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「あ、こんばんは」
「柴田のお兄さんなんですか?」
「あー、うん。そんなとこかな」
「そんなとこ? まあいいや。ねえお兄さん、お兄さんからも言ってやってくださいよ! 柴田ほんっと付き合い悪くて! ねー柴田?」
「ほっといてよ……」
女の子の手が朝陽の腕に絡み、朝陽を揺さぶる。まるで恋人同士のような親密さに、恭生はたじろぐ。朝陽は鬱陶しそうに引き剥がそうとしているが、女の子は意にも介さない。
少なくとも、彼女にとっての朝陽は気安く接することができる相手、ということなのだろう。何気ないスキンシップだろうに、見せつけられていると感じてしまう。そんな自分が恭生は苦々しい。腹の中に、目を背けたいような黒いものが渦巻いている。
「あー、えっと、ふたりでお出かけ? もしかして邪魔したかな」
「え? 恭兄、違……」
「お兄さん、よくぞ聞いてくれました! 今日でうちらテスト終わったじゃないですか。だから仲良い子たちで飲みに行こうってなったのに、柴田は行かない~って言うんです。どうにかここまで引きずってきたけど、いつ誘ってもこんな」
「いいじゃん別に。みんなで行ってきなよ」
「よくないし! みんな柴田とも飲みたいの!」
未だ彼女の手は朝陽に触れたままで、恭生の中の黒いものは重たさを増してゆく。
嫌がってるからやめてあげて、と言ったら朝陽を救うことになるだろうか。それともそれは、ただの身勝手だろうか。自分自身の感情なのに、判別がつかない。
「お兄さーん、バシッと言ってやってください!」
「え? あー、えっと……朝陽、全然そういうの行ってないのか? 付き合いは大事だとオレも思うぞ」
「……たまには行ってる」
「来てもすーぐ帰るんですよ!」
「しょうがないじゃん、家遠いんだよ。帰れなくなるだろ」
その言葉に、恭生はどこかほっとしてしまった。
朝陽は自分と会う時、恭生の家に寄るのを拒んでまでもしっかり帰宅する。朝陽の例外にはなれなくとも、彼らを自分以上に大事にしているわけでもない。
そこまで考えて、なんて幼稚なのだろうと心の内で苦笑する。仮にも四つ年上なのに、情けない。
だが、そう思えたのもほんの束の間だった。
「え、じゃあさ、うちに泊まればいいじゃん。今日、兄貴帰ってくるよ」
「あ、マジ?」
「……え?」
突拍子もない提案。朝陽が乗るわけがない。彼女をフォローしてあげようかとさえ思ったのに。当の朝陽が、まさかのそんな反応をする。
ふたりの会話がにわかには信じられず、恭生は思わず朝陽の袖を掴んだ。
「朝陽、この子の家に泊まんの?」
自分の家には泊まるどころか、寄ってさえくれないのに。
朝陽の体に女の子の手が触れているだけで胸が焦れて仕方ないというのに、そんなことになったら気がおかしくなってしまいそうだ。
「んー……」
考えている様子の朝陽に、怒りが巡るように体温が上がる。その熱は目の奥までやってきて、泣いてしまいそうな自分に気づく。歯を食いしばってそれをどうにか堪えながら、朝陽のシャツの襟を掴み引き寄せた。
「朝陽」
「わ、恭兄どうし……」
「女の子の家に気安く泊まろうとすんな! それだったら、オレんちに来ればいいだろ!」
「っ、恭兄……?」
「頼むよ朝陽……お前、オレの恋人なんじゃねえの」
喧騒に溶けてしまいそうな最後のひと言と共に、いよいよ瞳に膜が張る。
ああ、いつの間にかこんなにも、朝陽のことを――
そんなこと、今ここで気づいたところで仕方がない。いくら叫んだところで、引き止める権利は“仮”の恋人である自分にはないに等しい。
こっそり鼻を啜り、トンと朝陽の胸を打って一歩下がる。
「大声出して悪かった。君もごめんね。……オレ、帰るわ」
「恭兄!」
「ちゃんと飲み会行くんだぞ。友だち大事にしろよ」
上手く笑えていただろうか。震える口角を見られてしまっただろうか。
踵を返し、逃げるように駅へと駆ける。
「恭兄! 後で連絡するから!」
朝陽に返事をすることは、崩れた声が邪魔をして叶わなかった。
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