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松の依頼を受けることにしたが、そもそも史郎も人捜しの伝手なんて限られている。
当然ながら情報通の糸に、土産を持って相談に行くことにした。土産に買ってきた団子を食べつつ、玄米茶をすすりながら糸は「はあ」と答えた。
「神隠しねえ……しろさん、ずいぶんな依頼を引き受けちまったじゃないか」
「そうは言ってもな。さすがに遠路はるばる江戸まで出てきて奉公先を放逐されたんだったら気の毒だ。訛りが消えるまで、さぞや松にも苦労があっただろうに」
江戸より南に下るか、北に向かう。それで使う言葉も食べるものもだいぶ変わる。その土地に馴染むよう努力していただろう松が、いらぬ疑いをかけられて奉公先を追い出されたのは憐れだった。
なによりも、普段は妖怪退治以外にはあまり興味を見出さない椿が、いつになくやる気を出したのが気になった。
(これは椿に関係はないとは思うが……似ているとでも思ったのかね)
史郎は糸に出されたお茶を飲んでいたら、糸は言う。
「一応聞くけど、しろさんもなんの見立てもなくあたしに話を持ってきた訳じゃないんだろう?」
「まあ……奉行所に行っても仕方ないっていうのが気になっている」
「それは大名屋敷なんかがかかわっているからと踏んでかい?」
「それもある。ただ、話を聞いていてもどうにもわからねえんだ」
糸は元々夜鷹だったせいか、人の話を聞き出すのが妙に上手い。そして史郎は小役人であり、どうしても口を噤むことが多く、考えていることは多いがそれを口にするのが苦手だ。だからこそ、糸に吐き出すことで自身の考えをまとめている。
「わからないっていうのは?」
「……もし大名屋敷なんかに許嫁が手を出されてみろ。若旦那は泣き寝入りで終わっていたはずだ」
「そりゃそうだね。治外法権だったら大名屋敷にどうこうなんて奉行所だって動いちゃくれない。でも、お松さんは神隠しされたって言ったんだね?」
「忽然とだからなあ。だがなあ……忽然といなくなった。神隠しだ。そこまで疑うのもまだわかるが。そのあとの松の扱いが腑に落ちない」
「……古株が抜けて、一番困るのは店なのに、若旦那はもちろん、他の面々が助けないってぇのはちょいと変な話だねえ」
史郎視点では、松の証言をそのまんま鵜呑みにしていいかも自信がないからこそ、糸に相談している訳だ。
話を聞いた糸は「まあわかったよ」と火鉢にぽいっと団子の串を捨てた。一瞬火柱ができたが、それもすぐに炭と一緒にぐずついて、焼けるにおいを放った。明日になったら真っ黒に焼き焦げていることだろう。
「とりあえずは、お松さんの奉公先と、その周辺の様子を調べてくるよ」
「ああ、頼んだ」
「まあ……あたしも自分が拾ってきた子については、責任取らないと駄目だしねえ」
そう言いながら糸が立ち上がっているのを見て、史郎は自宅へと戻っていった。
椿は気のせいか、普段の快活さがなりをひそめてしょんぼりとしている。
「大丈夫かい。お松さんの話は今、お糸さんに頼んで調べてもらっているところだよ」
「はい……神隠しの話っていうのは、私にも覚えがあるので、ちゃんと解決して欲しいなと思っています。お松さんもそうなんですが……桜さんがあんまりにも可哀想なので」
椿の搾り出すような声に、史郎は息を吐きながら、火鉢に炭を足した。
赤々と燃える炭火を見ながら「なあ椿」と史郎は声をかける。今の今まで、薄々わかってはいたが、それを尋ねていいかがわからず、聞きそびれていた話だ。
「そりゃお前が長崎の遊郭にいた経緯と関係あるのかい?」
「……え?」
もしここで否だったら、普段の椿であったら「なにをおっしゃるんですか、先生!」と悲鳴を上げそうだが、椿は固まったまま、史郎を凝視するだけだった。
史郎は「ほら、さっきお糸さんにも買っていった団子。それ食べろ」と言いながら団子を差し出すと、椿は怖々とそれを口に頬張った。もぐもぐと口を動かしたのを見てから、史郎は口を開いた。
「前々から、椿は夜鷹や吉原に対して、なんの偏見の目も向けないなと思っていた。最初はやたらめったら丁寧口調だから、どこかの大店の家出娘かとも思っていたが、それにしては偏見の目がない」
「……一生懸命働いてらっしゃる方にそんな目は向けられません」
「そりゃそうだ。しかし、自分が恵まれてるって自覚のないお嬢さんってえのは、意外と差別的だからな」
「それ、先生がお仕事で出会った方がそうだったんですか?」
「陰陽師に相談に来るような金持ち連中は、だいたい腹に一物があるんだよ……で、極めつけはお前さん、出島の話についてやたら詳しかったからなあ。出島なんてのは、異人以外だったら女は遊郭の遊女以外は行けないはずなんだが、そこに詳しいとなったら、どれだけ誤魔化してもな」
出島に女性が遊女以外禁止なのは他でもない。人身売買を禁ずるためである。特に日本人の黒髪は異国からだと物珍しく、高値で取引ができてしまう。おまけに異国の法律を優先されたら太刀打ちできないため、こうして異人の出入りを出島中心のみ、女性は遊女以外は完全立入禁止にしていた次第であった。
それに椿は「先生にはすぐ見破られてしまいますわね」と困った顔をした。
「はい……おっしゃる通りですわ。私は元々、長崎の遊郭に売られました。そして異人相手に仕事をしていましたの。だから異人の持ってきたものについては、そこそこ詳しいと自負しておりますわ」
「なるほどな。だが、どこから陰陽術を学ぶ流れになったんだ? いざなぎ流陰陽術が学べるのは土佐だろう」
「……はい、順番としましては、私が幼少期にいざなぎ流陰陽術を習っていたのが最初。その次に、とある理由で親に売り飛ばされてしまったため、流されて長崎に着きましたの」
「……とある理由?」
普通に考えれば、陰陽術なんて大きな金にはならない。本家の陰陽術と違って女性も学べるのがいざなぎ流らしいが、今の陰陽師なんてのは、生活はかつかつなのだ。儲かっているのは、民間に手広く商売をやっている土御門の本家か、幕府直轄の天文台勤めの者たちだけだろう。
そう考えたら椿の実家はそこそこ裕福な家のはずだが。それがいきなり売られたというのはただ事じゃない。
椿は脅えたように、口を開いた。
「私は……神隠しに遭いましたの。毎日のようにいざなぎ流陰陽道を学びに通っている中、帰り道、猫が通っているのを見て、猫に触りたくて追いかけていったら……気付けば三年経っていましたの。その間に、実家の店は潰されて、行方不明になっていた私が急に現れたのを見た家族は驚いて、そのまんま売り飛ばされてしまいました……」
そこで史郎はやっと合点がいった。
「つまりは……俺にやたらめったらと妖怪退治しているのが見たいって言ったのも」
「だって。私をかどわかしたのはいったいなんだったのかわかりませんもの。それを倒せるようになったら、私みたいな被害者はもう出ませんわ……皆とは言いませんけど、私みたいに神隠しされた挙げ句、戻ってきても気味が悪いからという理由で売り飛ばされる人は、少ないほうがよろしいでしょう?」
「まあ、な」
史郎はどうしたもんかと自分も団子を頬張った。
(小役人には手に余るぞ。もしも本当にお松さんの奉公先の人が、神隠しされていたんだとしたら)
史郎の願いは、脆くも崩れる。
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