確かにモテ期は来たけれど。

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「モテ期なんて、人生に何度も来る人と一度も来ない人がいるんだってば」 「もうっ早紀ったら、またすーぐそんなこと言ってー」  小学校時代からの友人である柴田さやかから笑ってぱしーん、と背中を叩かれた。  仕事終わりに二人で待ち合わせして、よく飲みに来る小さな居酒屋で、私はレモンサワーを飲みながら親友に愚痴をこぼしていた。 「でも事実じゃないの。実際さやかは年中モテ期だけど、私は生まれてこの方一度たりともモテ期なんて来たことないのよ? もう二十三歳よ? とうに結婚を見据えたお付き合いがあってもおかしくない年頃なのにも関わらず、よ?」  私、原田早紀(はらださき)は、確かに客観的に見て美人の枠ではない。  かといってものすごいブスかと言われると、身びいきもあるかも知れないが、そこまでひどくはないようにも思える。スタイルだって中肉中背だし、ロングにしている髪もきちんとケアだってしておりサラサラだ。  巨乳ではないがまあ人並みにチチもあるし、清潔感も心掛けているし性格も穏やか、人に暴言など吐こうと思ったことすらないし、腰も低い方である。ブランド品にはこだわらず、社会人になって一人暮らししているので料理だってするし経済観念もある。  しかし、恋心に敏感になる中学、高校、大学時代、そして就職して男女比半々の食品会社の総務勤務となった今ですら、かすかな男性の影すらない。交際を申し込まれたこともない。  モテないと自覚しているならば、こちらからアタックすればいいじゃないかと思うだろう。  私がやってないとでも言うのか。  でも勇気を出して何人かこちらからアクションを起こして告白した人には全て断られたり、付き合っている人がいたりと散々な結果だった。 「本当に原田さんが嫌いな訳じゃないんだけど、どうも恋愛対象として見られない」  というのが大体の男性の断り文句なのだが、私には何がいけないのかさっぱり分からないのだ。お試しで付き合おうという感覚にすらならないらしい。  そしてさやかはと言えば、ショートボブの似合うおっとりしたタイプで、芸能人のようなものすごい美人とか可愛いというタイプではないのだが、何故か恐ろしくモテる。  海外に一人で放浪するのが好きなため、今は長期の休みを取れない正社員にはならず、ジーンズショップに勤めている実家住まいのフリーターだ。  何年も付き合っている彼氏がいると伝えても、アタックしてくる男が数知れず。ストーカーのように彼女の実家の庭に侵入して警察沙汰になった男もいる。  別にストーカーには好かれなくていいのだが、いったい私と彼女の何がこうまで違うのか未だに解明できず、突破口が見えないのである。 「──私だってさ、もちろん恋愛こそすべてと思っているわけじゃないの。仕事するのも好きだし、結婚して専業主婦になりたいとか子供が沢山ほしいって話でもないの。でもね、でもよ? 意図的に恋愛をしたくないと思っているわけじゃないのよ。選択肢ぐらいあってもいいと思うわけ」 「そりゃそうよねー、分かる分かる」  社会人になって月に一度ぐらいだが、ただ愚痴をこぼしたくなることもある。  日本にいる時には、さやかはいつも気軽に飲みに付き合ってくれ、聞き役に回って親身に相槌を打ってくれる。本当に優しくていい友人だ。 「会社の同僚とかいないの? いい感じの人とか」 「……一人いたけど彼女いた」 「あー、そっかあ。それは残念だったね」  よしよし、と頭を撫でられた。  私はちくわの磯部揚げをかじると、首を捻る。 「さやか、正直に言って欲しいんだけど、私がモテないのには、どんな理由が考えられる? 色々考えてみたりもしたけど、もうここまで男性と縁がないのは、私に何か決定的な問題があるに違いないのよ。でも自分ではマジでまったく分からないのよ。チチ? 女としての色気がないなら豊胸すればいいかしら? 貯金はあるし、本当に考えた方がいい?」 「いや別にオーガニックおっぱいでいいと思うけど? Cカップなら十分でしょ。養殖巨乳って見映えはいいけど、ブラとか服選びとか案外困ると思うのよね。