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すべてのすきまにさりげなく
午前九時半を回った。古びた東京郊外の商店街に、初夏の日差しが降り注いでいた。十一時半に営業開始の中華料理店の前には、既に長蛇の列が出来ていた。
時折、ドブネズミが列をすり抜け、隣の店との隙間に走り込んだ。店の換気扇から、生姜が強めの鶏がらスープの香りが漂っている。
「美味しそうな匂いだけど、ネズミが走り回るお店なんて無理」
ミチルは衛生面の懸念をスギオに訴えた。
「ネズミは店の中にはいないよ。ここの店主曰く『ネズミは商売繁盛の神様』だから、外を走る分には歓迎なんだって」
B級グルメマニアのスギオは、カニ玉が銀河系で一番美味しい店だと太鼓判を押す。この中華料理店に三年近く通い詰めているという。
「しかし、いくら旨いとはいえサラちゃんが数年ぶりにこっちに戻ってきたんだから、もっと小綺麗な店を選べよな」
ソウがスギオに突っ込んで、二人が睨み合いを始めた。サラが二人を制して、語り始めた。
「今日の集まりは四年前に開かれるはずだったんだよね。二十歳のお祝いに。コロナ禍でダメになっちゃったけれど」
四人は行列している店のある街の小中学校の同級生だった。ただし、サラは電力会社に勤めていた父親の仕事の関係で引っ越しが多く、町を出たり入ったりしていたので、この町の小中学校に通ったのは通算して四年弱だ。
「再会できて嬉しい。私は短い期間しかいなかったのに、覚えていてくれてありがとう」
「サラちゃんより可愛い子はその後現れなかったよ。忘れるわけないさ」
スギオの言葉にソウは大きく頷くと、ガッチリと手を握り合った。ミチルは男子二人に冷ややかな視線を向けてから、サラに話しかけた。
「サラのお父さんはエリートサラリーマンなのに、田舎引っ越したと聞いてびっくりしたよ」
ミチルとサラの家は隣同士だったので、家庭の事情もふんわりと把握していた。
「そうなの。父は、離島とか山奥とか辺鄙なところに飛ばされてばかりだった。上司に気に入られていないからだって、嘆いていたの」
サラ一家は転勤の気配に怯えて暮らすようになった。神経が過敏になった一家は引っ越しの前にある現象が起きることに気がついた。
「ネズミが突然出てくるようになるのよ。家は綺麗に掃除してあるし、ネズミの気配なんて普段はないのに。父が内示を受けるより早く、ネズミが逃げ出すの」
「ネズミは厄災の前兆だっていう言い伝えもあるものな」
ソウは腕を組んで、したり顔だ。
「まさにそうよ。ネコを飼うようになって、引っ越しは落ち着いたの。それから2年後に、また父の転勤が決まって、家中が動揺したわ」
「猫がサボっていたんじゃないのか」
スギオのツッコミを無視して、サラはバッグから小さな巾着袋を取り出した。袋には、ネコの白いヒゲが入っていた。
「内示が出た直後に、父の会社で家族参加イベントがあって、父の上司のズボンの隙間からネズミの尻尾が飛び出ているのを私と母が目撃したの」
サラ一家はズボンに入ったネズミについて、インターネットで調べた。人に取り憑いたネズミには魔力があり、ネコの妖力で太刀打ちできることが分かったという。
サラの母親が魔除けにネコのヒゲを父のスーツの内ポケットに忍ばせると、転勤話は取り消しとなり、上司は不正が発覚して会社から追放されたと言う。
「ネコパワーすごいっていうか、ネズミ怖い」
ミチルは素直な感想を口にした。
このように行列に並び出した当初は、お互いの近況を報告をしあったり、他愛もない話で四人は盛り上がった。
しかし、一時間が過ぎた頃にはスマホをそれぞれがチェックしながら、ポツポツと話す程度になった。
「うわ、エイドリアン・ウォルシュが亡くなったんだってよ。ミチルの母ちゃん大ファンだったよな」
