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人買いから子を買うのは、なにも吉原だけではない。
大店は常に奉公人を欲しているが、男はいずれ暖簾分けして出て行き、女は所帯を持って出て行く。その都度仕事を教え直すのが面倒臭く、手っ取り早く暖簾分けも所帯もなくずっと安く働いてくれる人材を求めていた。
その中で神隠しというものは便利だった。
飢饉であったら、子供を捨てるというのも「仕方ない」と思われ、子を人買いに売り捌いても誰もなにも言わなかった。
そうでなくても、子だくさんのせいで家計が火の車でにっちもさっちも行かない農民は多く、その都度神隠しと称して売りに出されていた。
しかし一応は、人買いを表立って幕府や藩が支援できる訳もない。だから、江戸で行われる。治外法権である大名屋敷で行えば、奉行所も簡単には手出しすることができないからだ。
行方不明になった女子供は「神隠しになった」と吹聴して回れば、いずれ人は「そんなものか」と諦めがつく。
平民が高くて滅多に病院の世話になることができず、陰陽師の配る護符や札、まじないで誤魔化すことが多い。なんでもかんでも「神のせい」にしておくことは、一種の諦めに繋がっていたのだ。
だからこそ、まさか陰陽師に出し抜かれるなんて思ってもいなかったのである。
門番のほうに、突然幕府直轄の陰陽寮の陰陽師がやってきたのだ。
「申し訳ございません。こちらのほうに凶兆が出ておりまして。これが江戸を脅かすかもわからぬ凶兆なのですが、調べることはできないでしょうか?」
幕府の許可証まで出してきたのだから、さすがに慌てた。
門番が「しばし待たれよ」と言って、奥に引っ込む。
「どうされますか。このままだと神隠しと称してかどわかした女子供が見つかります」
「……仕方ない。女子供を酒樽に詰めて、裏口から大店に運べ」
「選ばせなくてよろしいんですか」
「このままだと幕府の人間に勘付かれる。大店であったら金で物も言わせられるだろうが……」
大名も年々参勤交代で金が消えているため、人買いを行って大店から金を工面していた。金のためには、恥も外聞も捨てなければならなかったのだ。
慌てて皆がそれぞれ女子供を酒樽に詰め込み、そのまま運び出そうとするが。
裏口で待っていたのは、別の陰陽師だった。
「これはお武家様。かような真似は困ります」
「……なんだ、貴様は」
ひょろりとした陰陽師であった。全体的に小役人じみた容姿であり、狩衣の烏帽子と、陰陽師だということ以外に取り立てて目立つ特徴のない男。しかし、目だけは爛々と光っていた。
「ただの小役人ですよ。陰陽寮所属の」
ここで陰陽師を斬れば、普通に奉行所が出てくる。大名屋敷内のことは治外法権だが、外のことは、奉行所の管轄だ。
つまりは、表の陰陽寮の陰陽師にせっつかせ、裏で待っていたという次第だった。そしてそこには、ひょろりとした男が立っていた。
「驚きましたが……妻が世話になった陰陽師殿が、人買いの情報を持ってきたので調査をしたい。しかし大名屋敷だから下手に調べることもできないから、せめて護衛として着いてきてくれと」
「なっ、貴様は……」
「江戸目付の渡辺と申します。大変失礼しますが、その中身、検めさせてもらってよろしいでしょうか?」
目付は、江戸城に入る人々の監視役であり、奉行になるためにはどうしても就かなければならない役目のひとつである。当然ながら江戸城に入る大名の監視も任務のひとつである。
前に助けた姫に、それとなく連絡して話をしてみれば、彼女が家を出るほどに恋い焦がれた夫を紹介してもらった次第であった。
小役人気質な男は、小役人なりに問題のある大名の攻め方をわかっている。
それに男たちは悲鳴を上げた。
「者どもー! こやつらは江戸目付と陰陽師を名乗る不貞な輩だ! 斬り捨て!!」
「……無茶苦茶なこと言ってるじゃないですか、この人たち」
「今時、人買いを大っぴらに、それも大名ぐるみでやられたら困るんですがね」
そうぶちぶちと史郎と渡辺が囁いている中。