健康な体にメスを入れて余計なもん入れるのも、個人的に私は気になるし」  そういうさやかはBカップである。  海外の旅行では危険な目に遭いにくいように、いつもキャップを目深にかぶり、履き古したジーンズにくたびれたシャツみたいなお金のない少年ライクな格好をしているので、胸は逆にあったら困るようである。そうだった、チチのあるなしはモテ度に関係ないわよねそうすると。 「じゃあ何がいけないのかな……」  そう呟くと、さやかは私をじいっと見て、 「まあ想像はつくんだけど……本気で聞きたい?」  と尋ねた。 「当たり前じゃないの! 知ってるなら教えてよ!」  私は即答した。自分が今後一生独り身で過ごすかどうかの瀬戸際なのだ。  さやかは、これが確実な理由じゃないわよ、ただ私がそう感じるだけだからと前置きして、 「昔からの付き合いだから本音で言うけど、早紀は性格もいいし、スタイルも悪くない。顔も普通……ってかメイクもすれば標準以上だと私は思うんだけど、なんつうか……スキがなさすぎるって感じじゃないのかなあ、男の人から見ると」 「スキ、とは……?」  さやかは自分の取り皿に載っていたアスパラバターをぱくりと口に放り込む。  上手く説明出来るか自信がないんだけど、と続ける。 「……例えばさ、友だちと旅行の計画を立てるとするじゃない?」 「うん」 「早紀は事前にホテルの手配とか飛行機や電車の手配、観光名所とか食事の場所とかきっちりやるタイプでしょう?」 「そうだね。そうしておかないと落ち着かないから」 「私や付き合いの長い他の女友だちは早紀のお陰で助かるううう、って感謝しかないけど、男性から見ればしっかりし過ぎているっていうか、もう少し大雑把でもいいのに、って感じかも」 「え? そうなの? だらしないよりはいいと思ってたんだけど」  私は衝撃を受ける。人に迷惑を掛けないように生きて来たのに、それではいけないのか。 「いやもちろん、何にもしない人より断然いいし、毎回大きなポカやらかす人より素晴らしいわよ。それは間違いなく事実なの。でもさ、男性ってけっこう雑な人、わりといるじゃない? だから付き合う人に暗にそれを求められると、少し息が詰まる感じがするんじゃないかと思うのよね」 「うーん、相手にそんなの求めたりしないけどなあ。ただ私が安心したいだけなのに」  思わず腕組みをしてしまう。 「女友だちである私のイメージで言えば、早紀は『常識もモラルもあり、相手への気遣いが出来る最高の友人』なんだけどね。何でも出来る人って感じで尊敬してるし」 「ちょっと、照れ臭いじゃないの」 「……でも多分だけど、男性から見ると『仕事相手や友人としては信頼出来るよい人』ではあっても、恋人としてみるには『しっかりし過ぎてて、完璧を求められそうで失敗出来ない、堅苦しくて自分を出しづらくなる、気が休まらない相手』になりがちなんじゃないかな。パンツ一枚で家でゴロゴロしてたり、仕事したくねーとか騒いでたら静かに怒りそうなタイプってのかな? まあ男女限らず、恋愛対象にならない人って、興味がわかないとか面倒そうだなとか性格合わなそうかもって思うでしょ? 早紀だって男性なら誰でもいいってわけじゃないでしょ」  ──なるほど、と少し納得してしまった。  確かに、告白した男性も「あくまでも恋愛対象にはならないだけで、人となりは何の問題もない」(意訳)と言われていたなあ、と思う。  ただ改めてさやかに言われて自分も少し考えてみたが、確かにお付き合いする人ができた場合、相手に完璧は求めないまでも、せめて約束した時間に遅れる場合は連絡の一つもして欲しいとか、風呂に何日も入らないとか、部屋の中の状態が常に脱ぎっぱなし、散らかしっぱなしの物があるっていうのがデフォルトなのはちょっと嫌だなと思ってしまう。  当然好きな相手なら気にならないって場合もあるかも知れないが、私はいくら好きな相手でもそれは少々難しい問題だ。  せめて最低限の社会性は身につけていて欲しい、と願うのも完璧主義者の思考なのだろうか。 「……私、やっぱり一生独り身なのかしら」 「ちょっと早紀、落ち込まないでよう。早紀みたいなしっかりした子がタイプって人もいるんだからさ。