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アランにとって、なによりも大切なのは姉、リーズシェランだった。
虐められていた時、この姉だけはこっそりと助けてくれていた。
いや、もし助けてもらえなかったとしても、気にかけてもらえただけで、冷たい目や蔑む言葉を向けてこないだけで、幼いアランにとっては“味方”だった。
彼は幼い頃から利発で、自分の置かれた立場を理解していた。
母が悪いわけじゃない。
それはわかっているけど、苦しい。
父を恨めばいいのか兄弟達を憎んだらいいのか。ひたすら耐える日々。
ある時、母が死んだ。殺されたのだ。
明確な悪意をもって投げ付けられた石が頭にあたり、そのまま――。
たった一人になった彼を庇ってくれたのは、リーズシェランだった。
まだ彼女も幼かったというのに、自分より一回り近くも年上の兄や姉にだって屈しなかった。
「姉の私が弟を庇って何が悪いの!」
がくがくと震えながらリーズシェランが言い放ったその言葉が、どれだけアランの救いになっただろう。
――ねえさま。ねえ様。姉様。僕の、僕だけの貴女。貴女だけが僕の救い。
ずっと一緒にいて。ずっとずっと。それだけでいいから。それだけでしあわせだから。
……なのに、どうして。 どうしてどこかに行こうとするの。
ねえ、姉様……
夜の闇を味方に馬を走らせる。
私の名前はリーズシェラン。とある王国の王女で、国外脱出を企てている真っ最中だ。
幸いにも城からの脱出はすんなりとうまくいった。後は城下町を出て、一路隣国アッシュベルを目指すだけである。
「姫、大丈夫ですか?」
私を乗せて馬を走らせているレナードが気遣ってくれる。乗馬は出来るけど、今は一刻を争う事態だからね、侍女の勧めに従ってレナードの馬に乗せてもらっている。
ちなみに、その侍女はというと、メイド服のまま颯爽と馬を駆っている。騎士団でも指折りだったレナードの乗馬についてこれる侍女って、本当に何者なの……
もっとしっかり身元を洗うべきだった、と頭の片隅で考えながらも、私は背後のレナードに感謝を伝える。
「ありがとう、大丈夫よ。それにしても運がいいわよね。こんなにすんなりいけるなんて」
「……いえ、妙です」
「え?」
「あの陛下にしては――警備が、温すぎます」
レナードの言葉に、反論出来なかった。それは私も漠然と感じていた不安だったから。
それでも、もう止まることは出来ない。私とレナードはそれきり口を閉ざし、迫る何かを振り切るように馬を走らせた。
「姫様、あちらに馬車を用意しております」
人気の無い小路で馬から降りた私を、侍女が先導する。逃亡用の馬車は暗がりにひっそりと置かれていて、なんだか不安になる。
ダメだ、弱気になっちゃ。
私が自分に喝をいれていると、レナードが突然立ち止まって叫んだ。
「姫、お待ち下さい! ここは――見張られています!」
私が足を止めてすぐに、あちこちの影から黒ずくめの男達が出てくる。驚く暇もなく、あっという間に私達は囲まれてしまった。
レナードと侍女の二人が前に出て私を庇う。
そんな中、馬車の扉がゆっくりと開いて誰かが降りてきた。
夜の闇の中でも輝く金髪、冬の夜空を思わせる藍色の瞳。まだ年若いが圧倒的なカリスマを持つ青年。
今やこの国の国王となった私の弟――アランだった。
まさかのラスボス登場である。
終わった。
固まる私に、アランはにっこりと微笑みを向ける。
「姉様。どうしてこんな夜更けにここにいるの?」
「え、えっと……それは……」
「睡眠不足はお肌の大敵。――姉様の口癖だよね?」
「そ、そうね……」
「姉様?」
「は、はい?」
アランは優しく微笑みながら言った。
「足を切られるのと、僕から離れられなくなる薬を飲むのと、どっちがいい?」
……うわあ。
どん引きして絶句する私に、アランはにこにこと続ける。
「だって姉様、すぐ騙されちゃうし危なっかしいからね。またこんな事が起こらないようにしないと。まさか姉様の側に虫がいるなんて、気付かなかった僕も悪いけど」
虫。その言葉に思わず侍女――リーリャを見ると、彼女は唇を引き結びアランを睨み付けていた。
ま、まさかとは思っていたけど。
「リーリャ! まさか私をどこかのエロ爺に売り払うつもりで!?」
「違います」
「違うよ、姉様」
リーリャだけじゃなく、アランからも即座に否定されてしまった。あれ?
