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第3話 なぜだか懐かれた
「好きなもの、飲んで食べていいぞ」
希壱の最寄り駅で降りて、馴染みのある居酒屋に入った。邪魔をしてしまった詫びをしようと、一真は最初からおごると決めていた。
それを聞いた希壱は初めこそ遠慮をしたが、席に着く頃には一真の言葉を受け入れて、楽しそうにメニューを眺めている。
週末の夜。普段であれば混み合っている人気店。しかしタイミングが良かったようで、広い座敷に案内された。
カウンターやテーブルもいいけれど、座敷は各席に仕切りがあり、落ち着いて話ができる。
「希壱はどのくらい飲めるんだ?」
「んー、ほどほどかな。生ビールをジョッキで、七杯くらい飲むとだいぶ回るかも」
「そこそこって感じだな。酔い潰れないならいい。希壱は弥彦と一緒でデカいから、潰れられると俺じゃキツい」
一真自身も決して小さくない。百八十センチあるので長身の部類なのだが、三島家の人間は長身が遺伝なのか、希壱は八十後半だ。
学生時代、彼はバスケをしていたので、長身プラス体格もいい。酔い潰れた希壱を運ぶのは、一真には至難の業だろう。
「潰れた峰岸さんを、俺が介抱したいところだけど、ザルなんだよね。姉さんが自分と飲めるのは峰岸さんだけだ、って言ってた」
「あいつもザルだからな」
「今日は程よく付き合ってください」
「ああ、たまに俺ものんびり飲みたい」
「へへっ、良かった。注文するけど、峰岸さん好き嫌いある?」
「特にない。なんでもいいぞ」
一真は二品ほど選んで、残りをすべて希壱に任せた。体が大きいだけあって、よく食べるのを知っている。遠慮せず頼めと言うと、しっかりご飯ものも頼んでいた。
「今日は悪かったな」
飲み物が先に届き、手始めに一真は本日の出来事を改めて詫びた。するとわずかに希壱の眉が下がり、苦笑いが浮かぶ。
「ほんとに大丈夫。むしろ気づいて声かけてもらって、嬉しかったから」
「嬉しい?」
「久しぶりなのに、俺のこと覚えてたんだなぁって。……あ、兄さんと似てるからか」
「昔はうり二つって思ってたけど、いまはそうでもないな」
しょんぼりとした雰囲気で、頼りなく笑う希壱を、一真はじっと観察する。
兄の弥彦と希壱。そして彼らの父親は、一目で血の繋がりがわかるほど似ていた。
長身で、人の好さそうな顔立ちに細目で、最後に会った時も、この家族は本当に似ていると思ったものだ。三年経ったいまは――
「二十歳を過ぎて大人になったからかな。顔つきがだいぶ違う。弥彦はお人好しが顔に出ていて、ぼんやりした感じが変わらないが、希壱のほうはかなり男前になったな」
「ほ、ほんと?」
「嘘を言ってどうするんだよ」
驚きの表情で問いかけてくる希壱に、一真はわずかに首を傾げる。
清潔感のある短髪で、キリッとした太い眉に、細目だけれど意志が強そうな瞳。
長身で体格も良く、希壱には弥彦にない男らしさがある。
「俺、友達でいたいって言われがちで」
恥ずかしそうに視線を落とした希壱を見て、一真は驚きで目を瞬かせた。
(そこは兄と一緒なんだな)
お人好しな弥彦は好きな女性に、似たような台詞で、何度もフラれてばかりだった。
「でも、よく相手と何回も出会えたな」
何度もフラれたと言うことは、何度も同じセクシャリティーの相手と、出会っているという意味になる。
バーに希壱を誘ったのも常連だったらしいので、お仲間だ。
「えっと、出会い系のアプリがあって。あっ、変な、怪しいところじゃないよ? 管理も行き届いてるし。趣味の合う人同士でマッチングするんだけど、セクシャリティーでもゾーニングされていて」
「へぇ、時代だな」
「この歳まで恋人ができた経験ないから、そろそろ恋愛したいなぁって。姉さんは結婚したし、兄さんも最近恋人ができて、妙にご機嫌だし」
「なるほど」
出会い系アプリに手を出してしまうくらい、恋がしたいと、恋人が欲しいと思う気持ちが一真にはよくわからない。
むしろ青春時代を過ぎたあと、新しい関係を始めるのが億劫になった。おかげで母親にまで心配される有様。
なんと言葉を続けていいかわからず、一真は手にした生ビールのジョッキを口元へ運んだ。
「峰岸さんは、恋人ずっといないって以前、姉さんから聞いたけど、いまも?」
「……今日だけで、三人に聞かれるとは思わなかったな」
「ご、ごめん。もしかして聞いちゃ駄目な話だった?」
「いや、今日に限って何度も聞かれる、と思っただけだ」
