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「ご来店ありがとうございました。手直ししたいところなどありましたら、お気軽にご連絡ください。これ、僕の名刺です」
初来店の客を担当し、清算を終えて外まで見送りに出る。
カラーやカットは気に入ってもらえただろうか。施術中のトークは不愉快に感じなかっただろうか。
様々なことに頭を巡らせながら店内に戻ると、同期の村井が声をかけてきた。
「兎野、お疲れ」
「ああ、お疲れ」
「さっきのお客様、喜んでくれてたな」
「だといいんだけど」
「兎野なら大丈夫っしょ」
「はは、サンキュ」
恭生が務めるヘアサロンには、現在6名のスタイリストが在籍している。
同い年で同期の村井は、確かな技術はもちろん、明朗な性格で客にもスタッフにも好かれている。恭生も、村井と良好な関係を築けている。だがそれは表面上だ。指名の数で差が開いてきていて、コンプレックスを抱かずにはいられない。
腕は磨き続けるしかない、それに関しては負けていないつもりだ。だが、トークはどうにも固い自覚がある。
時間を割いて来てくれている客に、失礼があってはいけない。不必要なことを喋って、技術以外で低評価を受けるのは恐ろしい。
とは言え仕事なのだから、トークが不得意だなんて言ってはいられない。改善すべきだと分かっているのに、ヘマをするのが怖い。プライドが邪魔をして、仲間にアドバイスを乞うこともできない。
こういったところが、元カノたちに“隙がない”と言わせてきたのかもしれない。
両親が与えてくれた、進む道を自分で選択できる人生。だが、自由はいつだって責任と隣り合わせだ。いいことも悪いことも、自分が選んだ結果。慎重にならざるを得ない。
特に、人間関係は難しい。あんなに仲がよかった朝陽に嫌われ、疎遠になることだってあるように。
根拠もなく自信に満ちていた自分とは、あの高二の夏に決別したのだった。
「なあ兎野、たまにはさ、終わったら一緒に飲みに行かない?」
「あー、ごめん。今日は用事があってさ」
「そっか、残念。あれ、彼女とは別れたんだったよな? もしかしてもう次できた!?」
「違うよ。幼なじみと会う予定」
「あ、そうなん? 幼なじみかあ。仲良いんだな」
「そうだな」
正しくは、幼なじみ兼、恋人“カッコカリ”だが。そこまで説明する必要もないだろうと、肩を竦めて笑ってみせる。
「オーナー、じゃあオレ、そろそろ上がります」
「ああ、お疲れ。こんな日に出てもらって悪かったな」
「いえ、大丈夫です。お先に失礼します」
勤務時間が終わり、オーナーに挨拶をする。出勤予定だったスタッフが体調を崩してしまい、今日は急遽その代打で呼ばれたのだった。
「え、兎野今日なんかあったんすか?」
オーナーに訊ねる村井の声を背に店を出て、暮れた道を急ぐ。
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