花は踊っていた

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その年の秋にあたらしく下宿の学生が来ることになったので、女の子たちはみんなどこか浮き足立っているようだった。私もそんな気風に押されて、どこかせきたてられるような気持ちでいたように思う。それでも騒ぎにすすんで加わろうとしなかったのは、少女に特有のあの小さな意地のためだろう。私が十七歳になったばかりの頃の話だ。  私の家は静岡の伊豆にあった。  暑くもなく寒くもないぼやけた気候に一年中を守られた故郷は蜜柑畑の多いのどかな町で、ながく続いた戦争の間も軍国主義などどこか遠くに忘れ去ってしまったような、呑気とさえ言えるような雰囲気が全体にただよっている場所だった。  切り立った崖から海がよく見える見晴らしのいい場所に、当時は珍しい丸太造りの家を建てて父と母と老祖母と私、まだ幼い妹の五人で住んでいた。他には兄が一人いたけれど、早くに戦争で死んだので私はその顔を憶えていない。  父の経営していた写真館はおそらくはそれなりの繁盛をしていて、暮らし向きは悪くなかったように思う。私と妹はよく営業時間が終わった撮影スタジオの中で貸衣装を纏って演劇ごっこをして遊んだりしていた。特に気に入りは真っ赤なドレスで、これを妹と取り合って喧嘩などしたものだった。  その頃戦禍はまるでどこか別の世界の話のようで、私もその空気の中で気ままに暮らしていた。思えばなんと能天気だったことだろう。  戦災で焼け出されたなどの話はあちらこちらでよく聞くものの、幸いそれも他人事と思ううちにどうにかこうにか終戦を迎えた。そう胸を撫で下ろしたのも束の間、引き上げていく戦闘機が気まぐれに捨てていった爆弾で家が燃えた。  近所で見ていた人の話によれば、警報のない空にぱっと上がった戦闘機から無造作に降ってきた爆弾が私の生まれ育った家をすっかり燃やしてしまうのは、あっという間のことだったという。  家人がみな出払っていたのが不幸中の幸いと言えるかもしれない。戦争が始まって初めの頃に特攻で死んだ兄の遺影は燃えてしまった。  こうなっては住むに困った五人の家族が行く先は数える程もなく、一家はゆく手を探しながらも野宿をする他なかった。見慣れたこじきの群れの一人に自分が加わっただけだったはずなのに、よるべの無いのがこんなに惨めなことだとは思わなかった。生活の何もかもが借り物であるような、息をするのでさえ何かに遠慮しなければならないようなあの重苦しい申し訳のなさやり場のない怒りとを、私はきっと生涯忘れられないだろう。  何日も風呂に入れない日が続くので顔は油ぎって、それでいて変にヒリヒリと突っ張って、ガラスに映る自分の目が妙に血走ってぎょろぎょろしているのを見てぞっとした。軽蔑するような嫌な臭いが、他でもない自分の体から滲み出ていた。何か少しずつ人間らしさの本質が、自分の両手からすり抜けてどこかへ消えてしまうような日々だった。  そんな流浪の暮らしが年を越して春先まで続いたところで、私は親戚のつてで文筆家をやっているという人のところに女中として住まうことになった。それは育った町とは反対に磯の香りの届かない山の中で、何かというとかなぶんやらかめ虫やらが家に入って追い出すのに難儀したことを記憶している。一時は屋根のない暮らしをしていたというのに虫の一匹や二匹で騒ぎ立てるというのも、考えてみれば変な話である。  出発の朝に母は汽車の前で長いこと別れを惜しんで、どこで手に入れたのだか真新しい美しいリボンを私に贈った。私はそんなものよりまだ続く寒さを凌げる外套や首巻きが欲しかったけれど、母は道に溢れた物乞いに身にならない施しをすようなる人である。そんな気の利いた贈り物のできぬのが物の少ないあの時代にあってもまだめでたい考えでいた母らしいとも思う。  また、女中がリボンなど付けて行くあてなどもあるまいに、それでも年頃の娘に何か華やかに身を飾る物を持たせたいという親心を思うと胸がしんとなった。