独り言めいた一真の言葉に、希壱の顔がさっと青くなる。その大げさな反応に、苦笑した一真は再びジョッキを傾けた。
「希壱はなんでそんなこと知りたいんだ?」
「いや、好奇心というか。峰岸さんっていつも女性といる印象があって、あそこで会うとは思わなくて」
「別に隠していたわけじゃないが、男と女、どっちが多いかと言われれば、確かに後者だったかもな」
「でも恋人じゃなかったんだよね?」
「――そうだな」
これまで複数人と関係を持ったが、一真が交際をした相手はそれほどいない。さらに言えば、高校を卒業してからは一人もいなかった。
十年以上、一真には恋人と呼べる存在がいないのだ。
そもそもいまの一真は、誰かと恋愛したいと思っていなければ、恋愛に情熱を注ぐ気力も持っていない。
「俺みたいなのじゃ、参考にならないぞ」
「せめて峰岸さんみたいに、モテる男になりたかった」
「というか、希壱がモテないのは謎だ。上下の相性か?」
「上下? ……あっ! いや、そういうのではないみたい。俺、別にどちらがとか、こだわってなかったし」
一瞬、疑問符を浮かべた表情をしてから、希壱は顔を真っ赤にして首を横に振った。
「それ以前の問題か。見た目は悪くないし、性格は引っ込み思案だが許容範囲だろ?」
「恋愛に、向いてないのかな」
「それはどうかな」
(本人が意識してない部分に、原因があるんじゃないか?)
しばらく一真は、希壱を観察するように眺めた。ため息交じりに目の前のとんかつを口に放り込む仕草は、決して粗野ではない。
咀嚼し終わった途端、生ビールをごくごくと飲んでいる希壱だが、一真から見ても、悪いところは特別見当たらず、思いつかない。
三年のあいだで、性格が大きく変わるはずはないだろうから、素直で愛嬌がある部分は変わっていないだろう。やはり希壱自身、気づいていない原因があるに違いない。
「まともなやつでフリーなのがいたら、紹介してやるよ。そんなに落ち込むなって」
「うん」
カラにしたジョッキを店員に預け、今度はポテトをつまみ出した希壱は、リスみたいに頬ばってもぐもぐしている。
昔は兄と一緒で大型犬といった印象だったけれど、いまの希壱には甘えん坊気質の黒猫のほうが似合う。
弥彦と違って、希壱は少しだけつり目だから余計か。頭の上に黒い耳があるのを想像して、一真は小さく笑った。
「峰岸さんの笑顔、珍しい」
「そうか?」
「うん。自然な笑顔は珍しい」
「なんだよ。俺はそんなに胡散臭いか?」
「そうじゃない。どっちも綺麗な笑顔だけど、なんというか。いまのは貴重だなって」
「ふぅん」
照れくさそうに笑った希壱を見ながら、一真は曖昧な相づちを打つ。
一真の作り笑いと、自然な笑み。
見分けられる人はそう多くない。なにげない調子で希壱は言っていたが、わずかばかり一真の中に警戒心が湧いてくる。
他人に自分の内側を知られるのは、一真にとって一番苦手で避けたいことだ。
それでも日付が変わる少し前まで、二人でのんびり飲んで食べて過ごした。
希壱との時間は意外にも、気を張る必要もなく気楽だった。
会計を済ませ、店の外へ出ると、思いがけずひんやりとした風が吹いている。最近は梅雨が明けたばかりで、蒸し暑い夜ばかりだった。
湿気の少ない空気は、酒で火照った体にとても心地いい。
「あ、あの!」
月の浮かんだ空を一真がぼんやり見上げていたら、なにやら意を決した様子の希壱が、いつの間にか隣に並び立っていた。
「ん?」
「峰岸さん。また相談に乗ってください」
「俺は大して参考にならないって」
「じゃあ、友達としてご飯とか」
「んー、まあ、そうだな」
「ほんと? だったら連絡先、交換して!」
濁したような返事でも了承は了承。
ぱっと表情を華やげた希壱が、すぐさまスマートフォンを取り出した。あまりの素早さに、これはもう仕方がないと、一真もポケットから取り出す。
「もう一つお願いが」
「なんだよ」
「か、一真さんって呼んでもいい?」
「……そんなこと? 別にいいけど」
「ありがとう!」
真剣な顔をするからどんな願い事かと思いきや、あまりにも素朴な願いで一真は拍子抜けした。
だが希壱には大きな願いだったようで、酒で少々赤らんでいた頬が、あっという間に真っ赤になる。
「ほら、酔っ払いは早く帰れ。そのうち、またな」
「うん。一真さん、おやすみなさい」
至極嬉しそうな笑みを浮かべる希壱に「おやすみ」と返し、一真は家路に就く後ろ姿を黙って見送った。
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