序章ーある1つの定義ー

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スタンは木々の隙間を高速で駆け抜けていた。 枝を足蹴に跳躍を繰り返す。 後方では里にて剣戟や怒号が喧騒となり、燃やされる家々の炎が明かりとなって辺りを照らし尽くしている。 下方では敵だろう騎士達がスタンとは反対方向に駆け抜けて行くが、誰一人として上方のスタンには気付かない。 そんな様子を尻目に、スタンは思考の淵に落ちていた。 長老が自分達を逃がしたのは、泥濘の中にある現状では苦肉の末に出した良策であると思えた。 確かに四人を戦場へ出陣させたとして、滅亡寸前のこの状況が好転する事など天地が逆さまになってもあり得ない。 しかして誰一人にも里の復興や引き継ぎを告げず、ましてや里の解散を告げた事には疑問が残る。 本当に終わらせるつもりなのだろうか。 一抹に抱えた不安が胸を染めていく。 「生きろ」と言った長老の言葉。 己は里の外の常識を何も知らない。 否、知らされずに生きてきた。 任務のみが己の存在理由であり、それ以外の思考を働かせた事がない。 ならば何故、自由を強調する言い方をしたのだろうか。 行く宛など有りはしない。 やりたい事とは何だ。 思考がぐちゃぐちゃに混ざり合い定まらない。 どうしたら良い、何をすべきかと。 初めての感覚に苛まれ、スタンは一際背の高い木の天辺で止まった。 見上げれば、巨大な月がスタンの心情を表すように揺れて見える。 後方では未だ燃える里が喧騒を鳴り響かせている。 ふと、混じり合っていた思考の波がそのうねりを止めた。 「全部、無かった事にすれば、、、」 全てを無に帰してしまえば、丸く収まるのではなかろうか。 この選択肢を選ばざるを得なくさせた現状を、つまり、戦争の起因足る討伐隊を撤退させれば、里も、己の居場所も守れるのではなかろうか。 「殺すか。全員」 スタンの透き通った空色の瞳の奥に闇が蠢く。 言葉にしてしかし、不可能の文字が踊る。 相手は『討伐隊』の名を冠しているが、軍だ。 目算にして数千は居るだろう。 流石に一人では、無謀と言わざるを得ない。 鍛えられた生存本能と殺戮の経験則が両方とも目に見えた結果を告げる。 ならば、と。 「ーー指揮官か」 その視線を森全体へと這わせる。 『烏合』も『討伐隊』も変わらない。 頭目を失えば、離散は免れないはず。 視線が一ヶ所で止まる。 里から遥か離れた場所。 森中にあって、小高い丘となっているその場所。 山間にある里全体を見渡す事も可能なその場所が間違いなく、指揮官の居場所だ。 月明かりに照らされたスタンの人影は、音も形も残さずに消えた。
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