たまたま近くにまだ現れてないだけだってば! ダメな男に捕まりにくいんだから、ある意味ラッキーじゃないの」 「ラッキー……なのかなあ」  三十路過ぎてもそんな状態なら、さすがに誰でもいいからお付き合いしたいと思うかも知れない。  私の男性問題は、ちょっとやそっとの努力でどうにかなるものでもなさそうだ。  いつか現れる(かも)知れない、自分のような人間が好きだと言ってくれる男性を待つしかない。  だって今の自分の性格とか、直さなくちゃいけないほど悪いものだと思わないし、さやかも無理に変える必要なんてないという。 「実はね、変な方向に行かれたら困るから言うけど、お世辞じゃなく友だちからの評価はものすごく高いのよ早紀は。知らないだろうけど」 「……本当に?」 「マジだって。同性の友人を評価する際に、やたらめったら厳しい目になることがあるのは早紀も知ってるでしょう? 私らの周辺は特に厳しいよ。あの子は優しいけど二股してるから人間性は最低、とか、入って来た新人いびってるらしいよね、いい年して性格悪すぎない? とか言われて最終的に距離置かれた子だっているじゃない」 「ああ、確かにいたねえ……」  私たちの周囲の友人は、人間として出来が良いというか、尊敬できる人ばかりだ。  家もかなりの資産家だったり、それなりの企業を経営している裕福な家の子もいる。  一見おっとりしているし、ニコニコ穏やかに見える子ばかりだが、やらかしには厳しい。  だがしくじってる人には、それがいかにダメなことなのかを説明して、反省して心を入れ替えればそれでよし。それでも改善する気配がないなら容赦なく友人関係を切るのである。  要はモラルが欠如してたり倫理観が低い考え方の人には厳しいが、その代わり一度信頼して懐に入れた人にはかなり情に厚く寛大なのである。  そんな彼女たちが付き合いを断つのはそれ相応な理由があるので、彼女たちに切られたら周囲からの信頼度はがた落ちになると言われているらしい。  大学時代の知人たちが密かに友人たちのことを『審判の門』と呼んでいたと聞いて、みんなで大げさな、と大笑いしていた記憶が蘇った。 「『早紀は本当に自分のことを分かっていて、道を踏み外す心配もないし、出来ないことを無理してやろうとしない。精神的に安定しているので一緒にいて不安がないし落ち着く』ってベタ褒めだったわよ。本人の前で褒めると調子に乗るからって言うつもりはないみたいだけど、なんか変に自分がダメな人間みたいに思ったら嫌だから言っちゃった。あ、でも聞いてなかったことにしてね」 「ベタ褒めっていうか、それ身の程をわきまえてるってぐらいの感じじゃないの?」 「やあねえ。私なんて最近は、旅行もいいけど女は年は取るのが早いんだから、早く定職に就いて親を少しは安心させなさいとか、どうせ行くなら各国の言語をしっかり覚えるまで戻らないつもりで、気合い入れて勉強して来いだの説教されてるわよ。早紀はそんなことなんも言われないっしょ? 一緒にいてノーストレスらしいわよ、あんたの場合」 「……まあ確かに説教された記憶はないわね」  お茶に行っても買い物に付き合っても、ほんわかポヤポヤしているばかりの友人を思い出す。 「まあ、だから男と縁がないってのも今だけだろうし、気にしない気にしない! ほら、もうサワーないじゃない。お代わり何にする?」  メニューを開きながらさやかがニコニコと笑っているので、私も落ち込んだ気持ちが少し回復した。  私は本当に友人には恵まれている。まずはそれでいいじゃないか。 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇ 「…………」  体を動かそうとしたら、頭がぐわんぐわんと痛みに襲われたので私は思わずうめき声を上げた。 「あだだ、二日酔いかな……ん?」  昨日さやかと飲みに行って、土日は気分転換に家具の配置換えでもするかー、と思っていた。  だが、まだ寝ぼけているのかと目をこすっても、目の前に広がるのは全く知らない部屋である。  広さも私のアパートの部屋の倍はありそうだし、置いてある家具や調度品も高級そうな感じで、ヨーロッパの貴族のお屋敷みたいな印象である。  気づけば寝ているベッドは天蓋付きじゃないか。  慌ててベッドから下りるが、着ていたネグリジェのようなものも見覚えはない。