シャン。
豊かな鈴の音が響き渡った。
シャンシャンシャンシャンシャンシャン
シャンシャンシャンシャンシャンシャン
それは史郎の連れてきた陰陽寮の陰陽師の持ってきた鈴であった。
陰陽師は鈴を使わない。基本的に祝詞を唱えるが、それすらなく、鈴を鳴らして場を踏み固める。その鮮やかさは、侍たちが呆気に取られ、凝視するが。
鈴の音と同時に、空が曇ってきたのだ。
「お、おい……!」
「あなたがたのことは、きっと泰山府君は見逃してくれないでしょう……ほら、天より怒りを覚えておられるようだ」
途端に稲光が鳴る。それに侍たちが「ひぃ……っ!!」と悲鳴を上げた。
渡辺は困った顔で史郎を見た。
「あの……これは」
「いえ。空を見ていれば、今日は昼から雷雨になるとは読み取れますから」
「はあ……陰陽師様はすごいですね。だから暦をつくれる訳だ」
「はははは……本当なら誰もが空を見て、天気を占うことができたら廃れる技術ですがね。どうしてかちっとも皆は空を見上げないんですよ。だから未だに陰陽師は職として残っている訳で」
雷が落ち、大名屋敷は悲鳴が上がった。
最初は息巻いて、真相を知った人々を殺そうとしたが、人智を超える力を見せられたら、もう手足もでなかったのである。
実際に、歯痛には札を貼り、腹痛には札を貼り、風邪には札を貼るというものが未だにまかり通っている。
知識のないものには、まやかしと観察眼による賜物の区別が付かないのは道理だった。
****
その間に、酒樽に詰められていた人買いにさらわれた人々も次々解放される。
皆、一旦奉行所に送られて、身元が判明したらそれぞれの故郷に送り出すつもりだ。その中で、松が追い出される原因になった桜も、たしかにいた。
史郎が松に「一応なんとかなりましたよ」と声をかけに行ったとき、心底申し訳なさそうな顔で、桜が立っていた。
ただいるだけで独特の色香がある松とは違い、立っていると水仙の花を思わせる澄んだ雰囲気のある女性であった。
松はどっと涙を流す。
「お、奥様……!」
「お松……本当に私がいなくなったばかりに申し訳ありません。あの人には、私から……」
「いいえ……私はもう、次の場所がありますから……」
「でも、あなたはわざわざ仙台から江戸に出てきたんですから。帰れる場所があったほうが、いいわ」
「けど……」
桜の言い分もわかるが、松が言い淀むのもわかると史郎は見て思った。
彼女は本当になにも悪くなかったのに、彼女に対する不満が桜のかどわかしが原因で湧いてしまったのだ。そのせいで帰るに帰れないと思っても仕方あるまい。
桜はよくも悪くもなにごともなかったから、彼女を迎え入れようとするが。
見かねた史郎が「まあまあ、その辺で」と手を叩いた。
「お松さんも新しくつくった付き合いがありますので、なかなか追い出された場所に戻ることもできないでしょう。そして奥様も若旦那に早く顔を見せて安心させてあげてください。ふたりで話すことができる場として、この長屋に来てもいいですから。大家も歓迎していますよ。ねえ、お糸さん?」
松と桜の再会を見届けていた糸は、いつものように気怠げに煙管を噴かせながら、小さく頷いた。
史郎は話をしに茶屋へ出かけたふたりを見送りながら、椿を見送った。
椿は呆気に取られた顔をしていた。
「先生……」
「なんだ?」
「今回のこと、本当に」
「おう」
「妖怪を退治なさったんですね!」
椿は目をキラキラとさせて訴えた。それに史郎は遠い目をした。
「俺がやったのは、普通に人買いについての調査とたれ込みくらいで……」
「ですけど! お松さんの憂いに神隠しを突破しました! すごいです! 本当に……すごい」
彼女はポロポロと涙を流していた。
思えば彼女の神隠しのことだけは、史郎もさすがにその場にいなかったために、なんの説明も付けられないのだ。
人はわからないものには、あやふやな名付けしかできないのだから。
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