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言葉が出てこない隙に、今度は反対の頬へとくちびるが近づく。ふわりと当たって、啄むようにくり返される。優しく触れるのに、どこかぎこちなさもあってくすぐったい。頭を撫でてくれていた手は、いつの間にか髪の中へともぐりこんでいて。地肌を這う感覚に、ついうっそりと瞳を閉じる。
相手が朝陽だと思うと、強い拒絶がどうにも生まれてこない。でもこのままでは駄目だと、それだけは分かる。場の空気に流されてしまったと、朝陽に後悔だけはさせたくない。
年上の自分がしっかりしなければと、朝陽の背をタップする。
「朝陽、朝陽ってば」
「……嫌だった?」
「あー、えっと……」
なぜそんな顔をするのだろう。しゅんと下がった眉に、大いに戸惑う。
だが、ちゃんと自分を律しなければ。仮の恋人関係になったとはいえ、朝陽の頼れる兄でありたいから。
どう言ったものかと考えこんでいると、朝陽のほうが先に口を開く。
「恭兄、ごめん。もうしないから。恭兄の嫌がることは絶対しない」
「朝陽……そんな顔すんな。な? その、別に嫌ではなかったし……」
「ほんと?」
「うん……てかさ、お前は嫌じゃないの? 頬とはいえ、オレにキ、キスとか……」
「恭兄が嫌じゃないなら、俺も嫌じゃない」
「へえ。そ、そっか?」
それは一体どういう理屈だ。相変わらず謎だが、悲しげな色が朝陽の瞳から引いていったことにひとまず安堵する。
「ねえ恭兄。嫌じゃなかったなら、ハグとほっぺのキスはこれからもしていい?」
「え? いやー、それはどうかな」
「嫌じゃないって言ったの、もしかして嘘?」
「っ、嘘じゃない! わ、分かった、ハグとほっぺのちゅーだけな! でもカッコカリなんだから、それ以上は駄目だぞ」
「うん、約束する」
本当に、悲しそうな朝陽の顔にはめっぽう弱い。それをつくづくと理解する。
上手いこと乗せられたような気がするが、ハグとキスを了承してしまった。朝陽とまた一緒に過ごせる喜びが、判断力を麻痺させている気がする。
現に、元カノに振られたことはもうどうでもよくなっていて。明日からは気兼ねなく朝陽に連絡していいのだと思うと、今日を“いい日だった”と名づけてしまいそうなくらいだ。
「恭兄、今度一緒に出かけない?」
「お、いいな。行きたい」
「じゃあどこか探しとく」
「マジ? 楽しみにしてる」
朝陽の横顔を眺めながら、つい顔がゆるむ。
彼女に振られ朝陽に連絡を入れた時は、まさかこんなことになるなんて思いもしなかった。祖父の想いを知るための、かりそめの恋人。今のところ、糸口すらも見つけられないけれど。
朝陽のあかるい感情が自分へと向いている。それだけでも、今は充分な気がしている。
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