知らない鼓動

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「これで完成です。いかがでしょうか。後ろのほうはこんな感じになっています」 「わあ……この髪型、すごく気に入りました!」 「本当ですか? よかった。気に入って頂けて、僕も嬉しいです」 「ここに来るの初めてなので、実は緊張してたんですけど。これからも通います、また兎野さんにお願いしたいです」 「それは光栄です。またお待ちしていますね」  施術に満足してもらえた。自惚れではないと確信できる。そう思えるだけの笑顔や言葉を客から貰い、熱いものがこみ上げる。ここ一ヶ月ほどで、もう五人目になる出来事だ。  お辞儀をした頭を上げ、去っていく背中を見送る。小さくガッツポーズをし、緩んでしまう口元をどうにか引き締め店内へ戻った。 「兎野、最近調子よさそうだな」 「オーナー。はい、ありがとうございます」  切った髪を掃いていると、オーナーから声をかけられた。自分で噛みしめているものを改めて褒めてもらえると、喜びもひとしおだ。 「技術に関してはずっと申し分なかったけど、接しやすさが出てきたよな。一皮むけたというか。なんかきっかけでもあったのか?」 「きっかけ……」  そう尋ねられると、思い当たることはひとつしかない。 「もう長年気がかりなことがあったんですけど、それがようやく解決して。気持ちが軽くなったので、間違いなくそれは関係していると思います。プライベートのことで仕事も上手くいってなかったんだと思うと、情けない話ですけど」 「上手くいってなかった、ってこともないと思うけどな。でも、向上心があるのはいいことだ」 「はい。ありがとうございます」  自分の好きなものを選びなさい、自分の進む道は自分で選びなさい。与えられた自由の本当の意味に、年齢を重ねるごとに気づいていった。選んだものは全て、自分に返ってくるということ。  それでもやはり、高二の夏の出来事は大きかった。家の前なんかでキスをしなければ、朝陽と疎遠にならずに済んだのではないか。隙を作らないことに注力し、人間関係には必要以上に慎重で、必要であれば感情さえも取り繕う。今の恭生が出来上がっていった。  だが、自分の勘違いに気づくことができた。性格を根本から変えることは難しいが、きっと、もっと、心を開いてみてもいいのかもしれない。あの頃の朝陽を知られたことで、そう思えるようになったから。接客時にも肩から力を抜いて話せるようになってきた。  それにしても、だ。朝陽との関係が、仕事にもこれほどいい影響をもたらしている。幼なじみにどれだけ心を明け渡していたのかと、静かに驚く。それでも悪い気がしないのは、ただひたすらに朝陽がかけがえのない存在なのだということだろう。 「なになに、なんの話っすか」 「村井、兎野に抜かされるのもすぐかもな」 「え! マジっすか! まあでも俺としては、兎野はライバルってより、仲間のつもりなんであんまり気にしないかな」 「へえ。じゃあオレは遠慮なく」 「え!? 兎野~仲良くやろうよお!」 「はは、はいはい」  軽口を叩いてみると、村井が泣き真似なんかをしてみせる。笑みを交わして、拳をぶつけ合う。こんなことは、ここで働き始めてから初めてだ。  村井に抱いていた劣等感までも、溶けてなくなったとは言わないが。上手く競争心へと昇華できそうだ。この瞬間にだって、恭生の頭には朝陽の顔が浮かんでいる。
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