よく見たら白いシルクの何万もしそうな高級素材だったのでひっ、と情けない声が出そうになった。 (酔っ払ってこのお宅の前とかで行き倒れてたりとかしたのかな。お金持ちそうだし、気の毒に思って助けてくれたとか? いやでも他人を家の中に入れるよりは救急車とか呼ぶよね普通。そもそもこんなお屋敷みたいな家、うちの近所にあったっけ?)  そこまで前後不覚になるほどお酒を飲んだ記憶はないし弱くもないのだが、現によそ様に多大なる迷惑がかかっていることを考えると、私はどうもやらかしたらしい。  家人にお詫びをせねばと思うが、探しても自分が昨日着ていた服が見当たらない。  まさか借りたネグリジェのまま歩き回るわけにもいかないし、どうしたもんかと思っていたら扉からノックの音がして女性の声が聞こえた。 「あのお客様、物音がしたようなのですが、お目覚めでしょうか? お食事をお持ちしたのですが」 「え? あ、お目覚めですお目覚めです」  アホのような答え方をしながら左右を見回すが、ガウンのようなものも見当たらない。  ええいままよ、と開き直ってネグリジェのまま諦めて扉が開くのを待った。 「失礼いたします」 「……っ」  入って来た女性、多分女性、を見て私は驚いた。  どう見ても日本人ではない。  日本人というか、普通の私がよく知る人間とはまったく異なった存在がそこにいた。  いや、目も二つ、鼻も口も一つで手足は二本ずつ、姿形は人間のようだが、肌は薄い緑色をしておりウロコのようなものも見える。瞳は金色、髪の毛にいたっては真っ白である。  多分女性、という曖昧な考えをしたのは、メイド服のような黒いワンピースにエプロンをしているが、身長が二メートルぐらいあったからだ。  一六七センチの私から見ても見上げてしまうほどの大きな人である。  十月ならハロウィンの仮装という考え方も出来たが、今は四月。  しかも私にサプライズを仕掛けて何かがあるとはとても思えない。  私の脳内は大混乱だった。 「お元気そうで何よりですわ。こちら、お口に合うか分かりませんが、パンを焼いたものにバターを塗ったもの、炒り卵、コーンスープと紅茶になります。よろしければどうぞ」  可愛らしい声で、そばの小さな丸テーブルの上に静かにトレイを置いた。  食べ物は普段食べていたもので安心するが、内心それどころではない。 「あのっ、すみませんが、ここはどこなのでしょうか?」 「ここですか? デートリーの町ですわ」  デートリーなんて知らないし、そもそも日本とは思えない響きの町の名前だ。  不安で泣きそうになっている私を見て、メイドらしき女性は微笑んだ。 「後ほどご主人様がお話をして下さるそうですので、気になることがあれば改めて伺うのがよろしいかと思います。お腹がすくと気力も衰えますので、まずはお食事をされた方がよろしいかと。あとお客様のお召し物は洗濯して干してありますので、あとでお持ちいたしますね」 「そ、そうですね。お気遣いありがとうございます」  確かに今更気づいたが、お腹はかなり空いている。  今は細かいことは後にして、食べよう。腹が減っては戦も出来ぬって言うし。  メイドが一礼をして下がると、私は椅子に座り、寝間着姿で恐る恐る紅茶を飲んだ。  香り豊かで苦みもなく美味しい。  スクランブルエッグも塩気もきつくなく、柔らかさが丁度いい。  トーストに至っては、パンもバターもとんでもなく風味があって驚くほど美味だった。 (ひとまず、食べ物で心が折れるってことはなくて良かったわ)  勢いよく食べながら、私の心配事はただ一つ、なんとか日曜までに馴染みのある自分のアパートに戻れるかどうかであった。 「ハラダ、サキさんか。ファミリーネームはサキ? ハラダ? うん、ハラダか。じゃあサキが名前か。美しい名前だね。ああ、私はドミトリー・エバンスと言うんだ。領地の管理と、いくつか会社を経営しているよ」  初めて会った屋敷の主人、ドミトリーもさっきのメイドさん同様、緑色のウロコ状の肌に金色の瞳、白い髪、二メートルを大きく超えた、体格の良い男性だった。  年齢は三十代前後ぐらいだろうか。穏やかな話し方で顔立ちは整っている、のかも知れないが、緑色の顔を見慣れていないので判断基準が微妙だ。  