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第2章 黒髪の剣士
朝、夜明け前のひんやりした空気がまだ路地のそこかしこに残る時間、僕たち巡検師団は、マーリンや城に残る皆に見送られながら出発した。
本来必要な十二人に一人足りない僕ら十一人は、馬の姿に変えた竜に騎乗している。
僕が乗る馬も竜を変化させたものだけど、デューイではない。デューイはカケスの姿で、よりによって僕の頭の上に座っている。
頭の天辺がもふもふと温かいけれど、バランスを取るためか、デューイは時々爪を立ててくる。
カケスにしてはその爪が強すぎる気がするけど、そもそも竜だから仕方ないのかな、と本来の姿のデューイを思い描く。あの真珠色に輝く鋭く大きな爪。
……やっぱり肩に止まって欲しいな。
僕らの頭上に広がる空は柔らかに晴れていて、朝早くから働き始めている城下の住民から挨拶を受ける。
「いってらっしゃい、領主様」
「気を付けるんだよ、口に合わないものは無理して食べなさんな」
「お帰りになったら、ちょっとここの井戸を見てくれませんか」
……親しまれているということだろう、きっと。
あまりにもいつも通りの雰囲気に、もとから緩みがちな巡検への気持ちがさらに緩んでいく。
形式だけ、人が住んでいない場所だから。
何かが起きるはずもない。
強大な魔術師はもちろん、人に使役されない“野生の”竜なんて、もう十数年も見られていないし。
けれど思い出す昨夜の夢の記憶。赤い夕焼け。白い月。血に塗れた母の体。
「おおーい、おおーい」
聞き覚えのある声に、落ちかけていた視線を上げると、街路の脇にひょこひょこと跳ねるジャービル先生の姿があった。
ジャービル先生は僕と目が合うと早速走り寄ってきた。
「なんじゃあ、立派だなあ。さすがわしの弟子、水の領主様だ」
わしの弟子、という言葉にやけに力が入っているように聞こえた。
「先生、しばらく留守にしますが、帰還したらまた先生のお宅に伺います」
僕がそういうとジャービル先生はふむふむ、と顎の鬚を撫でつけた。そして僕の後ろに続くラジル達、巡検師団を見回して重々しく口を開いた。
「時に巡検師団は十二人と決められていなかったか。一人足りないようだが」
わし最近暇だぞ、という言葉を最後まで聞かずに、僕は馬の上からにっこり、ジャービル先生に笑いかけた。
「いってきます、先生」
むぐう、と口をへの字に曲げるジャービル先生を後に残して、僕たちは先に進んだ。
けれど城下町の最外壁の門を出た時にふと、思いついた。
帰ってきたらジャービル先生にあの夢の事、母の事を聞いてみよう。先生なら何か知っているのではないだろうか。
城の中の誰かに聞くのは、躊躇われた。父に聞くのも、無理だと思った。
巡検の地は国境付近。
そこに辿りつくまでの行く先々で、やっぱり水道工事や井戸の修理を頼まれた。
なんでも巡検師団がここを通るという前触れを聞いて、手ぐすね引いて待っていたらしい。
「先代の領主様は定期的にいらしてくれたけれど、今の領主様は気まぐれで、いつ来られるのか分かりませんから」
「ごめんなさい、なるべく定期的に国内を見回るようにします」
そんな公国民からの有りがたいご意見に答えながら移動を続けて、そして気がついた。
この国には武術に優れた人間がまったく見当たらない。
「この辺りで剣術や武芸に秀でた者はいませんか」
そう、いくつかの村の長にも聞いてみた。答えはだいたい同じ。そのような人間は王都へ集められているらしい。
いくつか水道工事をしながらだったから、巡検の報告開始地点である竜の領土との国境の端、そして土の公国との国境に近いあたりに辿りつくのが、予定から少し遅れてしまった。
明日から正式な巡検の公務になるその夜、宿の食堂でみんなで夕食をとった。
数日間の行程で僕らはかなり打ち解けて、端から見れば仲の良い者同士の気楽な物見道中にも見えただろう。
……実際、そんな感じだったんだけど。
だから少し大きめのその宿に同宿している者達は、僕たちが何かの役人とはうすうす気づいていても、まさか公主の巡検師団とは思いもつかなかっただろう。
中でも一番若い僕が領主だとは。
そんな雰囲気をいいことに、僕は好奇心の赴くまま食堂の中を見える範囲でちらちらと見回した。
巡検師団に足りないあと一人。もうあまり贅沢はいっていられない。ちょっとばかり見栄えがすれば誰でもいい気がしてきた。
可愛い女の子でもいいかも。ちょっと年上で剣術使いでセクシーな女騎士とか。
気の緩みがあるのは十分自覚していて、どんな子がいいかな、とうっかり妄想を始めた僕の耳に、ガチャン! と強く食器が叩かれる音が聞こえてきた。
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