片時も離れず育てた子が手元から去っていくというのは、一体どんな気分だったろう。そうして決して奉公先で弱音は漏らすまい、ゆめ帰りたいなどと思うまいと小さな車輌の中で私は誓ったのだった。  車内はすし詰めで息も苦しいほどだった。ただでさえ足の踏み場もないのに二人降りては五人乗り、乗車口まで届かず「失礼、失礼」と窓から出ていく者までいる始末だ。座席を確保してゆったり座っている人たちがなにか特別な権利を有しているようで羨ましくて仕方がなかった。  遠く頼れる親戚の住む地まで歩いていかなければならない人もいる。乗車チケットを手に入れられただけでも上等だろうに、体勢を変えるのにもいちいち難儀しながら、お金を払ってまでわざわざこんな辛い思いをするとは、人間というのはつくづく馬鹿げていると思ったものである。これなら足を痛めて山を越えるのとどちらが良いのだか知れない。それでも電車を途中で降りようという気にはならなかったし、結局人間というのは苦痛があると分かっている場所にさえあえて頭を突っ込んでいく生き物なのだろう。それでなければとにかくもう誰も彼も皆、考えることに疲れてしまっていたのかもしれない。  やっと降りた駅は生まれ育った伊豆の町とはどこか違って、それでもなにか通じるものがあるような田舎の草木の匂いがした。途中闇市で餡パンを一つ買って、それをムシャリムシャリと食べながらほとんど空っぽのトランクを引きずって坂の多い道を何度も曲がったところに昔ながらの——さいわいにも戦火をのがれた——屋敷が見えてきて、私は事前に渡された手書きの地図の正確なことに感心した。  屋敷まであとはまっすぐな一本道というところで、こちらに近づいてくる人があった。顔見知りかといえばそうではなく、まるで見知らぬ青年がまっすぐな道を私のいる方に向かって歩いてきた。 「やあ、今日からおいでになる女中さんですね」  青年はひょろりと長い背の腰を折って私に頭を下げて、村松と名乗った。村松氏につられて両手を前にしてお辞儀をした私の横でトランクが坂道を転がり落ちて、二人してそれを追いかけた。もたもた走る私を颯爽と追い抜いてトランクを捕まえたのは村松氏の方で、こちらを向いてはにかんだ顔はまだずいぶん幼いようにも見えた。  彼はそのまま自然にトランクを持つと、屋敷の方へ引き返して歩き出す。 「すみません。駅まで迎えに行こうと思っていたんですが、途中迷いませんでしたか」 「ええ、地図をいただいておりましたので」  彼の方では迎えに出なかったことを悪く思っているようだったが、私にしてみれば荷物を代わって持ってもらうのがかえって申し訳ないくらいだった。勝手を知っている様子に家の誰かかと思っていると、なんでも村松氏は生物学が専門の学生で、ここへは寮に空きが出るまでの間に合わせに下宿しているのだという。 「女世帯で僕などは肩身が狭いですが、あなたのような人にはいい環境ではないですか」  程なく屋敷の門をくぐり、村松氏が擦りガラスの入った引き戸を開けるとひとすじ暖められた家の匂いが吹き抜けていった。入ってすぐの階段を上がった先が私の居室だと案内されて、私はきいきい鳴る階段をつま先で登った。ここがこれから私の住まいになるというのが、奇妙に不思議に感じられた。  荷物を置いたところで家主を探して挨拶をすると、主人となる人からは労いの言葉をもらった。歳は四十か五十くらいで、怒っているのか笑っているのか分からない顔をした人だった。それでも親切にしてくれる様子は心掛けの良い人らしく、私はよい所に勤めが決まったと一安心した。  風呂を借りて久々に自分の体を取り戻したような心地がした。石鹸の香りが嬉しい。本当にいい所にくることができたと改めて思った。  部屋へ戻った私は家族に宛てて手紙を書かなければと思ったのだが、うとうととまぶたは重くなって、結局その日はトランクの上に突っ伏して夢も見ずに眠った。  あくる日から私に与えられた主な仕事は、離れに住むご隠居の身の回りの世話だった。これまで奥様が見ていたが、一人では手が回らないこともあるからということらしい。