以前実験していた薬の副作用かなにかで緑色のムキムキ巨人になって、暴れている映画を見た記憶があるぐらいで、現実に出会ったのがメイドさん含めて二人目だ。暴力的な人でなさそうなだけでまずは御の字である。  私の頭二つ分ぐらい高いと、さすがに見上げて話をするのも首が痛くなるので、早々にソファーを勧められてホッとした。 「多分いきなり知らないところにいて不安もあるだろうから、まずは説明をさせてもらいたい」  そういって話された内容は、にわかには信じられないことだった。  ストレートに言えば、私は事故か事件か分からないが、日本ではもう死んでいるらしい。 「運命から外れて突然亡くなったってことだね。簡単に言えば、魂だけこっちにやって来て、改めて以前の姿で再構成されたって感じかな」  肉体ごと消えると周囲の人間も混乱するし、生死に関わるような状態の肉体の場合、そのまま体ごと来ても死ぬ場所が変わるだけになるので、意味がないといってしまうと語弊があるが、健康な状態で残された人生を生きてもらうために、魂だけこの国に現れ、元の姿で転生するらしい。 「……はあ」 「ああ、どうしてそうなるのかは聞かれても答えられないよ。まだ分かってないからね。ただ君みたいな人がたまに現れるんだ。中には自分の最後の記憶がしっかり残っている人もいたりしてね。長年調べた学者の研究でそういった状況だろう、と考えられているだけだ」 「……なるほど」  適当な相槌を打つしか出来ない私を心配そうに見つめながら、ドミトリーは尋ねた。 「サキは、その、覚えてないのかい? 最後というかその、自分がこちらに来る原因を」 「それがさっぱり記憶になくて、ですね」  もしかしたら、よろめいて駅の階段から落ちて頭を強打したとか、強盗に襲われて殺されたとか、ビルに取り付けてあった看板が落下してその下敷きになど、さやかと別れた後に起こる可能性を考えてみたが、どう転んでも痛いか苦しいかの嫌な記憶だろうし、覚えていない方がむしろ幸せなのではないかとも思えて来る。頑張って思い出したところで日本に帰れる訳ではないのだ。 (さやかが私がお代わりまでして飲ませたからとか、変に気に病まないといいんだけど)  正直居酒屋でサワーを何杯飲んだところでいい気分になるだけで、記憶が飛ぶほど酔いもしなければ、次の日に二日酔いになるほどの量でもない。両親がお酒に強いため、私も酒豪に近いのである。さやかが気にすることは何一つない。 「──いまだに、少々理解が追いついてないんですが、私の世界では私はもう死んじゃってるってことなんですね。……あの、ドミトリーさんたちの言語が分かってスムーズに会話出来るのも、魂だけで肉体はこちらで生まれ変わったからこの国仕様になった、のでしょうか?」 「うーん、私は学者ではないからなあ。でもまったく意思疎通が出来ない状態でこの国に来ても、とても暮らして行けないだろうから、神が配慮されたのかも知れないね」  まあ確かに言葉も分からず人種もまったく違う国に放り出されたら、新たな人生も何もあったものじゃないとは思う。  ……でも、せめて普通の人が暮らしている町が良かったような気もしなくはない。  何も分からないまま死んじゃったのは悲しいよ? 悲しいけどさ、せめて生まれ変わる国が選べるなら、緑の肌とかウロコがある人じゃなくて、褐色の肌とか金髪とか茶髪、テレビでよく見る海外の人みたいな、なんというか見慣れた人がいる国でいて欲しかった。  親切だし、物腰も柔らかい感じですごくいい人だとは思うけど、目がまだ全然慣れないのよ。 「サキも目覚めたばかりで、色んな話をされても受け止め切れないだろう。今回サキは私が保護者になったから、まずはゆっくり体を休めて、今後を考えるといい。……そうだ、以前この国に現れた女性にも会ってみるかい? もう三十年近くも前のことだから、既に五十歳ぐらいの人なんだが」 「ぜひ会ってみたいです!」  私は即答した。その人がこの国でどうやって生きているのか、私の今後を考える上でとても参考になりそうだった。  そして、外の世界もドミトリーたちみたいな人ばかりなのか、確認したかった。  私はまだ目覚めたら夢だったとか、ドッキリ的な展開を諦めてなかったのかも知れない。  残念ながらというか案の定というか、翌日ドミトリーに大きな車で案内されたデートリーは大きな町だったが、薄い濃いの違いこそあれ、みな緑の人たちばかりだった。