガキか!」 と、ゲンコウは私の襟首を捕まえました。全く慣れたもので、いつの間にか悪友も捕獲されており、その場で拳骨を脳天に喰らいました。 二人とも、余りの痛さに頭頂部を押さえてうずくまるしかありません。そうしている隙にゲンコウは釣り針からニジマスを離し、側溝へリリースしました。 「ああ、もったいない」 そう思いましたが、痛くて声も出ません。 「大丈夫?」 お姉さんが私を覗き込んで、個包装のフルーツ飴を差し出してくれました。 「煽っちゃった私も悪かったし」 と、悪戯っぽく小声で言って、どこかへ行ってしまいました。 思えば、あれが私の初恋に近かったかもしれません。ちなみに、私はあの飴を舐めるのはもったいないと思って、ずっと舐められず机に置いてしまっていました。 その後、私はゲンコウに家に連れて行かれ、両親にこっぴどく叱られました。落ち込んだ状態で店に出ると、先ほどのお客さんが何人かいて、お姉さんもお客さんとしてきてくれていました。後日、私がニジマスを釣った写真が店に郵送されてきて、父はなんだかんだで店に飾ってくれました。今も店内にはあったはずです。 ドブロク祭りというものも、私にとっては大きなイベントでした。 白川郷では五穀豊穣を願って、初秋にどぶろく祭りというものを盛大に行います。お神輿が村を廻り、神事、獅子舞、民謡、舞踊が行われ、午後三時ごろにお客様にドブロクを振る舞うことになっています。 白川八幡神社にはドブロクの館という者があり、そこを見学した方に振る舞うものと同じ酒が、たくさん振る舞われます。1300年前から作り続けていたようで、この祭りは私にとっても数少ない誇らしいものでした。 そして、私は悪童らしく、振る舞われたドブロクを飲ませて欲しいと参加者にねだって回るのが毎年の恒例でした。私たちも甘酒は飲んだことがあるのですが、あれはただ甘ったるいだけで何の面白味もありません。その点ドブロクならばお酒です。子供は飲んじゃダメだと言われている魅惑的なもので、当然飲んでみたい気持ちが先走ります。そして「俺はどぶろく飲んだんだぜ」と学校で友達に自慢するのが一種ステータスでした。 そこで私は、以前ニジマスを釣り上げた時に写ルンですで写真を撮っていたおじいさんが参列しているのを目ざとく見つけました。私は思い切り大人に媚びた声と上目遣いで一口頂戴と懇願し、見事ドブロクを口にすることに成功しました。 ただ、その味は子供の舌にはとても美味とは言えないものでした。味は甘酒に限りなく近いのですが、匂いと刺激がキツくなっており、さらに頭が朦朧としてきました。同じ味なのにこんなに違うのか、大して美味しくないし、飲まなきゃよかった…… そんなことを考えながらふらついていると、例によって現れたのがゲンコウでした。 「あ、大場の悪ガキめ! ついに飲みやがったな」 そう言ってるゲンコウの顔は赤みがかっており、吐く息も甘酒のような匂いがして、とても普段の威厳はありません。完全に酩酊していました。 ゲンコウは笑い上戸で、私を太い腕で抱き抱えて軽く頭に拳骨を見舞いました。軽いゲンコであっても、私には結構な痛みでした。ただゲンコウは私をすぐに解放して、そのまま家にふらついた足ではありましたが送り届けてくれました。 母は私の姿を見て声を荒らげて怒りました。その後には水道水をコップ一杯に注いで私に差し出しました。 私は、自分が本当によくないことをしてしまったんだと思い、ぼーっとしている頭で謝り、水を飲み干しました。 「ほら、拳骨されたんでしょ。こっちにおいで」 母は冷凍庫から、私が発熱した時によく使っている、おでこにのせる氷嚢を取り出していました。そして、膝に私を乗せて抱きしめ、私の頭の患部に氷嚢を乗せてくれました。 酩酊した顔の熱さと母の温もり、そして頭頂部のじんわりと広がる冷たさ。様々な温度が全部一緒になってぼーっとした私を覆っていました。「母の愛」というものを「母の愛」として実感したのはこれが最初だったかもしれません。 秋が過ぎ、長い冬が終わり、春がきて夏を迎え、季節は移り変わって行きましたが、古い村は相変わらず昔の様相を変えていませんでした。 