急人を一人雇うのでは暇を持て余して肩身の狭い思いをするのではないかと考えていたのは杞憂に過ぎず、わざわざ役目を貰えたのは助かった。  ご隠居の食事は温かい牛乳と白身魚をほぐしたものを三度用意する。専用のミルクパンで湯のみ一杯分の牛乳を沸かして蜂蜜を少し入れ、焼いたり蒸したりした魚を箸で摘みやすいように割いていくのだ。世の中にこんな仕事があるとは知らなかった。といって世間の他の仕事など大して知りもしないのだが、かえすがえすもこの境遇をありがたいものだと思った。それと同時に、あるところにはあるものだという無意味な嫉妬もまた頭をもたげる。私の家族が人を雇う側だったらどんなに良かったろう。  ご隠居の足は達者で厠などへは自分で行けるそうなので、その掃除や居室の簡単な片付けも私がやったが、このご隠居は日がな一日布団の上からほとんど動かないのでとにかく手間がなかった。  老人性の皮膚の乾燥で白く剥けた皮が畳に積もるのを、たまに掃いて掃除するくらいのものだ。そうした仕事以外には周りの女中のほんの手伝いをすればよかった。  難しいことはないのですぐに慣れた。新入りをいびって面白がるような変人もいないようである。誰もみな、似たような境遇だったのかもしれない。寂しく寄り添い合うような空気が、透明な繭のようにあの場所に完成していた。  食事を持っていくたびご隠居は機嫌よくそれを食べるのも見ていて愉快だった。ほとんど話すことのないご隠居の口が動くのが唯一食事の折で、歯のない口をもごもごと動かしている様を私はじっと眺めていた。 「美味しいですか」  と訊ねると陽にあたった顔が僅かにこちらを向いて、濁った瞳がうろうろとしばらく辺りをさまよう。そうして首をまた元の位置に戻すのが決められたからくりの動きのようでおもしろく、私はしばしばご隠居に話しかけた。なんとなくこの人のことを思い出す時は、柔らかく暖かい昼間の日差しがその記憶に付きまとう。  ある時食事の済んだ膳を下げに歩く途中、私の前をへびが横切った。私の片腕くらいの長さのその白蛇は、こちらには一向頓着することなく玉砂利の上をするりするりと泳ぐように這って軒下に消えた。その後にはかぴかぴした抜け殻が残されている。毒蛇だろうか。だとしたら、住みつかれたりしてはたまらない。そう思いながら、炊事場へ戻った。そこへちょうどご主人の食事の世話を終えたらしい菊ちゃんの居合わせたので、めいめい冷めかけたご飯に味噌汁をかけたのをざぶざぶとかきこんで夕飯にした。 「この家には充分の物があるんだから、ありがたく貰っといたらいいのよ」  そう言いながら菊ちゃんはお新香まで取り出してぽりぽりとやっている。その豪胆さにはつくづく頭が下がる思いだった。  食事は特別に用意するものの、煮炊きする場所は屋敷に一つきりなので他の女中と話をする機会はもっぱらこの炊事場が多かった。 「ここで奉公していると、みんないいご縁があるんだって」  少女じみた口調で、照れくさそうにそう耳打ちした。村松氏の登場に色めき立つのは、そうした背景も影響しているのだろう。  続いてこんな話も聞いた。 「離れには幽霊が出るって。あなたの前の人はそれでやめたのよ」  幽霊などよりも実際に害のある毒蛇の方がよほど怖いと思ったけれど、それでもそんな話の後だったからか、私は少し神経過敏になっていた。  ご隠居の用ききに離れに向かう途中、幽鬼のようにゆらりと不気味に立つ影があった。一瞬どきりとしたが、なんのことはない。それは厠に立ったご隠居だった。部屋へ戻る渡り廊下で動けなくなったようだった。そんなところへ偶然にも村松氏がやって来て、ご隠居が部屋へ戻るところまで手を貸してくれた。 「勉強をしていたら離れの渡り廊下の方に灯りがついているのが見えて、覗いてみたら何かややこしい様子だったから」  という彼は使命感に燃えた模範的な孝行青年の風情があった。ご隠居がそういう生き物として、うまくからくりのように動き続けるものだと決めてかかっていた私は恥入った。それで、何か沈黙を誤魔化さなければと思ったのだ。 