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体育館の外へと出る。きちんと断らないと、引っ張ってでも連れていかれそうだ。
屈託のない明るさに圧倒されつつ、顔の前で手を合わせてそう告げる。残念そうに顔を見合わせたが、ふたりはようやく頷いてくれた。安堵しつつ、恭生は手を振ってその場を後にする。
少しでも早く、この場を離れたかった。このふたりや、他の女の子たちの相手をする朝陽を見たくない。そう思ってしまったからだ。その理由こそ、明確ではないけれど。
朝陽にはあとで連絡を入れよう。来られてよかった、誘ってくれてありがとう。すごくかっこよかった、と。試合に出場した朝陽たちこそが打ち上げの主役だろうから、返事は遅くなるだろうが構わない。
体育館のある敷地を出て、街路樹の下でマフラーに口元まで埋める。どこかカフェでも寄って、コーヒーを一杯飲もうか。
曇った低い空に白い息を溶かしていると、背後から誰かの走る足音が聞こえてきた。ジョギングをする人だろうか。道を空けようと後ろを振り向き、そこに見えた人物に恭生は目を丸くする。
「っ、は? 朝陽!?」
「恭兄! 先に帰んないでよ」
「え?」
「一緒に帰りたい」
「え……でも朝陽、打ち上げあるんだろ?」
「誘われたけど行かない」
「いや行って来いよ。試合に出てたヤツが行かないでどうすんだよ」
「やだ、行かない。恭兄のほうがいいから」
「……なんだそれ」
膝に手をつき息を整える姿は、ともすれば試合中より必死なように恭生の目には映る。
そこまでして追いかけて来なくてもいいだろうに。そう思うのに、心臓はなぜか鼓動を速める。
それを朝陽に悟られるのは、どうにか避けたい。進行方向へと向き直る。
「じゃあ、一緒に帰るか」
「うん」
「ん……てか朝陽、薄着すぎじゃない?」
「え、そうかな。全然平気だけど。むしろ熱いくらい」
「いやいや、今はそうかもだけど。汗も掻いただろうし油断しないほうがいいぞ。ほら、マフラー貸すから」
「いいよ。恭兄寒いでしょ」
「いいから。ほら」
「……ん、ありがとう」
コートこそ羽織っているが、その下はTシャツのみなことに気づく。見ているだけで寒くて、自分のマフラーを解いて朝陽の首へとかける。すると、なにもそこまで、と不思議になるくらい、朝陽は嬉しそうに笑う。
だがすぐに、その笑顔は曇ってしまった。くちびるを淡く尖らせどこか拗ねたような表情が、恭生の胸をざわつかせる。
「朝陽? どうした?」
「恭兄、女の子たちと話してたよね」
「え? あー、うん。柴田くんのお兄さんですか、ってすごい勢いで話しかけられてさ。違うって言えないままで、お兄さんって呼ばれてた。まあ、兄だと思ってるからいいんだけど」
「彼氏だけどね」
「……そんなん言えないだろ」
「ふうん。ねえ、かわいかった?」
「かわいい? そうだな、今どきな感じでかわいいし、いい子たちだったな」
かわいらしい子たちだったと確かにそう思う。髪もきちんと手入れされているのが窺えたし、指先まで意識の通った、洗練された姿だった。初対面の自分に対して臆せず話しかけられるその心も、きっと人好きがすることだろう。
「じゃあ……好きになりそう?」
「は? 好きに、って……恋愛とか、そういう好きって意味?」
「うん」
「…………」
橋本と別れて以降、ずっと受け身の恋愛をしてきたが。それにしたって、今日出逢った彼女たちに少しだって靡きもしなかった自分に気づく。お兄さんもかっこいいですね、と言われたって、恋だなんて思い至りもしなかった。
それどころか、だ。朝陽がモテている現実に得体の知れない感情を抱いたし、今だって目の前でなぜか苦しそうな顔をしている朝陽のことでいっぱいだ。
「朝陽はなんでそんな顔してんの?」
「そんな、って?」
「んー、なんかしんどそうな顔?」
「…………」
「さっきの答えだけどさ。あの子たちのこと好きになるとかないよ、絶対ない」
「ほんとに?」
「うん」
「ん……そっか」
朝陽の気持ちがなによりの気がかりで、ともすれば自分の行動の基準になっている。そう言えば、と恭生は、あの夏とこれまでの恋愛を思い返さずにいられない。
朝陽に嫌われた、と勘違いしてしまったのは、男とキスをする自分を見られたことがきっかけだ。今思えばそれがきっかけだったのだろう、それ以降の恋愛は自ずと女性だけが対象だった。女性と付き合う自分でいれば、これ以上朝陽に嫌われることはないのではないか。無意識にそう考えていたように思う。
振られれば人並みに落ちこむけれど、朝陽に連絡がとれる権利を得られたような気分も確かにあった。
そして現在。恋愛なんてこりごりだと思ったくせに。もう当分誰とも付き合いたくない、と強く感じたその夜に、朝陽からの仮恋人の提案を受け入れてしまった。約束のハグとキスは、いつもくすぐったい気持ちになる。
いつだって朝陽ばかり。他の誰にも、朝陽以上の興味を持てない。朝陽の想いがどこにあるか、どう思われているか、そればかりが気になる。
これは執着、なのだろうか。朝陽が知ったら、重いと今度こそ嫌がられてしまうかもしれない。
自分の根底を見つめ直せば、こぼれるのは苦笑いで。それでもふと視線を上げると、先ほどとは打って変わって穏やかな顔をした朝陽がいる。
なにが朝陽の気持ちを上向きにさせたのだろうか。理由は分からなくとも、心が晴れたのならじゃあいいか、とやっぱり朝陽ばかりな自分に改めて出逢う。そんな自分が恭生は嫌いではなかった。
「恭兄? なんで笑ってんの?」
「んー、なんかいいなって」
「なにが?」
「朝陽とこうしていられるのが」
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