しかし、ある時期から明らかに観光客の客層が変わってきました。 外国人や一人旅は元からいましたが、あまり前は見なかった日本人男性の一人旅や数人の団体がよく来るようになりました。大抵大きなカバンを持っていて、カメラも、ニコンやキャノンの一眼レフを比較的多数の人が所持しており、着ているTシャツが見たこともないアニメのキャラで、良い歳をして鞄や携帯のストラップに人形を5つ6つつけているのでした。 いわゆる、オタクという人たちでした。 実は、この白川郷を舞台にしたアニメが大ヒットしているのだと人づてに聞いて、私は信じられませんでした。東京や大阪のような大都市や、沖縄のように綺麗な海のある観光地ならばともかく、このような山奥の辺境を舞台にして何が面白いんだ? と思わずにいられませんでした。絶対つまらないと思ったのですが、つまらないアニメの舞台にこんなに沢山のファンが来るわけもないよな……と、疑問は尽きませんでした。 そんな疑問を頭の隅に置いた状態で日々を過ごす中、私は白川八幡の境内でいつものように遊んでいました。すると、絵馬を飾っている場所にふと目が行きました。 その時、私は驚いて絵馬に駆け寄りました。漫画のような上手いイラストがたくさん描かれているのです。 様々な人が描いているのでしょう、上手いものが目立ちますが、中には小学生が見ても下手に思えるようなものまで玉石混合といった感じでした。 誰が描いたんだろう。そう思っている中、つい先ほど私の家の店でご飯を食べて下さった観光客の一人が絵馬をかけました。その絵馬には見事なイラストが描かれてあり、思わず私はお客様を呼び止めました。 「お、お客さん! この絵お客さんが描いたの!?」 地元の子供にいきなり話しかけられ、観光客の方はかなり驚きになっていましたが、「そうだよ」と答えてくれました。 「スッゲー! 漫画家さんじゃん!」 「そんなんじゃないよ」 「え、素人なの!?」 「いや、その、一応、描いてないわけじゃないんだけど」 「えーっ! やっぱり漫画家さんじゃん!スッゲー!」  このような、好奇心旺盛な田舎の子供丸出しの不躾な言動をしておりました。 後年分かったことですが、この人は同人誌作家で、この道では10年めくらいの中堅で通っていました。今ではイベントで新刊を買いに行く仲です。 この出会いから、私は定期的に絵馬を確認しに神社に行くようになりました。 特に夏のお盆時期の前後は多くの観光客が汗だくになりながら神社を撮影にきて、絵馬を奉納していきました。そうして見ていく中、みんな似たようなキャラクターを描いているのが分かってきました。 それが、『ひぐらしのなく頃に』と言うアニメのキャラクターだったと知ったのは、店に来ていた一人の観光客のお兄さんから聞いた時でした。 缶バッチやTシャツに描かれたキャラクターの名前を教えてもらい、ようやくあの神社の絵馬の絵が何を意味しているのかを察することができました。 今でいう、オタクの聖地巡礼だったのです。 「こら、洋二! お客様に馴れ馴れしくするんじゃありません!」 母は私が『ひぐらし』のキャラを調べることを快く思ってはいませんでした。アニメを見ようかとしたら母には怒られ、街に出てひぐらしの漫画を調べていたら咎められました。 今思えば理由はよくわかります。残虐な場面が多く、まだ小学生の自分には早いと母なりに思っていたのでしょう。 私は、ほとんど断片的に知り得た知識でひぐらしの聖地巡礼に来たお客様を探しては話しかけて、内容を補完していく作業を行うようになりました。 そして、神社で『ひぐらし』のキャラクターが死んでいた場所に横たわって死んだふりをしてみて、お客様たちに大いに楽しんでいただきました。 「ねえ、せっかくだからよってかない? いいお店知ってるんだ、いいお店」 私はすっかり気を許した観光客の手をひいては、私の店にお連れしました。 暖簾を開けて「何名さまごあんな〜い」と言うと、母や父が振り返ります。その両親の顔を見て、全てを察した観光客は、怒る気にもならず、むしろ破顔して店の料理に舌鼓を打って下さいました。 