「あの、幽霊の話があって、最初はご隠居だとは思わなかったんです。でも、よく見たらご隠居で、足元はふらついていらっしゃるし、何かお助けできればと」  言うことが容量を得ないのが自分でも分かって、ますますどう言葉を選んだものか不明になっていく。 「君は幽霊を信じているの」  村松氏の言葉に責めるような色はなかったが、それでも歳のわりに子供じみていると指摘されたような気がして私は耳までかっと熱くなるのを感じた。人がいつか死ぬということ以上には、私は幽霊の存在を信じていたのかもしれない。  それから一月もしないある日、ご隠居は静かに動かなくなった。私がそれに気が付いたのは麗らかな日差しが差し込む午後のことだ。障子が開け放してあったので桜の花びらが吹き込み、その掃除には骨が折れた。何かぽっかりと穴が空いたようになった部屋を見渡して、骨と皮ばかりの寂しい背中に詰まっていたものを思う。花と一緒にうすい皮膚片が膜のように畳の上に張っていて、蛇の脱皮のことを思い出していた。ご隠居は皮を脱いでどこかへ這ってゆくのだ。その空想は悪くない気がした。  葬列の後に、村松氏が眩しそうな目をして手庇を作る。 「君はよく世話をしていたから、寂しかろうね」 「でも、きれいな桜がよく見えて良い死に方だと思いました」  これは本心から答えた。夏の汗ばむ陽気でもなく、冬の寂しい寒さでもなく、命の始まりを最も感じさせる明るく美しい春。  そう答えると、村松氏はどこかのデパートのポスターにでもなりそうな顔で笑った。村松氏が初めてしんから笑ったような気がしたた。私はくすぐったいような嬉しいような気持ちになって、つま先が温かいのだか冷たいのだかわからなくなった。そのまま村松氏の顔を見上げているのは妙な気がして、私は早くも葉が芽吹き出した桜の木に目をやるふりをした。  そろそろ家族へ向けた手紙を書かなければいけないと思った。便りのないのはよい報せなどというが、それも限度があるはずだ。汽車の前で別れたきりの母もずいぶん心配していることだろうと思うと申し訳がない。何かどこか時間を見つけて書こう書こうと思ってはいても、物の貴重な頃である。その上もともとが筆不承なのでなかなか紙にペンを下すという気が起きなかった。この屋敷にはそれこそ紙もインクも売るほどあったが、だからこそそれを当たり前に使うことがどこか憚られた。所詮これらも、今この場所に奉公しているから借りることができるに過ぎない。そんなふうに思うと、ますます手紙は私を遠ざけた。母や祖母、妹からの手紙が届くたびに嬉しさよりもかたじけなさが先に立ち、文字のやり取りというものは果たしてこんな複雑な様相を呈していただろうかと疑問が浮かぶ。浮かぶばかりで書くことは特になく、なんだか自分の暮らしが味気ないような気がした。しばらく便りを出さなかったわりに大したことのない中身にしかならないというのがまた私に手紙を書くことを躊躇させた。日光に当たる老人の顔を守るように伸びた産毛やら、幽霊が出ると噂の渡り廊下やら、不思議と縁が付くと言う奉公先のまことしやかな噂話。それらのどれをどう構成して送ればいいのか、さっぱりわからない。伝えたいことなど本当はただの一つもないのかもしれない。  それにひきかえ菊ちゃんはすごい。郷里へ宛てた週に一度の便りを欠かさないというのだから見上げたものである。一体何を書いているものやら、皆目見当もつかない。悩みに悩んで私は結局奉公先は良いところです、ご主人も良い方です、お世話をしていたご隠居が先ごろ亡くなりましたという極めて簡素な手紙を書いて、村松氏のことはなぜだか一言も書かないままでポストに出した。  この手紙に返事は来るだろうか。きっと来るだろう。そうしたら私はまた暮らしのいくつかをかいつまんで書いて、書かなかったことをそのたびに少しずつ自覚していくのだろう。では、書いたことはどうでもいいこと? なんと薄情なことか。
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