「まあ、それはいいや。他の虫も退治したしね」
アランはあっさりとリーリャの仲間を始末したことを口にして、また私を見つめた。
「……ねえ、姉様。その二人、大切?」
……こ、これはどう答えるべきだろう。大切と言ったらヤバイ気がするし、大切じゃないと言ったら、ならいらないよね、なんて言いそうな気がする……!
悩む私を見て、アランの笑みが変化した。
「……悩むくらい大切? 僕よりも? だから一緒に連れていこうとしたのかな」
うわー! ヤンデレスイッチ入りそうです!
「わ、私の腹心ですもの。それなりに大切よ。弟であるアランとは比べられないけどね!」
「……そっか」
にこり、とアランがいつもの笑みに戻る。はああ、ヤバかった……!
だけど、追い詰められているのは変わらない。私はなんとか勇気を振り絞ってアランと話し合うことにした。
「ねえアラン。この二人は許してあげて。私の頼みをきいてくれただけなの」
レナードとリーリャが何かを言おうとするのを目くばせで止める。アランはふうん、と呟いた。
「姉様の頼み、ね。つまり姉様はアッシュベルに行きたいんだ。――なんで?」
うっ、まさか「あんたがヤンデレで怖いし国の将来が心配だから」とは言えない。
言えない、けど。でも……もういい加減、面倒になってきた。
「だって、アラン。私だって自由に外に出たいわ。それにレナード達を勝手に離して! 王位についたからって勝手にしすぎじゃない!?」
監禁ルートは怖いけど、この際だもの、言いたい事言ってしまえ! どうせどう頑張っても詰んでるし!
……と、いろいろぶちまけているうちに頭が冷えてきた。そうしたら、自分のした事でリーリャやレナードがどうなるか気付いて一気に青ざめる。
リーリャはどうやらどこかのスパイらしいけど色々助けてもらったし、レナードは私が巻き込んだだけだから助けてあげたい。
自分の短気を呪いながらアランを伺ってみると――
「……ねえさま」
……今にも泣きだしそうな目で俯いていた。
「あ、アラン……」
「……僕のことが嫌いになったの? だから僕を置いていくの? 僕は姉様しかいらないのに。姉様だけなのに。姉様は僕がいらないの。いらないから出ていくの。姉様姉様姉様……」
正直、小さな声でぶつぶつ呟いている姿はとても怖い。顔はとても格好良いけど、いや、格好良いからこそ余計に怖い。
だけど、――だけど。
「そんなこと、ないよ」
私はアランに近寄り、幼い子供にするように抱き締めていた。
「姉、様」
「そんなこと、ない。――アランは、私の大切な弟だよ」
そう。弟なのだ。いくらヤンデレで怖くても、それでもやっぱり見捨てられない、大切な家族。
「……傍にいてあげるから、私の話もちゃんと聞いて。結婚も許して。あとあの二人も許してあげて」
「……姉様が約束してくれるなら」
「指切りげんまんするから!」
私が小指を突き出すと、アランは一瞬目を瞬かせ、そして破顔した。……最初からこうやって話せば良かったのか。
そうして、なんとか話は丸く収まりレナードは元のように私の護衛に。リーリャはさすがに元のようにとはいかなくて、あの場で逃がしてあげるだけで精一杯だった。
仲の良さそうだったレナードのためにも、なんとかしてあげたかったけど……仕方ないわよね。
――その後。私に婿入りの話が来て、それが元婚約者のユーリ皇子だったり、その侍女の一人がリーリャだったりするのだけれど、それはまた別のお話。
「姉様、どうかしましたか?」
「ううん、なんでもないわ」
今日も私はヤンデレな弟の隣で微笑みを浮かべている。
……正妃だけはなんとか選ばせないと、と頭を悩ませながら。
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