店の売り上げが明らかに増えていき、その理由の多くは私の観光客ウケがいいからだと言うことを両親は早くから察しており、流石に折れたのか、私に『ひぐらしのなく頃に』を最初から最後まで見る許可を与えて下さいました。 早速父に頼んでレンタルDVDを借り、第一期と二期をかなり短い期間で見終えました。 これで、より聖地巡礼の人と仲良くなれる。 そう思った私は、ふざけて「嘘だ!」と言ってみたり、「雛見沢症候群」と呼ばれる病気にかかった振りとして首をかく仕草をしては、多くの観光客の心を掴んでいきました。 ある時、私は神社で、例によって聖地巡礼の方の前で「雛見沢症候群ごっこ」をしていました。面白い地元の子がいるな、と観光客の数人は眺めていたら、途端に顔面が蒼白になりました。 と言うのも、この時私は首筋を蚊に刺されており、かなり痒くなっていました。また、母の言いつけを破って爪も長めだったので、首を傷つけていたのです。しばらくしたら、出血が始まり、それが止まらなくなってしまいました。 聖地巡礼に来たオタクは大騒ぎです。 そこで、たまたま近くを通りかかったのが、あのゲンコウでした。 私は慌てて自分の元へ走ってくるゲンコウを見て、 「ああ、また拳骨されるんだ。いやだなあ。痛いんだよな」 そう思っていました。 そしたら、ゲンコウは私にゲンコを喰らわせるどころか、私を抱き抱えて、慌てて診療所にまで連れて走りました。 ゲンコウはその道中、私を必死で励ましており、あんなに拳骨を食らわせていた頑固オヤジの印象が全く変わってしまいました。 診療所で治療をして頂き、幸い何のことはなかったようでした。首にガーゼを貼られてゲンコウと帰宅した時、母は烈火の如く怒りました。 今まで私は何度もいたずらをしては母に叱られてきましたが、その時ばかりは心臓が止まるかも知れませんでした。横にいたゲンコウすら萎縮していたようでした。 この時の母の表情は筆舌に尽くしがたく、言うなれば、我が家の玄関に飾られてある魔除けの般若の面。あれを超える恐ろしさがございました。 今の所、あれほど恐ろしい体験はしたことがございません。それ以降、しばらくはせっかく解禁された『ひぐらし』も見せてもらえなくなり、聖地巡礼のお客様との触れ合いも禁止させられました。 私は高校、そして大学生の現在も学生寮生活だったので、白川郷における目立ったエピソードは、本当にこれくらいです。 みなさまには、平々凡々な話ばかりで退屈をさせてしまったかもしれません。 ただ、私もこうしてかつての話をさせて頂き、嬉しゅうございました。 現在、私は故郷白川郷に向かうバスに乗っております。大学生になって1年目のお盆休みに、ようやく帰省できたのです。 両親にそのことを教えたら、二人とも各方面に連絡を入れたらしく、多くの人が来ているよと言われました。 今バスから降りて、実家まで続く道を歩いておりますが、ああ、両親のいうとおり、沢山の方がいらしていました。 私が手を引いて店に連れてきたひぐらしのファンの方たちが多くいました。ひぐらしTシャツでバッチリ決めております。今日の夕方には此処を発ち、明日から始まる夏のコミックマーケットに赴くのだとか。 あのニジマスの写真を撮って下さったお姉さんもいらして、そして、ゲンコウも手を振ってくれていました。 ゲンコウは、しばらくみないうちに白髪が増えていて、少し背が縮んだような印象を受けました。実際は年をとったという点もありますが、私が肉体的に成長したからそう思ったのでしょう。精神年齢は、いまだにあの頃の小学生のままでございます。 それでは、実家が近づきましたので、私はこの辺りで落ちようと思います。 散々自語りをしてから出ていくと言う非礼を、平にお許しくださいまし。 連日の酷暑は大変ですが、皆様もお身体にはくれぐれもお気をつけて下さい。 それでは。 (2017年 日野出学園大学部 文芸部文化祭号掲載)
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