さすがにここまでの大掛かりなドッキリなど有り得ない。  いや、正確には緑の人たち以外にもいた。青い肌の人や赤い肌の人である。髪の色はやっぱり白いけど。赤鬼、青鬼という怖い昔話のあった世界で生きていた人間なので、他国の彼らを見ているとドミトリーの緑の方がなぜか安心する。まだ慣れはしないけれど。  ドミトリーの話によるとあれは他国の人であり、商売や観光などでやって来ているそうだ。  そして国の発展具合で言えば、かなり前の日本といったところだろうか。  電気もあれば石油で動く車もある。家には電話だってあるし、定期バスなども運行している。お湯やお水も出るし、お風呂に入ってもシャンプーやリンスも揃っている。ボディーソープはこれからだろう。ちょっと石鹸が固いのと泡立ちが悪いのは早めに改善して欲しいところではある。  ないのは身近なところで言えば携帯電話やスマホや電車、パソコンにネット環境などだろうか。飛行機などもプロペラで飛ぶのはあるらしい。  まあ電話線があるなら、いずれはネット通信環境も整いそうだ。  予想していた以上に暮らしやすい環境に少々驚いた。  私がいるのはルッカという国らしいが、クルッカという王都の方がもっと色んな店もあって発展しているらしい。今はまだ覚えるというよりも、地名だけ軽く耳に入れる程度でいいよとのこと。  ドミトリーは領地もあってお金持ちの貴族らしいのに、よその国の平凡な一般人の娘である私にも横柄な態度を取るでもなく、優しく気遣ってくれる。  これは私が何年、何十年に一度しか現れない『異国の人』だからなのだろうか。だが横柄だったり乱暴な言葉遣いをする人は日本にいる時から苦手だったので、穏やかに話すドミトリーは私の保護者としては大変ありがたいし感謝していた。  私よりかなり前にやって来た異国の人の屋敷はドミトリーの屋敷より大きく、家の庭にプールがあるような大豪邸だった。 「まあ! あなたが新しくやって来た子なの? なんてキュートなのかしら!」  弾んだような声で登場したマダムは、私を抱き締めると頬に軽くキスをした。  彼女は黒髪だったが日本人ではなく、陽気な黒人女性だった。豊満な胸とお尻に圧倒されてしまいそうなセクシーな女性である。  お茶とお菓子を振る舞われつつ、私とドミトリーは一緒に居間で話を聞かせていただくことになった。日本語しか話せなかった私でも、この国に来たら仲間というか同じルッカの民として会話が出来るのはある意味とても幸運であった。  エミラというその女性がこのルッカにやって来たのは、なんと三十一年も前だそうな。 「十七歳の時だったわ。私の国は本当に昼間でも物騒で、常にマフィアとか警官の銃撃戦が町の中で起きてたの。それである日、私は流れ弾を受けて倒れたわ。熱いと思った。それが最後の記憶よ」 「……恐ろしい話ですね」  やはり私の死に際は思い出せないままの方が良さそうだ。 「この国で目覚めてそりゃあ最初は驚いたわ。あなたにも分かるでしょう? 肌の色が見たことがない人たちばかりだったもの」 「そうですね」 「でもまあ、あの時に自分は死んだんだろうなって覚悟はしてたから、過ごすうちにこの国に来られて幸せだとも思ったの。私が一番欲しかった願いが叶ったから」 「欲しかったものですか?」 「そうよ。毎日銃弾に怯えたり、犯罪に巻き込まれることのない平穏な暮らし」  日本に暮らしていると、犯罪の危険こそあれ始終銃弾が飛び交ったりはしないし、彼女が願うささやかな願いは、内心で安全なんてあって当たり前のものだと多少は思っている人も多い。  私もなんで死んだのか分からないが正直、強盗とか性犯罪目的の殺人とかそんな物騒なものでなく、突発的な事故とかなんじゃないかなあ、と思っているぐらいだし。いや思い出さないでいいけど。 「それに、この国に現れた異国の人は財力のある保護者がついて、五年間は生活の面倒を国が見てくれるのよ。その間にやりたい仕事を見つけたり、生活の基盤を作れるの。この国の人と結婚する人もいるしね、私のように」  エミラは子供もいるのよ、と二人のお子さんを呼んで紹介してくれた。  一人は彼女によく似た黒い肌の二十歳ぐらいの女性で、もう一人はその子の弟と思われる高校生ぐらいの緑の肌の男の子だ。