スギオがネットニュースの記事を読み上げた。六十三歳で亡くなったエイドリアン・ウォルシュはアメリカの人気俳優で、端正な顔立ちとスタントなしで行うアクションで世界中で人気を博していた。
日本では『ドリ様』の愛称で親しまれており、そのファンは『ドリアン』と呼ばれている。
「うちの母、ドリアンやめちゃったのよ。もう五年近く前かな」
ミチルの母はドリ様が来日すると家庭を放り出して、日本全国の映画館での舞台挨拶を追いかけたり、彼の映画にエキストラとして出演するため海外遠征もする熱狂的なドリアンとして、同級生の間でも有名だった。
「おばさま、ドリ様命だったのに。他の人が好きになっちゃったの? 」
サラの疑問に男性陣の二人も「とても気になる」と同調した。
「母は今はK-POPに夢中だけれど、ドリ様への未練はあると思う。ポスターとかグッズは捨てられずにクローゼットに閉まってあるから」
こう前置きして、ミチルは水を一口飲んで、語り出した。
「あのね、ドリ様の『チューチュープレイ事件』って知ってる」
スギオとサラは首を横に振った。ソウはもちろん知っていると手を上げた。ミチルは小声で説明を始めた。
「ネズミを肛門に出し入れしてたんだって。快感を求めて。失敗して救急車のお世話になって、噂が拡散されちゃったの」
スギオは「変態がすぎる。でも気持ちいいのか」と言って、ミチルに睨まれた。サラは「おばさま、それはショックだったよね」と同情した。
ミチルは話を続けた。母親はチューチュープレイ事件にショックを受けた上に、過激な政治運動に参加するようになったドリ様についていけなくなってしまったのだと。
「ドリ様、大統領をディスったり、米軍基地のフェンスに全裸で登って反戦パフォーマンスをしたり、話題になったもんな。今思えばチューチュープレイでついた変態イメージを払拭するために、頑張ってたんだな」
スギオの発言に、ソウが「それは違う」とスマホの画面を見せた。画面には外国の新聞の風刺画が表示されていた。建物の影に潜むネズミが、ラジコンのコントローラーで大統領を操っている。よく見ると大統領のズボンの後ろの隙間からアンテナのようにネズミの尻尾がはみ出ている。
「真相はこうだ。ネズミが世界を支配するために、権力者や有名人のお尻に積極的に入り込むんだ。ドリ様も自分で入れたんじゃなくて、ネズミに侵入されたんだ」
「知らなかった。破廉恥プレイも政治活動もドリ様じゃなくて、ネズミの意思だったんだ。母に真実を伝えなくちゃ」
スマホを取り出して、ミチルは母親にメッセージを打ち始めた。その間もソウは知識を披露した。
「しかも、そのネズミは目的を果たすと人体から脱出して、別の人間の体に引っ越すらしい。酸素もないところで生き抜ける、宇宙から来た極悪ネズミだって説もあるぞ」
「ネズミが世界を動かしているって、そんなバカな話があるかよ。ソウは相変わらずの都市伝説マニアだな」
ソウの大真面目な説明に、スギオは乾いた笑い声を立てた。ソウは目を吊り上げた。
「私は信じる。だって、さっき話した通り父の転勤もネズミの仕業だったから」
強い口調でサラが言った。スギオは「ごめん、俺も信じる」と頭を下げた。
目に涙が滲んで手元が見えなかったのか、サラは巾着袋をバッグに仕舞おうとしたところ、足元に落としてしまった。
「大事なネコ様のヒゲが。大変だ」
スギオが巾着袋を拾おうとしゃがんだ瞬間、シュッと小さな黒い影が背中とズボンの隙間に入り込むのをミチルは見た気がした。確認しようとしたところ、店のドアが開いた。
「四名さん、お待たせ」
「やったぁ」
ガッツポーズをとるスギオのズボンから、今度はアンテナ状のものがはみ出ているのを目撃した。
時間は正午を回っている。太陽のせいで幻を見ているのだろう。
ミチルは自分を納得させて、クーラーが効いている店内へ歩みを進めた。
了
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