case.6

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 たまたま家にいてよかった。実際、仕事をしていたら定時退社しても受け取れないことが多く、何度も足を運ばせてしまった。ただ土日に受け取りを指定すると、受け取る頃には生鮮食品が傷んでしまっていることもある。  母は足が悪い。週の後半に送って欲しいと懇願しても、車がないと生きていかれない田舎においては父の都合に従うしかない。手書きの伝票だと通知も事前に把握もできない。結局傷む前に受け取るために平日の一番遅い時間を指定して受け取りチャレンジをするしかない。  宅配便がもっと夜に受け取れるようになればいいのに。シフト制になるとか交代になるとか、何とかして。その方が再配達の手間がなくていいのではないか。そもそも早朝から夜まで働いているのがおかしいのだ。八時間労働の根拠だって二世紀も前に提唱されたもの。日本に至っては導入されてからその半分の歴史しかない。八時間以上働かせてはならないはずなのに、残業代をつけるだけで良しとするのはどうかしている。  労働時間はもっと短くなるべきだ。八時間が上限であるべきだ。許せるのは八時間の睡眠と八時間の休憩と八時間の労働までだ。休憩を含めると実際の拘束時間は九時間だし、残業が恒常になっている仕事はどうかしている。早朝から荷物を運び続ける宅配業者、睡眠時間を削るトラック運転手、休日や昼夜を問わず仕事をしている上司の働き方が適切である訳がない。いつか誰かが尻を拭う日が来る。  既に家庭には皺寄せがいっているだろう。家庭より仕事を優先する瞬間があるのは仕方がなくても、仕事に逃げるのはただ負担を配偶者に押し付けているだけだ。先輩の奥さんや私の母のような存在に。仕事は評価が定数で表され成果が目に見えるが、家庭においてはその限りではない。  丁寧に梱包された箱を開けると、いつもと変わらないラインナップの野菜と米が詰め込まれている。その奥底からラップで包まれた一筆箋が出てくる。 「仕事は順調ですか? 家にはいつ帰ってきますか? いつでも帰ってきていいからね」  ここ数年、母はそんな手紙を忍ばせる。これは母のSOSだ。母は仕事に明け暮れる父の、我が家の歪みを一身に引き受けている。  母子家庭で育った母は最速で就職するため商業高校に入学し、取れるすべての資格を取って寮のある会社に入社した。当時にしては珍しく、実力で評価する上司の元で快適に働いていたらしい。だが取引先だった父が母を見初め、幾度かの熱烈な求婚の末、遂に絆されて結婚を受け入れた。結婚後も働き続けることを条件に。  だが舅姑との同居に伴い約束は反故に、結婚と同時に家庭へ入るよう強要された。親の言うことだから我慢してくれと、努力して手に入れた職を取り上げられた。寿退社が当たり前の時流に抗うことができなかった。その上、結婚してすぐに子を授かった。母はそれでも諦めず、子育てがひと段落したら働こうと考えていた。  だがその矢先に事故に遭い、足を悪くした。車がないと生きていけないような田舎、父が運転する車にしか乗れない母。障害者雇用なんて外聞が悪いと言う家族の反対にあって、母は自立する術を失った。その後舅姑が早くに亡くなったのは不幸中の幸いだったのかもしれない。  実家の話をすると誰もが帰って母を楽にさせてやるべきだと言う。母の手紙にはいつでも帰ってきてもいいと書かれているが、本心では早く挫折して戻って来ればいいと思っている。その先に待つのは家庭という墓場だ。父は私に見合い相手を用意するだろう。父にとって都合のいい相手を。  自立したい。誰にも依存せずに生きていきたい。それだけなのに。たったそれだけのことが、身の程をわきまえない、贅沢な願いなのだろうか。  実家には帰りたくないくせに、実家から送られてくる米と野菜で糊口を凌ぐ自分が酷く惨めに思えた。
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