どちらも社交的で笑顔で挨拶だけして消えていったが、弟の方だけは私を見てかなりキラキラと目を輝かせていた。不思議だ、こんな非モテ女子に。 「さっき息子はサキが綺麗だねってコソコソ話していたわ。あなたもこれから大変よね」 「……? 何がですか?」 「エミラさん、その話はまだ──」  慌てたようにドミトリーが立ち上がり制止しようと手を上げかけたが、エミラの眼差しに改めてソファーに腰を下ろした。 「この国の人って、まあ近隣の国の人もだけど、肌こそ違えど髪はみんな同じで白いでしょう?」 「ああ、町で見かけた方は皆さんそうでしたね」 「だから、私が来た時も今の娘もそうだけど、髪の色が濃ければ濃いほどレア、肌の色も周りと違うというのは憧れがあるみたいなの。しかもサキは肌も白くて美しいわ。つまりより魅力的だと思われて、これまたアピール度が高いの」 「へ? 髪の色や肌でモテるんですか? エミラさんも娘さんもセクシーな美人ってだけなのでは?」  私は驚いて変な声が出た。エミラは首を横に振った。 「おそらくドミトリーは驚かせたらいけないと何も言ってないはずだけど、サキが普通に表に出るような生活を送るようになったら、きっとものすごい数の釣り書きが彼の家に届くはずだわ。……ね? そうでしょう?」 「──ええ、まあ」 「あの、すみませんがツリガキってなんでしょうか?」  聞き慣れない言葉に私は聞き返した。 「ああ、ええと、あなたと結婚を希望している男が、自分の情報を書いてお伺いを立てるのよ。気に入ったらとりあえず会って話をするの。相性が合えばお付き合い、そして結婚になるのよ。ええと、あなたの国ではそういうのないかしら?」 「……お見合いの話でしょうか?」  私は呆然とする。  ……いやいや、日本であんなに男性に恋愛対象として見てもらえなかったのに、こちらでは髪の毛が黒い、肌が白いってことだけでモテて、レア狙いの男性が現れるってこと? それはそれであんまり嬉しくないぞ。中身はどうでもいいって言われてるのと同じじゃないの。  私の表情で何かを察したのか、エミラが笑って手を振った。 「いやだ、心配しなくていいのよ! もちろん相手に興味を持って会ったとしても、話してみて違うなと思ったら断ってもいいし、全部無視したっていいのよ。恋愛は自由だもの。ただ、サキの場合は私の国で言われていた、アジアンビューティーっていうのかしら? 顔立ちがミステリアスな印象もあるから、より魅力的だと思われるんじゃないかしらね」  生まれてこの方、一度たりとも女性として魅力的だと思われたことがない女ですけども。  実際にモテてモテて仕方がないという状態に一度はなってみたい、と思ったことがないとは言わないし、せめて一人からでいいから熱烈にモテたい、愛し愛されたいと思ったことは数知れずだ。  ……でも私という人格を無視されてもモテたいわけじゃないんだよなあ。  私の心は複雑な感情が渦巻いていた。  とはいっても、彼女みたいに年を重ねても魅力的な女性と小娘の自分を比べるのは間違いだし、大いに話を盛っている可能性はある。  ドミトリーだって万が一そんな話をしてしまって、私が言うほどモテなかったら可哀想だと思ったから話をしてなかった、ということだってありそうだ。  これは話半分で聞いておこう。そういう人もいるよ、ってだけで。  帰宅する間にも、ドミトリーに謝られたが、別に気にしてませんと笑って軽く流しておいた。  私にとってはようやく現状を受け入れ、ドミトリーを保護者として、今後自分がどんな仕事をし、どんな生活を送るかをまずゆっくり考える時間に気持ちを向けられたことが大切だ。  エミラはいつでも遊びに来ていいわよ、私の国や日本の話をしましょうね、とも言われたし、年の離れた友人として仲良く付き合えたらいいな、と思う一日であった。  しかし、私は一週間もしないうちに現実を思い知った。  エミラの言うことは嘘いつわりなく、話を盛ることもなく事実だけを伝えていた。  物価や売っている商品が知りたいと町の商店をメイド(最初に食事を運んで来てくれたルーダさん)に案内してもらえば、すれ違う男性の顔の緑の色が濃くなる。店で働いている男性の対応がぎこちなくなる。 