第3章ー死に花は咲かずともー

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サーシャの意識が途切れ途切れに覚醒を始める。 停滞していた思考が加速を取り戻し、はたとサーシャは目を大きくした。 「スタン!スタン!!」 泣きそうな声で名を呼ぶ。 スタンは静かな声で「落ち着け」とサーシャを抱き締めてやる。 「カリオンが!!」 「案ずるな。無事だ」 落ち着かせる声音に、サーシャは大きく息を吐く。 「本当に?」 「俺は嘘は言わない」 「生きてるの?」 「無事だと言っただろう?それ以外に何がある?」 「、、、そう。良かった」 枯れていたはずの涙が、サーシャの頬を伝う。 しかしそれは、安堵の涙であった。 落ち着きを取り戻せば、今度は計り知れない恐怖と押し寄せる羞恥がサーシャを襲った。 「、、、あなたには、恥ずかしい所ばかり見せているわね」 サーシャは己の濡れた服と床の水溜まりを見下ろして言う。 「何が恥ずかしい?状況を鑑みれば、嘔吐や失禁などーー」 「やめて。言葉にしないで頂戴」 窘められ、スタンは口を閉じた。 サーシャは溜め息を漏らす。 「早く、これを外して」 サーシャは己を縛る縄を見下ろして言い、スタンは既に何処からかナイフを取り出していてそれを切断した。 解放されたサーシャは「直ぐに着替えたいわ。匂いも酷いし」と立ち上がろうとした。 しかし、体が動かなかった。 気付けば、手も足も震えている。 力が入らない。 「どうした?」 サーシャの異変にスタンが眉を寄せれば、サーシャは突然身を屈めた。 「ーーッ!」 嘔吐。 スタンはサーシャの肩を支え、背を擦る。 「薬だな。抜ければ害は無い」 スタンが言うも、サーシャはそうではない事を理解していた。 恐怖。 脳裏に焼き付く、カリオンを殺した時のミミズクの瞳。 人殺しのそれだ。 彼は、薬を自身に投与する時に言った。 「俺の事を喋れば、何処に居ようとお前を殺しに行く。何処に逃れようとも、お前の周囲の人間から一人一人確実に殺し、最後にお前を殺す」 サーシャは震える左手でスタンの服を掴んだ。 見上げた瞳が恐怖に染まっている事実に、スタンは困惑した。 安心は与えたはずだ。 なれど、サーシャは未だ恐怖に支配されている。 理解が及ばない。 「スタン。私、、、」 声も震えていた。 焼き付いた恐れが、未だ肉体のコントロールを許さない。 「何を恐れている?」 スタンはゆっくりと膝を落とし、サーシャを見つめる。 サーシャは口を開くが、あの男の名を口にする事が出来なかった。 わなわなと震わせる唇に、スタンははたと思う。 「ミミズクか?」 言葉に大きく瞳を揺らすサーシャ。 「落ち着け」とスタンはサーシャの頭を撫でてやる。 「その恐怖から逃れる術を教えてやる。簡単だ」 スタンは逡巡の躊躇を見せたが、直ぐに続ける。 「俺は今、お前に忠誠を誓っている。お前は俺に命令をすれば良い。"奴を殺せ"と。それだけで、お前は奴の恐怖から逃れられる」 スタンの瞳は真実を映している。 だからこそ、サーシャはそれを言うべきか困惑していた。 だが、こびりついた恐怖が口を動かす。 「ころ、、、して」 倫理だとか、平静だとか、そんな理想的な言語で片付けるよりも、単純に未来であの驚異に晒されない事を望む心情が、言葉を吐かせた。 スタンは優しく微笑む。 「承知した」 言い終わった瞬間には、スタンは消えていた。
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