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4.ニンゲン、欠格
恥の多い生涯を送ってきました。
私は、普通で真面目な生活と言うものが一切分からないのです。
私はチバラギと呼ばれる場所、即ち茨城県に生まれ千葉県で育ちました。ヤンキーの血を受け継いだせいか、千葉では房総半島にちなんで暴走族の仲間に入り、殺人強盗以外の悪い事は大体何でもやりました。未成年の頃は少年院に、成人後には刑務所にも入りました。出所してからは中々正業に就けていませんでしたが、今回、どうにか地元のよく知る零細農家に、「就職が決まる迄の繋ぎとして」手伝いで仕事が出来そうになりました。
農家といえば軽トラです。私も有った方が良いと言う事で、様々調べてみました。幸い、私のような悪党にもただ1人だけ友人と呼べる人間が居て、現在ビッグモーターで働いていました。型落ちのダイハツの軽自動車がだいぶ安くなっていて、分割払いが可能ならば何とか買えそうでした。リボ払いは、そもそもクレジットカードが無いので不可能でした。私ほど「信用」と言う言葉から見放された人間は居りません。
そんな中、ふと、逮捕前に付き合っていた女の事を思い出しました。私はその女のヒモでした。女は宝塚歌劇のファンで、特に宙組が好きでした。箱推し、と言うのでしょうか。兎に角その団体所属のスターが好きなようでした。J帝国のファンと通じるものがあるのかもしれませんが、そうしたものに無頓着な私は、全く推し活などと言うものを理解できませんでした。
今思えば、宝塚に貢ぎながら私を養うのはかなりの重労働だったでしょう。私はパチンコや競馬程度しか稼ぎ口がなく、私が連れて行くデートは大抵近所のガイアで、(今はそのガイアも潰れてしまい、空き店舗です)誕生日プレゼントはお得用の鬼殺しでした。その鬼殺しも、殆ど私が飲んでしまっていました。
女は学習院の出でした。私とは天と地の差がありますが、何故付き合ってくれていたのかは謎でした。あちらが学習院なら、こちらは少年院です。学習院とは違い、実技でしか入れない施設です。
私は、ダメで元々と思いつつ、女に連絡を取ってみました。
明里と言う、その女は携帯の番号も変えておらず、数回のコール音の後に電話口に出て来ました。
「いつ出てきたの?」
これが開口一番でした。ヒモになっていた頃とは違い、声には突き放す気持ちが滲み出ていて、出刃包丁よりも殺傷能力のありそうな凶器に思えました。
「二週間前」
「よく連絡できたね」
「悪かった」
「まさか、ヨリを戻すなんて言わないよね」
「言わない。もう他に良い人がいるだろうし」
彼女は特に否定も肯定もしませんでした。既に世帯を持っていると思って続けます。
「今まで、すみませんでした」
私はこれだけを言いたかったのです。電話口の明里は、少し深く息を吸って
「シーバス」
と言いました。私は一瞬、なんの事かわからず、釣りのことか? と訊いてしまいました。
「違う。誰がバス釣りなんて。シーバスリーガルよ。知ってるでしょ?」
知ってるも何も、有名なスコッチです。飲んだことはないですが、存在だけは、スーパーやコンビニにもあるので知ってはいました。
「そのミズナラブレンド。鬼殺しじゃなくて、そっちがいい。今度はちゃんと私に飲ませてよね」
私は、電話で話していたことをこの時ほど幸運に思ったことはありませんでした。その時には私は大粒の涙を滝のように流していたからです。
その後、私は誕生日プレゼントのシーバス・リーガル ミズナラブレンドを買いに、地元のドン・キホーテに向かいました。賑やかな店内の中を通り過ぎてリカーショップに辿り着くと、およそ4千円程の値段となっていました。
私は正業に就いておらず、コレだけの金額を捻出する事すら満足に出来ませんでした。己の不甲斐無さ、今までの行いの馬鹿さを悔やみつつ、店を後にしていました。
地元の悪友と出会したのは、その帰りでした。
「おう、金が無いなら良いとこ知ってるぞ」
絶対に乗ってはいけない。しかし、無い袖は振れません。私は藁にもすがる思いで悪友に着いて行きました。
場所は、ノミ屋でした。非合法な賭場で、現在中央競馬のレースの馬券を受付けしている最中でした。
結果、私はものの見事に外し、財布の中の現金が消え失せていました。
トロ(賭博の借金)を受け付けていたので、それも借りてメインのレースを買いましたが撃沈。酒の代金を買うどころか、逆に借金を背負う羽目になりました。「場」で朽ち果てるから「博打」と呼ぶのだと、この時に初めて実感しました。まさに、この日私という人間は、ある意味では死にました。
これを1ヶ月程続けてしまい、いつのまにか利子を含め、借金は膨れ上がってしまいました。私はどうする事もできずにいると、ある日、私の働く農家の主人、ビッグモーターの友人、そして明里がやってきました。3人で工面したお金を出され、「コレで身辺を綺麗にしに行く」と言われました。
まずノミ屋に連れて行かれ、トロを完済して貰いました。私は頭が上がらず、ただただ謝るばかりでした。
それから、長い時間車に乗って、いつの間にか神奈川県の久里浜にまで来ていました。海沿いの施設に連れて行かれ、車から出ると金田湾から吹く風に乗った潮の香りが心地よく感じられました。
私はそこで診察室に通され、幾つか診察を受けると、別室に通されました。
「えっ」
ガチャン
私はギャンブル依存症として、病院に入れられました。
「保険適用だから。大丈夫。綺麗になって戻って来なさい。ね?」
「軽トラは気にするな」
農夫や友人は、悪戯を反省して泣いている幼児をあやすような優しい口調で語りかけました。明里の目も、愛情だとか、軽蔑だとか、そんなものはなく、ただ可哀想な人間を見る目で私を見ていて、「コレ、入院中使って」と、昔同棲していた時に持たせてくれていた、彼女名義の郵便貯金の通帳を差し出しました。メインバンクやサブバンクは別にあるらしく、私向けにある程度額を調節したのでしょう。昔のように20万円程入っていました。
「いい。いらない」
私は、初めて彼女から勧められた物を断りました。
私は、罪人ではなく、ギャンブルに狂った1人の狂人と言う烙印を押されました。
人間、欠格。
もはや私には、社会人としての一般的な、普通で真面目な生活を送る資格すらありません。
今、私には何もなく、病室の窓を開けて、その海風に当たる程度の生活を送っています。
ただ、一切は過ぎていきます。
それが、私が辿り着いたただ一つの境地でした。
(2019年 文芸部2月号収録)
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