「先ほどの店員、サキ様を見て顔を赤くしてましたわね。可愛らしいことですわ」  ──いや分かるかい。緑が濃い緑になったなんて変化すら気づきにくいっつーの。  ドミトリーの屋敷にも、私が町中に出るようになったことで、本当に山ほどのツリガキなるものが届いているらしい。 「たとえ金持ちでも家柄が良くても、決して良い噂のある人間ばかりじゃないから、私がある程度評判が悪い人なんかは事前に弾いておくよ」 「よろしくお願いします」  未だに一つも見せてもらってはいないが、そんなに悪評のある人ばかりなのだろうか。  率先して見たいという気持ちもないが、興味がないわけでもない。  まあドミトリーは仕事の合間に時間を割いて調べてくれているのだし、催促する話でもないので放っておくことにした。  暮らしてみて感じたが、肌の色や髪の色、体格こそ違うが、基本的に言葉が分かって普通に会話を交わしていくと、最初に感じていた目が慣れないというのも次第に気にならなくなった。  生活も便利なものがそこそこあるし、スマホなんて連絡する相手がいなければ別に持っていなくても何の不便もない。食事はとても口に合うし美味しい。  醤油はないが、穀物から作った似たような味の調味料もある。砂糖も茶色い三温糖みたいなものがある。日本食が恋しくなったので、魚の切り身を買って照り焼きを作ってドミトリーや世話になっている屋敷の人に振る舞ったら、物珍しくて味もいい、ライスに合うと大好評だった。  なるほど。いくつか試してみて、受け入れられそうなら日本食っぽいものを出す店をやるのも良さそうだ。料理は好きだし。  ドミトリーに話してみたら乗り気で、国に申請しても援助してもらえるが、その程度なら私が出せるし、なんなら共同経営者になってもいい、と大変良い返事をもらえた。  それはいい。  それはいいのだが、日ごとに増える男性の熱い眼差しは何とかならないのだろうか。  ちょっと店に立ち寄るだけで引き止められ、デートの誘いだの要らないプレゼントなど押し付けられるのでとても困る。  アイドルでもないのに町中を一人で歩くのに不安を感じる毎日である。こんなに近寄る男性をあしらうのが大変なものだとは正直思ってもいなかった。  ぶっちゃけ、モテるってそんなにいいもんでもないな、と初めてさやかの気持ちが理解出来た。  確かに自分史上空前のモテ期は来たけれど、コレジャナイ感が半端じゃなかった。  私は静かに息を吐いた。  五年後。  私は和食のレストランを経営し、従業員を雇うまでになっていた。  しかし本当にモテまくっていたにも関わらず、何のアプローチもしてこなかったドミトリーに好意を持ってしまい、自分から告白してしまった。  その時にドミトリーが、実は出会ってすぐぐらいから私に一目惚れしていたことが初めて判明した。日々過ごして行くうちにより好ましく思うようになったそうだ。  だがどうやら彼はあまりのライバルの多さと、保護者だからといってゴリ押しするのは卑怯な振る舞いだと思い、じっとアクションを起こさなかったらしい。  しかしツリガキは自分より格上の家柄や人格者の評判がある人から真っ先に火にくべていたらしく、それはそれでどうなんだと思わなくもないけれど、結果的に彼と二年付き合って結婚まで至り、現在幸せな生活が送れているので結果オーライである。  結婚した翌年に娘も生まれたが、私と同じ黒髪に白い肌のため、この子も今後苦労するんだろうなあとは思うが、この国に生まれたからには仕方がない。  ドミトリーは今から心配し過ぎて泣きそうだが、私は傲慢になることのないよう、出来る限り普通の価値観を持つしっかりした女性に育てて行こうと決意している。  モテ期は経験してみたら別に楽しくもなかったし、旦那様は私の考える普通とはちょっと違う人だったけれど、今はすごく幸せだし、私もエミラのように願いが叶ったと言える。  自分が愛し、素の自分を受け入れ心から愛してくれる人、そして子供との穏やかな生活だ。  でもどこかでまた生まれ変わることがあったとしても、二度とモテ期を経験したいとは思わないことだけは確実だった。人生経験に勝るものはなしだわね。
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